写真は播州・福崎の古民家写真から縁側空間。
北海道の家からは「縁側」は150年前・最初期からほぼ消え去っている。
明治天皇の「休息所」として建てられた「清華亭」〜明治14年でも
縁側外周にはガラス建具が嵌め込まれ、いわば「大型窓」化している。
いわんや一般住宅に於いては冬は雪の壁を眺めることになるし、
夏場といえども、吹き渡る「涼風」を楽しめる期間は1ヶ月程度。
であればと北海道人は自然とのふれあいについては、
より直接的なジンギスカンなどで純粋な野外パーティ志向になり、
家はハコとしての密封性を高める方向に舵を切っていった。
いわば暮らし方の方で「メリハリ」をつけていったと言えるでしょう。
日本伝統住宅と北海道の家が枝分かれした最初期のパーツでしょう。
その後、北海道住宅は家の中の「環境性能」志向を高めた。
そこで検討されたのがいわば「いごこちの科学」。
温度や湿度コントロールが主に寒冷期を対象に探究され、いごこちが論議された。
で、そういういごこち研究の成果を通過してきて、今度は日本人として
もう一度、この縁側空間というもののオモシロさに帰り着く部分がある。
北海道での体験を経た上での伝統住空間のいごこちや体感的心地よさ再発見。
本州以南のニッポンでは、冬場でも雪はあんまり降らないので、
積雪を心配することはない。大体は縁側は南面して開放・造作される。
庭園主体の建築で被写体への採光鑑賞目的から一部に北面するものもある。
太陽光を受けた庭の輝きを視覚的に愉しむ意味ですね。
しかし圧倒的多数は南面する縁側空間というものに日本人は慣れてきた。
軒が張り出しているケースが多いので、日射制御コントロールが
さまざまに「デザイン」されるけれど、縁側本体では
「ひなたぼっこ」という楽しみが演出装置されることになる。
たぶん秋から冬、そして春にかけて、8ヶ月以上はこの体験装置空間になる。
この縁側でまどろむ、という民族的体感が現代住宅から消えつつある。
これってよく考えてみると、住宅の「温熱快楽体験」として
家庭風呂にも匹敵する建築装置ということができるのではないか。
もちろんその季節毎で太陽輻射熱によって得られる温熱体感は違うけれど、
縁側の自然素材の板の間から薫ってくるニオイまで含めて、
独特の民族的癒やしの空間であり「温熱装置」の側面が強い。
炎などはないけれど、一種の「暖房的建築装置」という理解もあり得る。
天気の良い日に縁側で過ごすというシアワセ・贅沢ぶりは、
現代的な住宅ではいまや見果てぬ夢。その喪失への残念感が募る。
さらに、直火輻射の囲炉裏のある空間は、古民家での最大の見せ場。
写真は川崎・日本民家園のなかの古民家で囲炉裏に火を入れたところに
見学で訪れていた小学生軍団が押し寄せている図(笑)。
手前にはかまどとせいろ蒸しも置かれていて、
なんとも賑やかで、そして煙い囲炉裏火だけれど、
子どもたちの明るい笑顔が底抜けで、釣り込まれるような「あたたかさ」。
温熱としては炎からの直接的な輻射熱だけれど、
心理に染みわたってくるような独特の幸福感で満たされる。
たしかに温熱で言えば、全体に一様なものではなく局所そのものだけれど、
北海道人感覚からするとかえって、これはこれ、という気分が感じられる。
縁側での太陽熱による輻射体感と、囲炉裏の直火による輻射体感。
かなり魅力的で自然な温熱体験とあこがれを持って見てしまう。
こういった古民家の「温熱装置」、単なるノスタルジー以上に
なにか訴えかけてくるものがあるように感じられます。