三木奎吾の住宅探訪記

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。

【今生と他生〜こんじょうとたしょう〜】

2021-01-26 05:37:37 | 日記

「袖ふれあうも他生の縁」というコトバがある。
この「他生」というフレーズはよく誤解される。
多少というように、ほんの少しというような意味合いで捉えられることがある。
多くの人に問いかけると、みごとにこの誤解が広がっている(笑)。
日本語の危機でもあり、また「進化」でもあるのかも知れない。が、やはり違う。
コロナ禍のストレス発散で冬の雪道を散歩する毎日。
人が通れば道になる、というような格言通り、いろいろな広さの道ができる。
こういう雪道は北国らしい冬の楽しみでもあるかも知れない。
人間一人がようやく通れるくらいの広さは、
たぶん30cmくらいの広さになっている。このくらいの広さを1寸という。
ただ、これくらいの道幅だとすれ違うことが困難。
で、どちらともなく「譲り譲られ」というコミュニケーションが成立する。
譲っても譲られても、お互いに会釈することになる。
「ありがとうございます」
「いえ、どういたしまして」
・・・というときに、先述のコトバがアタマのなかに生起する。
一期一会だけれど、同じような道を通って同じ時間を共有する。
他生というのは、〜今生(こんじょう)に対し、現在の自分がその生れ変りである
過去の生、および生まれ変わって行く未来の生。前世および来世〜。
そういうことをこういう出会いに掛け合わせる精神性。

不思議なもので、この30cmくらいの道幅を超えると
すれ違うことができるからか、そういった心情を持つことはない。
1寸という単位はよくできた単位で、次に多くなるのは2寸程度の道幅。
これだとなんとかすれ違うことができるので、なにも感慨を生み出さなくなる。
それ以上の道幅となると機械除雪が入って、ほぼ135cm程度の道幅になる。
で、1間となるとほぼ1.8m。あるく道としてはおおむね用を足せる。
奈良の都の造営とほぼ同時期に日本の街道が整備されたという。
どんなカタチだったかといえば、以下のようなWEB上の記述がある。
〜その本来の姿は平地では両側溝を備え、その幅は側溝間の芯々距離で
六・九・一二メートルなどが多く、いずれも丈(約三メートル)の倍数が多い。〜
<みやこ町歴史民俗博物館/WEB博物館「みやこ町遺産」 >
律令国家を志向した日本社会はまずまっすぐな大道を作り始めた。
律令という社会の規範を通すということと道をつくることが重なった。
道とひとのいのちとは、どうも昔から縁の近い捉え方をされてきたといえる。
先人の考えたことというのは、人間の真実が宿っている。

冬の雪国では、こういう「還元的原点回帰」を容易に経験できる。
ただ、最近加齢とともに「他生」というコトバに強く反応するようになった。
だれかが最初に歩いた道を、ゆっくりと踏みしめながら歩く。
それもまた他生の感じ取り方なのかも知れない。

<英語版は諦めました(笑)。こういう定型日本語フレーズはAI理解不能のよう>

【床の間前身「押板」と生活文化/日本人のいい家⑲-4】

2021-01-25 05:41:00 | 日記


わたしは箱木千年家というようなホントに1000年以上実在の古民家も
見学取材してきていますが、
この「九十九里の網元」作田家も17世紀1600年代後期ということで、
350年前後以前の建物。さすがにこういう時期の建物はめったに見られない。
本日は4回目、最終回です。
日本住宅の様式的装置として、床の間がありますが、
民家で床の間というのはこの時期としてはあまり見られず、
その「前身」といわれる「押し板」という建築意匠がこの「カミ」空間に
造作の仏壇と併置されていました。
押板は仏壇とともに宗教的祭祠の場だったのかも知れないのかと。
〜中世の座敷飾りで壁下に作り付けた奥行きの浅い厚板。
現在の床の間の前身。〜というような百科事典での説明文。
床はだんだんと奥行きが増していって「床の間」になったようですね。
こちらでは裏に隠居部屋「ナンド」があって、カミの空間でその方向に
仏壇と押し板がある。仏壇も一定の奥行きがあるようなので、
それと同じくらいの「床」+間があったものかと思われる。
ただし、その後の後世に「オク」という座敷に本格的な床の間が造作されている。
床の間と押板が併存していた様子がわかります。
押板、という表現からするとただの壁の一種というように受け取られますが、
左側の仏壇(薄手に感じる)とのセットで発展した様子がしのばれる。
同じように柱の間隔にそろえた幅を持っていて、
造作で作られていた様子がよくわかる。
やがて仏壇が徐々に奥行きを持ち始めてそれにつられ床も「間」を持つようになった?
先祖崇拝が基本の「家」文化のなかで仏壇が主導するかたちで、
日本建築のコア部分となっていったものではないか。
いずれにせよ、そういう事情が痕跡として保存されているのは貴重。
現代では仏壇というものは高級専門家具としてかなりの「奥行き」を持っている。
まるで奥行きがその家の歴史の古さを象徴するかのようだ。
ものには発展の「方向性」のようなものが表現されていると考えれば、
写真のような薄い柱間利用からスタートした文化空間が、
そういった方向に進化していったと想像が湧いてくる。興味深い。

