人から読むよう頼まれていた原稿を読んだ。人というのは最近知り合った人のことで、作家を志している。原稿というのはその人の書いた小説のことで、200枚を優に超える。
その人の別の小説を以前読ませてもらったことがあって、それは大変すばらしい出来だった。でも何かの文学賞で最終選考まで残らなかった作品とのことだった。ただ、ぼくはその小説にいたく感心したので、感想をその人に伝えた。その感想を気に入ってもらったからなのかどうか知らないけれども、ともかく今回新しい作品を読んで下さいと言ってきてくれた。
一つの対象がある。その対象をキャンバスに写し取ろうと、なるべく正確にそれを模写する。でもそれはあくまでいまここにいる自分の視覚によって捉えられた対象に過ぎないから、対象を正しくキャンバスに写し取ることはできない。そこで、別の視座から見られた対象をもキャンバスに描くことにする。それを何度も何度も繰り返す。一つのキャンバスの中にその行為の結果を反映させれば、キャンバスの中には対象の多面性を目指した、対象とは似ても似つかない代物が描かれているだろう。
この実験を仮に「空間的」と評することが可能だとしたら、その人の小説は「時間的」と形容することができると思う。つまり、その人の志したのは、対象の時間的多面性だったのではないだろうか。存在の可能性と不可能性を巡る話だったと思う。しかしながらそれは急進的な実験性を前面に押し出してはおらず、読み物としても楽しめた。
巨大な才能と思考力だ。実力的にはいつデビューしてもおかしくない(そしてデビューしたらいきなり一線級の作家になれる)。あとは評価する側の問題だと思う。
その人の別の小説を以前読ませてもらったことがあって、それは大変すばらしい出来だった。でも何かの文学賞で最終選考まで残らなかった作品とのことだった。ただ、ぼくはその小説にいたく感心したので、感想をその人に伝えた。その感想を気に入ってもらったからなのかどうか知らないけれども、ともかく今回新しい作品を読んで下さいと言ってきてくれた。
一つの対象がある。その対象をキャンバスに写し取ろうと、なるべく正確にそれを模写する。でもそれはあくまでいまここにいる自分の視覚によって捉えられた対象に過ぎないから、対象を正しくキャンバスに写し取ることはできない。そこで、別の視座から見られた対象をもキャンバスに描くことにする。それを何度も何度も繰り返す。一つのキャンバスの中にその行為の結果を反映させれば、キャンバスの中には対象の多面性を目指した、対象とは似ても似つかない代物が描かれているだろう。
この実験を仮に「空間的」と評することが可能だとしたら、その人の小説は「時間的」と形容することができると思う。つまり、その人の志したのは、対象の時間的多面性だったのではないだろうか。存在の可能性と不可能性を巡る話だったと思う。しかしながらそれは急進的な実験性を前面に押し出してはおらず、読み物としても楽しめた。
巨大な才能と思考力だ。実力的にはいつデビューしてもおかしくない(そしてデビューしたらいきなり一線級の作家になれる)。あとは評価する側の問題だと思う。