札幌円山自然林のなかの「オオウバユリ」群落。
わたしの場合、つぼみを林の中で発見してから、開花寸前までが
まことにドラマチックだと思っています。
その後は、たくさんの花が面として咲き誇り満開時期を迎える。
この時期になると、不思議と「あとのまつり」的な雰囲気を感じてしまう。
急速に観察行動が緩慢になってしまうのですね。
北国人というのは、夏の暑さを激しく希求するけれど、
その暑さが来て見ると、途端に夏バテしてしまうのにも似ている(笑)。
・・・っていうのが例年の通例なのですが、
ことしは依然として「ステイホーム」的な雰囲気が続いているので、
夏が到来してもイマイチ、海や山やという気分の盛り上がりがない。
ということで、満開からのオオウバユリとも対話しております。
植物というのは、花はいっときの「仮の姿」であって、
人間どもはその美を愛でることが楽しみかも知れないけれど、
植物にしてみたら、この一連の過程は次世代のタネを残すことに余念がない。
花から「結実」させて、今度は種を産む過程が本格化する。
下の写真の左側の方に人間の興味は集中するけれど、
かれらにとっては、右側のタネ生産プロセスの方が貴重な時間かも。
オオウバユリはユリ科の花の繊細な造形美もあるけれど、
それらが1本の茎から多数花開く、ラッパのような群生ぶりがオモシロい。
その乱舞が一段落すると、花は急速にしぼんで
枯れた色合いに変わっていって、今度はその花の衣装を脱ぎ捨てた
結実の「タネの揺りかご」のような造形に変わっていく。
写真のように、上向きの「矛」のようなカタチに変容していくのですね。
いのちの変容の不可思議さにこれもまた驚かされる。
しかし、季節は盛夏よりもまだ時間がある。
オオウバユリはしかし、季節を先取りして結実の秋に早々と歩を進めるのですね。
たぶん、この先取り変化スピードが速すぎて
人間の側では「もうちょっと夏を楽しみたい」という心理が強くて
観察意欲が薄れていく原因であるのかも知れない。
まぁしかし、わたしの観察の方が「先取り」しすぎで
上の写真のような群生ぶりも、やはり多くの人間を惹き付けてくれる。
花のいのちは短いけれど、その華やぎ、彩りもたのしい。
北国はいちばん遅く夏がやってくるのに、もっと楽しんでと
物語ってくれているようにも思います。