一方こちらは「チャノマ」とされる土間隣接の空間。
チャノマは囲炉裏を中心に日常生活が営まれる所で、もっと古い時期にはおそらく
カミとの仕切りはなかっただろうと推測されている。
左手の引き戸建具の奥は「ナンド」と呼ばれる隠居老人室。
右側にはやや出っ張った空間として収納空間がある。
間取りを確認すると、ナンドのさらに奥にオク座敷があって床の間が並行。
押板とは別に造作された「床の間」に相応している。
とくに増築のことは調査報告からは記述がないので、
創建時350年程前には床の間は成立していて、押板はもう少し違う用途が
考えられていた空間だった可能性もある。

さらにこちらは、ちょうど仏壇・押板と対面する位置のカミの開口部に
まるで木製建具のように造作された前面の3間の格子窓。
この時期の関東の古民家に共通する構えであるとされている。
下の写真は、この「格子窓」をオモテ側から見た様子。

用途としては「間の戸」ということが想像できる。
日本の窓はこの「間の戸」の発展形であり西洋の窓は風穴Wind+owと言われる。
たぶん寒季にはこのように閉じ、暖季には外して開放していたのではないか。
もっと格式の高い建築であれば縁が回されて、室内との仕切りには
障子建具などが作られたところ、折衷的な建築表現で採用されたか。

やはり古民家・古建築には
日本人が親しんできた生活文化が明瞭に刻印されていることがわかる。
もっと全国各地への探究への思いは強まるばかり。
コロナ禍がほとほと恨まれるばかりであります・・・。

English version⬇

[Tokonoma predecessor "Oshiban" and lifestyle / Japanese good house ⑲-4]
The core part of Japanese architecture along with the Buddhist altar in the "house" culture, which is based on ancestor worship. Life culture that Japanese people have been familiar with.・ ・ ・

I'm a Hakogi Millennium House, and there are also old folk houses that have existed for more than 1000 years.
I have been interviewing for a tour,
This "Kujukuri Amimoto" Sakuda family is also in the late 17th century 1600s.
Building before around 350 years. As expected, buildings of this period are rarely seen.
Today is the 4th and final round.
As a stylized device for Japanese houses, there is an alcove,
Tokonoma in a private house is rarely seen at this time,
The architectural design called "push plate", which is said to be the "predecessor", is in this "kami" space.
It was juxtaposed with the built-in Buddhist altar.
I wonder if the push board was a place for religious rituals along with the Buddhist altar.
~ A shallow plank built under the wall with a medieval tatami room decoration.
The predecessor of the current alcove. An explanation in an encyclopedia such as.
It seems that the floor gradually increased in depth and became a "tokonoma".
Here, there is a retired room "Nando" in the back, and in that direction in the space of the kami
There is a Buddhist altar and a push plate. The Buddhist altar also seems to have a certain depth, so
It seems that there was about the same "floor" + space.
However, in later generations, a full-fledged alcove was built in a tatami room called "Oku".
You can see that the alcove and the push plate coexisted.
From the expression "push plate", it is perceived as just a kind of wall,
You can see how it developed as a set with the Buddhist altar on the left side (it feels thin).
In the same way, it has a width that matches the distance between the pillars,
You can see how it was made by the structure.
Eventually, the Buddhist altar gradually began to have depth, and along with it, the floor also had a "pause"?
In the form of a Buddhist altar in the "house" culture, which is based on ancestor worship,
Isn't it the core part of Japanese architecture?
In any case, it is valuable that such circumstances are preserved as traces.
In modern times, Buddhist altars have a considerable "depth" as luxury furniture.
It's as if the depth symbolizes the history of the house.
If you think that things express something like the "direction" of development,
The cultural space that started from the use of thin pillars as shown in the photo
Imagine that it has evolved in that direction. Interesting.

