「隈研吾が気密性の高い建物を否定的に語った?・・・」
・・・という論議必至の印象が知人のFacebookに書かれていた。
「番組として断片的で、誤解を生むのではないか」
という不安感に満ちあふれた感じで書かれていて、
わたしのようなメディア人としては、「おお隈研吾がついに・・・」
という「ことあれかし」野次馬精神が正直、盛り上がっておりました(笑)。
ただ、それは出張でのクルマ長距離(往復300km)移動中。
データ通信量が今月使用分から「最適化」させたばかりだったので、
どんどんそれを消費するスマホでの情報取得は難しかった。
それと目の前の取材を最優先させる必要もあったので
当然、順番は後回しになって、ようやく昨日17日午後、時間が出来た次第。
「見逃し番組」を見逃さない「NHK+」にユーザー登録して、
放送された6.16朝7時のNHKニュースをチェックいたしました。
これって便利。見逃さない機能がテレビに付くのはいいWEB活用。〜これ横道。
で、全文書き起こしも可能な状態にはなったのですが、
それは今後の展開次第ということで、本日は論評的紹介であります。
隈研吾さんとしては、非常に現代的な感受力で新型コロナ禍を受け止め、
そしてそこから得られた「気付き」に基づいて
アフターコロナの建築について「直感的方向性」を語っている。
それが「ハコからの脱却」というコンセプト。
アンカーの女性アナがインタビュー後の感想を話していましたが、
「隈さん自身、外出自粛で勝手が狂って体調を崩した。で、身の回りを散歩し、
そこでいままで目を向けられなかった、細い路地とかなどに
ハッとするほど気持ちのいい空間があることに気付いた」とのこと。
そこから、現代建築は「効率性の高い」空間を求めて、コンクリートやガラスで
ひたすら機能集約型の「気密性の高い」空間に人間を押し込めてきたのではと
反省の気持ちが強く浮かび上がってきたのだという。
〜たぶん、知人的にはこの「気密性」という単語に違和感を持ったのでしょう。
そういう危惧を抱くこと自体は理解出来ます。
とくに番組編集で「ハコとは気密性の高い建物」とエッジが効いてもいた。
しかし隈さんの意図は少し違いがあると思われた。
「効率性が高いハコ空間に人間を押し込めることが、
仕事効率も高いと信じていたが、
実はそれはまったく人をシアワセにはしていないのではないか」
というのが、キーワードだと思う。
「ハコにいれば効率よく仕事できるというのは勘違いで、
むしろ詰め込まれることでの非効率、非人間性に気付かされた。
便利、効率ということへの集中が人間をどんどん不幸にしている」という直感。
そこから、アフターコロナの建築の方向性として
「地面を歩く人間目線で都市空間を考えることを始めたい」
その流れから、京町家のような「人間環境」に思いが向いていると。
あのような「ウチとソトが一体化した人間環境空間」を
現代の技術で再度構築していくことに、ファイトを感じる、という。
ここでも「気密性の否定」というような危惧を抱かせるとは思えるけれど、
このあたりは、高断熱高気密技術発展のただなかに居続けた
圓山彬雄さんなど北海道の建築家たちが以前から発言し実践してきている
建築的「中間領域の魅力化」と、ほぼ同じ内容だと受け止められた。
むしろキーワードは「現代の技術を使って」の部分で、
高断熱高気密に進化した技術を活用して京町家的な魅力的都市空間を
どうやったら現代に構築できるのか、がお話のキモだと思った次第。
その意味ではまったく「隈研吾さん素晴らしい。その通り」。
さらに都市が取り残してしまった「不活用の空間」にも視点が及び、
IT活用のテレワーク環境で、いまは眠っている無数の空間資産を
人間にとって魅力的なものとして活かす都市リノベへの思いも語っていた。
建築は「人間をシアワセにする」空間を作る営為。
そのための技術の発展はそれをフルに活用しながら、
しかしやはり「人間目線」で常に捉え直していく必要がある、
そのための大きな気付きのきっかけが今回のコロナウィルスなのだ、ということ。
隈研吾さん、番組を視聴して間接的・便乗的に「取材」できた次第。
見逃し番組チェック機能は、有益と深く感心であります。