三木奎吾の住宅探訪記

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。

【北海道の住宅施策「北方型住宅2020」発進】

2020-09-10 05:37:14 | 日記

日本は中央省庁による産業界支配が強固な国だと思います。
明治開国以来、殖産興業政策は日本の基本国策であったといえる。
欧米各国は「列強」として帝国主義全盛の時代、一歩間違えば
即座に「植民地化」という匕首を突き付けられながら、
天皇制という体制での国民の高い「国家意識」を唯一の拠り所にしながら、
ひたすら欧米をキャッチアップして国家社会の発展に努めてきた。
資本蓄積と産業の技術基盤が未熟な国家社会で、政府の強い行政指導が
全産業領域で活発に展開されていった。いわば国家資本主義的発展。
エネルギーとして石炭が注目されて近代工業化が計られていったとき、
新開地としての北海道は資源供給基地となって有効活用された。
そこから全産業が活性化して、有色人種国で最高レベルの国家意識が
国家発展の大きな基礎を形成し、高い教育レベルもあって、
中央省庁のコントロール下での産業発展が進展していった。

住宅建築においては、明治期の「文明開化」による洋風住宅化があった。
しかしそれはいわば上辺のデザインに偏ったモノであり、
一部の金持ちたちの文化としての「高級住宅」「和洋折衷」型デザイン。
一般庶民はごく一部の「中流」サラリーマン家庭が戸建て住宅を作ったに過ぎず、
大部分は江戸期からの「長屋賃貸」が基本の住環境だった。
しかし、北海道だけはまったく違う様相で推移発展していた。
民族の「新開地」北海道は、他の日本とはまったく違う気候地域。
多くの地域では表層的デザインにすぎなかった「洋造住宅」が
寒冷地対応の合理性の高い建築として推奨され根付いていた。
他地域で開口部にガラス建具・窓が導入されるはるか以前から北海道では
高価な「輸入建材ガラス」が、一般開拓民の住居でも普遍的に導入された。
その「新建材」が北海道が必要とする「気密性」に不可欠だったのだ。
始原期からすでに「性能要件」が優越的条件とされる住宅市場環境。
一方でそもそも「開拓使」は、始原において時限的「中央省庁」であった。
当時世界最強とされた軍事国家ロシアとの国境を樺太と北海道の間で画定。
国防という最優先事項の必要性から北海道の領土経営がはじめられ、
明治天皇の勅祭をもって開拓三神が北海道に遣わされた。
日本の自主独立を確固とさせるために北海道に民を移植することが安保上の
最優先事項でもあったことがDNAに深く刻み込まれている。
明治初期を代表する武人・黒田清隆が長く開拓使を背負ったのはそうした理由。
地域が求める「住宅性能合理主義」と開拓使的「強い行政指導」。
これが明治の最初期から日本と北海道の住宅産業を特徴付けていた。

この先人の取り組みを受け継いで、開拓使後継地方自治体・北海道は
戦後、地域独自の建材・コンクリートブロック造での家づくりまで踏み込んだ。
また、高断熱高気密工法として2×4木造に先導的に取り組んだ十勝地域、
在来木造工法の革新に取り組んだ高断熱高気密化の住宅運動、
などなど活発な技術開発の進展で全国の技術革新を先導してきた。
このよき伝統を受け継ぐ北海道独自の住宅施策が今回、
「北方型住宅2020」という現代化した住宅コンセプトとして始動。
この秋には運動を推進する中心の作り手たち「きた住まいる」メンバーによる
「オープンハウス」公開など広範な活動も予定。
地域の工務店・建築家の共同での高品質の家づくりを仕掛ける地方自治体として
地域に根ざした家づくりを強力にバックアップしている。
オリジナルなモデル住宅企画「南幌きた住まいるヴィレッジ」なども事業継続。
まったくユニークな地域独自の住宅運動として、ふたたび日本の住宅革新を
リードし続ける「北方型住宅2020」に注目です。
この北海道の住宅施策について折に触れ、最新情報を今後お伝えしていきます。
<マークは公募された北方型住宅2020アイコン>


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