On the other hand, this is the space adjacent to the dirt floor, which is called "Chanoma".
Chanoma is a place where daily life is carried out around the hearth, probably in older times.
It is speculated that there would have been no partition with the kami.
Behind the sliding door fittings on the left is a retired old man's room called "Nando".
There is a storage space on the right side as a slightly protruding space.
When I checked the floor plan, there was an ok tatami room further back in Nando, and the alcove was parallel.
It corresponds to the "tokonoma" that was created separately from the push plate.
In particular, there is no description of the extension from the survey report, so
The alcove was established about 350 years ago when it was built, and the push plate has a slightly different purpose.
It may have been the space that was being considered.

Furthermore, this is the opening of the kami just facing the Buddhist altar and push plate.
A three-storied lattice window on the front that looks like a wooden fitting.
It is said to be a common stance for old folk houses in the Kanto region during this period.
The photo below shows this "lattice window" seen from the front side.

It can be imagined that it is used as a "door between".
Japanese windows are a development of this "Mado", and Western windows are called wind holes Wind + ow.
Maybe it was closed like this in the cold season and opened in the warm season.
If it is a more prestigious building, the edge will be turned, and it will be a partition from the room
When shoji fittings were made, was it adopted in an eclectic architectural expression?

After all for old folk houses and old architecture
It can be seen that the lifestyle culture that Japanese people have been familiar with is clearly engraved.
My desire to explore all over the country is only getting stronger.
The corona wreck is just a grudge ...

【江戸期大企業主・網元の家/日本人のいい家⑲-3】

2021-01-24 05:27:50 | 日記



千葉九十九里の網元の家、その3です。
全国各地の古建築を収集し続けたのは当時の川崎市長のプランとのこと。
こういう「民俗」保全に公的な取り組みが果たした役割は大きい。
住宅にはその地域の経済社会の総体がさまざまに刻印されていく。
現代社会での規格大量生産型住宅ではあり得ないような民俗性表現に
その時代を読み解くさまざまな情報がピンナップされると思います。
それを手掘りすることで、いまの家づくり、生き方にも示唆が得られる。
よくこうした民家園ではこどもたちの「社会学習」が催事される。
非常に素晴らしいことだと思います。
フランスでは教育の一環で住教育があるとされますが、
日本でもこうした古民家群にはそういう機縁・可能性が濃厚。
純粋なこどもたちの感受性に先人たちの生き様が伝わって欲しい・・・。


きのうこの家の最大の「見せ場」、飛龍のような軸組の豪放さを紹介した。
やはりというか、多くのみなさんから注目されたようで、
とくに現代住宅との対比において、大工棟梁と大工たちのものづくりの姿勢に
大いに感銘を受けられたように思いました。
あんな曲がり材、暴れ放題の材を知恵と技を集中して仕上げる。
そういう表現の迫力を、とくに子どもたちに感じてもらいたい。
ひとが仕事を通してなにをできるのか、
そんな先人たちのいのちの叫び声が感じられると思われるのです。
ともすれば「お金を儲ける」ことが人生の主目的になってしまう現代。
しかし、先人たちは仕事を通してはるかに大切なものを教えてくれている。

