昨日は久しぶりに「遠出」しておりました。
梅雨の気候が続く本州地区とは違って、北海道きのうは札幌で28.2度。
ほぼ快晴と言ってもいい天気で午後からカミさんと郊外へ。
久しぶりのドライブで各所で「キャンプ」風景が展開。カミさんのひと言。
「わたしたち子育ての時、いろいろな所に行けてよかったよねぇ・・・」
そうです、キャンプ施設などでは親子連れの行楽風景が見られたけれど、
新型コロナ禍による行動抑制で、ひたすら「Stay-Home」暮らし。
まさに待ちかねていた様子がしのばれてきたのです。
わが家も同様ですが、まだしもわが家は子どもたちは巣立っている。
夫婦ふたりだけ家でのストレスは大きくはない。まぁ夫婦ケンカもあるけれど(笑)
それに引き換え、成長期の子どもさんのいるご家庭は
そのストレスたるや想像にあまりある。どこにも行けない苦しみ。
それがようやくにして天国に一番近い季節の北海道で楽しめるといった様子。
しかし、その矢先にまたもや東京起点の新型コロナの蔓延拡大状況。
キャンプなどは、自然に親しむ行楽であり、
おおむね行動もクルマということもあるのでむしろ奨励すべきと思うのですが、
自粛気分が支配的な社会風潮から「空気を読んで」しまうのがフツー。
さらに、北海道はまだこういった郊外での娯楽に親しめるけれど、
東京などは、梅雨による雨も続いて追い打ちでの滅入るような感染拡大。
心配していたGoToキャンペーンも東京外しでの実施。
いまの感染拡大は「攻めの検査」で若年層の「無症状・軽症」者が多いとのこと。
緊急事態宣言のなかでの感染拡大とは違って、
重症者は少なく、重篤化が懸念される高齢者の割合が低いともいわれる。
しかしどうしても「感染者数」という指標が大きく取り上げられる。
「空気を読む」日本人気質として、ふたたび萎縮に向かう傾向が強まる。
どうも高度情報社会化がはじめて出会った世界規模疫病で
社会の方の「対応の仕方」により大きな経験不足があるのかも。
スペイン風邪とか、結核とかが蔓延した当時には、
このような情報社会、大衆化社会は進展していなかったので、
疫病は疫病の問題として、そう大きくは政治経済の問題にならなかった。
その意味で疫病情報の「社会常識」というものが現代では育っていない。
ひたすら危機発信を「オオカミ少年」のように繰り返すことは
社会収縮の方向をより強めているように思える。
経済基盤は「移動の自由」によって支えられてきたことに、
それが大きく毀損してから気付かされる。
この疫病によって社会の分断、地域ごとの分断が進行するのでしょう。
そのとき、地方はバラバラにされ全国規模での経済参入障壁が高まる。
分断の結果、地方のさらなる地盤沈下が懸念されると思います。
<写真は愛で生き延びるオシドリ一家>