さて最近ハマっている「神社建築・注連縄」探究シリーズ。
って勝手に「シリーズ化」しております(笑)が、
自由に取材活動ができない状況の中では、やむを得ない「探究」篇です。
なんですが、これはこれでいろいろな「気付き」があって
過去の「取材データ」も、自分自身の建築行脚の「まとめ」素材集と気付く。
住宅建築についてはいまはほとんどスタッフが体験し続けているので
わたし自身は年間でもそう多くの取材体験はなくなってきている。
しかし膨大な過去記録からの整理整頓は、なかなか出来なかった。
で、特定テーマ、いまは「神社の注連縄」関係に取り組んでいる次第。
厳島神社も過去数回見学しているけれど、
そういえば注連縄どうなっていたっけなぁ、程度のあいまい記憶しかなかった。
で、写真を整理整頓して探訪してみたのが上の2枚の写真。
下の写真は、回廊形式の社殿建築入口にあったもの。
厳島神社の場合、本来の「結界入口」は海上に自立する鳥居なんでしょうが、
鳥居にはさすがに注連縄はありません。
海と注連縄ということではやはり伊勢の夫婦岩に尽きるということでしょうか。
で、社殿建築のなかで注連縄はここと、
2つの神さま本体の居場所「本社本殿」とこの写真の「客(まろうど)神社本殿」
を飾っている注連縄ということになるようです。
どちらも同様のデザイン構成だったので、きょうは客(まろうど)神社本殿を。
注連縄本体としてはごく一般的な形式のようだと思われます。
出雲のようにまで太くはないけれど、やや中太りで、
ねじれ具合もしっかりと施され、標準的な印象を持ちます。
端部では右側が太いままで左側が細くなっています。
大根締め、ゴボウ締め、輪飾りなどの違いでは大根締めは両端がつぼまり、
ゴボウ締めは片側のみが細いとされるのでこれはゴボウ締め。
しかし、厳島神社は全国でも最先端のファッション性。
1枚目の写真の客(まろうど)神社本殿では注連縄はシンプルな分、
ほかのデザイン構成要素の賑々しさには、目を奪われます。
ほかの神社社殿と比較して隔絶しているのではないか。
たぶんこうしたデザイン構成は起案者・平清盛の性格要因が強いのではと。
平氏というのは大陸との活発な交易権益独占によって
勢力を伸張させたことがあきらかであり、
また当時の都の建築洋式としての「寝殿造り」を神社建築に導入したともされる。
都ぶりの華やかさの権化のような輝かしさがある。平家の盛衰の
両方の要因を奇しくも体現しているような建築なのでしょうね。
伊勢のような簡素さが全国の神社建築の基本なのでしょうが、
この「絢爛豪華」さは、まことに驚かされる。
寝殿造建築洋式が今日まで現存しているのは、この厳島が代表とされる。
カラー構成の朱赤、緑、黒という美感と、基本は格子状の
カタチの重層感が合わさって、なんとも「地上の天上界」感がある。
注連縄はその建築意図のなかでひっそりとマーキング役に徹している。
格子状の建具を通して空間の明度は明確に区画されているので、
手前の「拝殿」的なダークな空間とのコントラストが非常に見事。
光と色彩の時々刻々とした「ゆらぎ」が、拝み見る者に変転万化の神姿を見せる。
よくぞこういう神々しさを造形したと感嘆させられます。