本日紹介の網元家の写真は座敷空間と「風呂・厠」。
この家は「作田家」住居。作田家というのは現在の地名としても残る。
この地域の名主も務める上層家系にして地域経済の主宰者。
大地引き網漁を営んでいて、網船2艘を使う大がかりなもので、
船方70人と岡者と呼ばれる網を引くときだけ手伝う農民も含めて
200人以上の労働力を動員する地域を挙げた「大企業」。
船大工、鍛冶屋、網職人、鰯加工業者まで傘下に抱えていたという。
船大工は素性の異なる木材への深い技術洞察と読者の方から指摘も。
「カミ」空間の飛龍軸組との技術的な連関があったかどうか。
作田家の主な漁獲物はイワシで、干鰯(ほしか)や〆粕(しめかす)といった
農業肥料にされたといわれます。これは江戸期を通じて発展した
京都のファッション産業の主原料・綿栽培の基礎になった生産物。
ちょうどこの時期、北海道でもニシン漁がさかんになるけれど、
同様の需要に充てられた。江戸期の消費経済循環の重要な側面ですね。
作田家の主人は「ダンナサマ」妻は「ジョウサマ」と尊称された。
ジョウサマほか、作田家の女性は外出に駕籠を使用したとのこと。
地引き網で大漁になると、ハダカの漁夫がジョウサマへ
走って駆けつけて報告するという「しきたり」が伝承されていたとのこと。
なにやら、民俗として生々しさが感じられる。


江戸期は武士階級は支配者ではあっても、経済活動にはほぼ関与しない。
したがって、このような上層庶民が経済をすべて動かしていた。
地域にとって経済のほぼ全てを掌握する存在。
武家住宅のように格式的ではないけれど、この写真のような
ゲンカン・中の間・奥という3間取りという座敷空間が上層生活ゾーン。
ふろばとかわやは別棟で縁伝いに本家建物と接続されていた。


English version⬇

[Edo period large business owner, Amimoto's house / Japanese good house ⑲-3]
In France, education is education. Even in Japan, there is plenty of potential for old folk houses. The way of life of the ancestors to the sensitivity of children.・ ・ ・

Amimoto's house in Kujukuri, Chiba, part 3.
It was the plan of the mayor of Kawasaki at that time to continue collecting old buildings from all over the country.
Public efforts have played a major role in such "folk" conservation.
The housing is imprinted with various imprints of the economy and society of the region.
Standards in modern society For folklore expressions that cannot be achieved in mass-produced houses
I think that various information to understand the era will be pinned up.
By digging it by hand, you can get suggestions for the current way of building and living.
Children's "social learning" is often held in these private houses.
I think it's very nice.
In France, it is said that there is housing education as part of education,
Even in Japan, there are many such opportunities and possibilities for these old folk houses.
I want the lives of our predecessors to be conveyed to the sensitivities of pure children.

I introduced the biggest "showing place" of yesterday's house, the extravagance of the framework like Hiryu.
After all, it seems that many people have paid attention to it.
Especially in comparison with modern houses, the attitude of carpenters and carpenters in manufacturing
I was very impressed.
We concentrate our wisdom and skill to finish such bending materials and all-you-can-eat materials.
I especially want children to feel the power of such expressions.
What can a person do through work?
It seems that you can feel the cry of life of such predecessors.
Nowadays, "making money" is the main purpose of life.
However, the ancestors teach us something much more important through their work.

The photo of the Amimoto family introduced today is a tatami room and a "bath / kitchen".
This house is the "Sakuta family" residence. The Sakuta family remains as the current place name.
A high-ranking family who also serves as the head of the region and the head of the local economy.
It is a large-scale fisherman who runs seine fishing and uses two net boats.
Including 70 people on the boat and farmers who help only when pulling a net called Oka
A "large company" that lists areas that mobilize a labor force of more than 200 people.
It is said that ship carpenters, blacksmiths, net craftsmen, and sardine processors were all under the umbrella.
Ship carpenters have deep technical insights into wood with different backgrounds and readers point out.
Whether there was a technical connection with the Hiryu framework in the "Kami" space.
The main catch of the Sakuta family is sardines, such as dried sardines and sardines.
It is said to have been used as agricultural fertilizer. This developed throughout the Edo period
The product that became the basis of cotton cultivation, the main raw material for the fashion industry in Kyoto.
At this time of year, herring fishing is becoming more popular in Hokkaido,
It was devoted to similar demand. This is an important aspect of the consumer economic cycle during the Edo period.
The owner of the Sakuta family was hailed as "Danna Sama" and his wife was honored as "Josama".
It is said that Josama and other women from the Sakuta family used Kago to go out.
When a big catch is made with a seine net, a Hadaka fisherman goes to Josama
It is said that the "custom" of running, rushing and reporting was handed down.
Somehow, it feels fresh as a folklore.

