三木奎吾の住宅探訪記

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。

【コロナ後・社会復元へ明治開拓者からのエール】

2020-06-17 07:12:34 | 日記




さて昨日は超久しぶりに札幌を離れて、旭川まで往復。
片道約150km内外なので往復300km走って「取材」してきましたが、
その取材内容はあした以降に詳報させていただきます。
それよりも、ホント久しぶりに札幌を離れられるようになったので、
少しは「慣らし運転」が必要のように思っています。
上は一昨日、札幌の隣町・石狩市に「慣らし運転」したときの写真。
2時間ほど時間に空きができてカミさんに背中も押され
「ちょっと遠くへ」という感じで走ってみた次第。
2月の中旬、15日に東京出張から帰って来て以来、
ほぼ札幌市内だけしか「外出」してこなかった。
約4カ月間の「行動抑制」期間を過ごしてきているワケですね。

まぁこれはこれで、いろいろな整理整頓活動に振り向けられたので
たいへん貴重な体験期間だったと思います。
じっくりと足下を見つめてその基盤を踏み固めるという時間は
あんまり経験してこなかったともいえる。
昭和中期の人間として、根強く行動欲求の強いタイプなのかも知れません。
そういう人間がほぼ強制的に「StayHome」的な仕事環境に置かれたことで
逆に新鮮に経験できたことが多かったとも思っている次第。・・・
しかしやはり昨日一日、外出してZOOMではないビジネス面談機会を得ると、
いろいろな人間情報のやり取りが感じられ、得るものが多い。
もちろんZOOM的な要件特定された「打合せ」というのも今回体験で深まった。
これからアフターコロナの仕事世界は、その両方の「組み合わせ」なのでしょう。

おっと、写真の説明ですが、
ぶらっと慣らし運転だったので、道端で「伊達邦直主従北海道上陸の地」という
見たことのなかった看板に導かれて石狩川河口に迷い込んだ(笑)。
ご存知のように北海道は150年前まではほとんど開拓者はいなかった。
戊辰戦争で敗軍側であった仙台伊達藩からは数度にわたって
藩士主従が集団移住を行って、なんとか定住を完遂させたのですね。
その足跡の実地というのは足を向けたことがなかったので、
新鮮な気付きも得られた次第。まことに茫漠たる地。
伊達藩からの移住では、道央の太平洋側、地名にも「伊達」が残る地域と
こちら石狩東方の「当別」地域、さらに札幌市内の「白石」区と
数カ所入植の地名痕跡がありますが、
こちらではそこそこの人口集積のあった石狩をめがけて上陸した様子がわかる。
碑文を見たら、キビシイ越冬ぶりとそのなかでも数人の赤ちゃんが誕生したりして
主従に「希望」をもたらしたというような記述も見える。
幕末明治の混乱期、一族の生き残りをかけて厳しい風土に立ち向かった人々の
思いから、いまの時代、コロナ禍からの社会復元のわたしたちへ、
なんとなくメッセージを受け取ったような気分がしておりました。


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