快談爺流離日記

思いの儘に記す自然を好み身近の被写体を撮り歩く暇爺。

青春をいつまでも・・・

2009年08月25日 11時58分43秒 | ノンカテゴリ
懐かしい看板のⅡ、「銀座の恋の物語」
1944年生まれ前後の青春真っ只中の若者たちが、興味を持った日活青春映画の代表作でもあった。

「銀座の恋の物語」は未だ衰えを見せぬ、カラオケ・デュエット曲でも有る。
「心の底まで しびれるような・・・」で始まり・・・
じいちゃん、ばあちゃんが、青春時代を想い浮かべ歌に酔いしれ・・・光景を今でも見る。

石原裕次郎は当時の若者に、勇気と夢を与えてくれた歌手(役者)であったと思う。

「銀座の恋の物語」映画製作1962年
映画では、(伴 次郎)を演ずる石原裕次郎・(秋山久子)を演ずる浅岡ルリ子・(宮本修二)を演ずるジェリー藤尾・・江利チエミ・清水将夫・・

あらすじ

伴次郎はジャズ喫茶のピアノ引きの宮本と一つ部屋を仕切って同居する絵かきで、「銀座屋」の針子・秋山久子を愛していた。
そして二人は一緒に考えた”銀座の恋の物語”を大事に胸に秘めていた。
次郎と宮本は、苦しい生活の中で助け合った。次郎は久子の肖像画作成に没頭した。
一方宮本はバーテン達の企みで、クラブをクビになってしまった。
次郎は久子と結婚する為に信州の母の処へ行くことになった。田舎いきのため、次郎は今まで売ろうとしなかった久子の肖像画を
春山堂に売り払った。出発の日新宿へ見送りにいった久子は、横から飛び出してきた車にはねられてしまった。久子は事故現場から姿を消したままになっていた。次郎にはやけ酒の日が続いた。・・・・・・・・・

次郎は久しぶりで宮本にあった。宮本は豪華なアパートに住み、次郎の描いた久子の肖像画を持っていた。
宮本の部屋からでた次郎はデパートに流れる久子の声を耳にした。久子は記憶喪失症になっていた。次郎は久子の記憶回復に努めた。
次郎は二人の記憶をつながる久子の肖像画を買いとりに宮本の処へ行ったが彼は絵を手放さなかった。その時電話が鳴り、宮本は蒼然と外へ飛び出していった。彼は偽スコッチ製造の主犯だった。
彼はひそかに久子を訪れ、例の肖像画をおいて、そそくさとでて行った。数日後春山堂で次郎の個展が開かれ、会場に流れる”銀座の恋の物語”のメロディに久子の記憶は回復した。

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