Although the samurai class was the ruler during the Edo period, it was hardly involved in economic activities.
Therefore, these high-ranking people were driving the economy altogether.
Existence that controls almost all of the economy for the region.
It's not as formal as a samurai house, but like this picture
The upper living zone is a tatami room with 3 floor plans: Genkan, Nakama, and Oku.
Furoba and Kawaya were connected to the main building in a separate building.

【九十九里網元家「飛龍」軸組/日本人のいい家⑲-2】

2021-01-23 05:26:36 | 日記


日本の木造住宅建築は、在来工法と言われるけれど、
「軸組」というような言い方もする。
柱と梁が構造を支える、それらが金物に依らず構成されている様を表現する。
「あくまでも組む、のだ」という伝統建築の肉声が木霊〜こだま〜してくる。
最近は構造部材としてクレテック金物などが発達してきて
プレカットとともに木造住宅の建設には欠かせないご時世ですが、
法隆寺の宮大工・西岡常一氏が五重塔に金物補強すべしという
西洋建築由来の学会権威者である「構造設計者」に対して、
「打ち首にされてもいい」覚悟で徹底的に抵抗してついに金物補強なしで
五重塔の再建を果たした故事を想起させられる。
日本古来の木造技術には、それこそ三内丸山、出雲大社社殿などを
営々とこの列島でつくりつづけてきたプライドが強く残る。
千年を超える木造建築がゴロゴロ実在しているという奇跡的事実。
やはり「木を組み合わせて強度を高める」技術の奥行きを感じる。
軸組というコトバには、そういった木造文化が香り立っている。

そういった木造軸組というコトバがこのような写真をみると、
迫力を持って訴えかけてくると思う。
応力度計算とかいうような物理・数学的根拠を超越するような
力強い根曲がり、自由気ままな木の生命力のママの造形。
こういう軸組ぶりで350年を超える時間を耐えてこの建物は生き延びてきた。
そういう圧倒的なネイチャーパワーに打ちのめされる。
ほかの柱材や横架材はほぼまっすぐの材が使われている。
「カミ」と呼ばれたこの家の中心ゾーンにこのような木組みを見せるのは
大工棟梁の魂魄を掛けた大仕事だったのではと想像できる。
創建の17世紀、この時代大工棟梁は請け負った建物の構造材を
山に分け入って物色して歩いていたものと思われる。
たぶんある印象的な曲がりっぷりの木を見つけて、
そのあまりの曲がりぶりから着想を得て、それを中心テーマにして
この建物を作り上げていったのではないだろうか。
数本の曲がりくねった材を「どう組み上げるか」、
それこそ軸組の技術の粋を極める意気込みで挑戦したのだろう。

建築年代 江戸時代中期
主屋 桁行13.0m、梁行10.3m
とされるけれど、面積的にはこの「カミ」だけで12坪くらいはゆうにある。
17世紀後半では天井を張るというのは民家ではほぼなかったとされる。
広さといい高さといい、まことに豪放な空間に伝説の生物、龍が舞っているよう。
想像だけれど、モチーフとしては大工棟梁はそんな考えだったに違いない。
寺院建築などではよく天井画として龍が描かれることが多い。
あるいはこの家は網元の家であり、波濤を立てている水面に見立てたか。
江戸前期のものづくり魂をまざまざと見せつけられる思い。

建て主の生き方の豪快さ、大工棟梁のチャレンジ精神。
イマドキの住宅と比べて、その創造力の豊かさにおいて隔絶している。
と、思うのはわたしだけだろうか?

English version⬇

[Kujukuri Amimoto family "Hiryu" framework / Japanese good house ⑲-2]
Traditional wooden culture is scented in the word "framework". You can show off the manufacturing spirit of the early Edo period.・ ・ ・

Japanese wooden house construction is said to be a conventional construction method,
It is also called "framework".
It expresses how columns and beams support the structure, and they are constructed regardless of hardware.
The real voice of traditional architecture, "I'm just going to assemble," comes from Kodama.
Recently, kretek hardware has been developed as a structural member.
It is an indispensable time for the construction of wooden houses along with precuts,
Tsunekazu Nishioka, a palace carpenter at Horyuji Temple, says that the five-storied pagoda should be reinforced with hardware.
To the "structural designer" who is an authority on the academic society derived from Western architecture
Being prepared to be beheaded, I resisted thoroughly and finally without hardware reinforcement
It is reminiscent of the fact that the five-storied pagoda was rebuilt.
Sannai Maruyama, Izumo Taisha Shrine, etc. are the traditional Japanese wooden techniques.
The pride that we have been making in this archipelago remains strong.
The miraculous fact that wooden buildings over a thousand years actually exist.
After all, I feel the depth of the technology of "combining wood to increase strength".
Such a wooden culture is scented in the word "framework".

When Kotoba called such a wooden frame looks at such a picture,
I think it will appeal with power.
It transcends physical and mathematical grounds such as stress calculation
A powerful mama with a strong root bend and a free-spirited tree vitality.
This building has survived over 350 years with such a framework.
I am overwhelmed by such overwhelming nature power.
Almost straight materials are used for other pillars and horizontal members.
It ’s not like showing such a timber structure in the central zone of this house called “Kami”
I can imagine that it was a big job with the soul of a carpenter.
In the 17th century, the carpenter's builder used the structural materials of the building he undertook.
It seems that he was walking in the mountains and looking for something.
Maybe I found an impressive bent tree,
Inspired by that bend, and with that as the central theme
I think he built this building.
"How to assemble" several winding materials,
That is probably the challenge with the enthusiasm to master the essence of the framework technology.

Building age: Mid-Edo period
Main building, girder row 13.0m, beam row 10.3m
However, in terms of area, this "Kami" alone is about 12 tsubo.
It is said that in the latter half of the 17th century, it was rare for private houses to have a ceiling.
It's spacious and has a nice height, and it seems that a legendary creature, a dragon, is dancing in a truly extravagant space.
As you can imagine, the carpenter's builder must have been such an idea as a motif.
Dragons are often drawn as ceiling paintings in temple architecture.
Or was this house Amimoto's house, likened to the rippling water surface?
The feeling of being able to show off the manufacturing spirit of the early Edo period.

The dynamic life of the owner and the challenging spirit of the carpenter.
Compared to Imadoki's homes, it is isolated in its creativity.
Am I the only one who thinks?

【千葉九十九里網元本家の「分棟」造/日本人のいい家⑲-1】

2021-01-22 05:31:01 | 日記



民家の間取り形式として特徴的なのが、分棟形式。
現代住宅では基本的には棟がひとつでその内部で空間の用途が変化する。
しかしとくに沖縄や南方地域では、棟ごとに用途が違うという建てられ方がある。
東南アジアなどの生活スタイルがその起源のように思われる。
居間なら居間用途の棟だけ、食事をするのには別棟の台所空間に移動する。
こうした「分棟」にはいくつかの用途があるけれど、
この千葉県の網元本家では土間の「ニワ」機能空間が
座敷や板の間で構成された網元家族の空間に接続されている。
居住空間の棟は寄棟で、一方のニワ土間の方も方向が直交して寄棟が
接続されているので、当然屋根の「谷」が激しく出来上がる。
なんと、室内に「雨樋」がど〜んと渡されている。


建物屋根に「谷」をなるべく作らないという寒冷地住宅の鉄則常識からすると
ありえない光景に息をのまされる。
もし北海道にこの建物があったら、たぶん家の中に巨大氷柱がそそり立つ・・・。
こういう家の建て方は時代が下がるとともに廃れていって、
現にこの千葉の家でも移築保存された現代では大屋根でひとつの建物だった。
川崎の日本民家園に移築保存するときの調査で分棟の祖形が判明し、
創建当時の分棟形式で再建築されたのだという。
ということは生活文化伝統としては、分棟の方がネイティブに近いことを意味する。
たぶん南方由来の海民文化としてこういう建て方にルーツがあったのだろう。
この「雨樋」は栗の木の半割丸太をくり抜いてふたつの屋根を繋いでいる。
緊結には丈夫な繊維質の木皮がロープのように利用されている。
このように積極的な雨樋造作とは、やはり雨水の飲料貯水が考えられていたのか。
たしかに海浜地域であるほど、真水貯水の必要性は高かったとも思える。
むしろ屋根が交差する雨水の集中するポイントに配置するのは、
このような「ダム」的な利用を目的としたのだろうか?
川崎市教育委員会の詳細説明でも、このあたりの記述は見られない。
それともこういう雨樋はその後、存続しなかったことを考えると、
簡便な床面積拡大方法として母屋に隣接して建物を接続させて
その接続ポイントは「こうなっちゃいました」という結果受け入れだったものか、
読者の方で、奇特な方、ご教授願えればと思います。
安藤忠雄さんの「住吉の長屋」では中庭の土間には天井がなく、
トイレに行くのに傘を差していくと聞いたことがありますが、
案外民家というのは、計画的というよりも状況対応型というのが実態かも知れない。
この住宅は17世紀末のころの建築とされる。いまから350年前。
増築された寄棟土間の方はそれより数十年後増築。
分棟形式と間取りの関係、住宅建築の歴史として興味深いポイントかと。
実はこのような分棟スタイルでしかも棟を「繋げた」雨樋という事例は
ほかでも見たことがある。なので必然性があったに違いないと思うのです。

建築探偵団の民家探究の迷路は続くよ、どこまでも・・・。
明日以降も、この分棟住宅続篇であります。


English version⬇

[Chiba Kujukuri Amimoto Honke Branch building / Good Japanese House ⑲-1]
Historical transition of residential space sorting and floor plans and "branch building format". A symbolic and dynamic chestnut tree half-cut rain gutter. Architectural detective team.・ ・ ・

The characteristic layout of a private house is the branch building.
In modern houses, there is basically one building, and the use of space changes inside it.
However, especially in Okinawa and the southern region, there is a way of building that each building has a different purpose.
Lifestyles such as Southeast Asia seem to be the origin.
If it's a living room, it's just the living room, and to eat, move to the kitchen space in the annex.
These annexes have several uses,
In this Amimoto head family in Chiba prefecture, there is a "niwa" functional space in the soil.
It is connected to the space of the Amimoto family, which is composed of tatami rooms and boards.
The building of the living space is a hipped roof, and one of the Niwa soil floors is also a hipped roof with orthogonal directions.
Since they are connected, naturally the "valley" of the roof is created violently.
How, "rain gutter" is handed over in the room.

This kind of house construction is becoming obsolete as the times go by.
In fact, even this Chiba house was relocated and preserved in modern times, and it was a single building with a large roof.
A survey on relocating and preserving it in a Japanese folk house in Kawasaki revealed that,
It was rebuilt in the "branch building" format at the time of its construction.
This means that the branch building is closer to the native as a lifestyle culture tradition.
Perhaps it had its roots in this way of building as a marine culture originating from the south.
This "rain gutter" is made by hollowing out a half-split log of a chestnut tree and connecting the two roofs.
Durable fibrous bark is used like a rope for binding.
Was it considered that rainwater was stored as a drink for such aggressive rain gutter construction?
It seems that the more the beach area was, the higher the need for fresh water storage was.
Rather, it is better to place it at the point where rainwater concentrates where the roofs intersect.
Was it intended for such "dam" use?
Even in the detailed explanation of the Kawasaki City Board of Education, there is no description around here.
Or, considering that these gutters did not survive after that,
As a simple method of expanding the floor area, connect the building adjacent to the main building.
Was the connection point accepted as a result of "this happened"?
I would like to ask readers, strangers, and professors.
In Tadao Ando's Row House in Sumiyoshi, there is no ceiling in the dirt floor of the courtyard.
I've heard he's holding an umbrella to go to the bathroom,
Unexpectedly, private houses may be more situation-responsive than planned.
This house is said to have been built around the end of the 17th century. 350 years ago.
The hipped roof soil floor was expanded several decades later.
The relationship between the branch type and the floor plan, and the interesting points in the history of residential construction.
Actually, there is an example of a rain gutter that "connects" the buildings in such a branch style.
I've seen it elsewhere. So I think it must have been inevitable.

The maze of architectural detectives exploring private houses continues, forever ...
It will be the sequel to this annex housing from tomorrow onwards.