昨日は有松の街並みと絞り染めをお話ししましたが、
今日は、10月の第一日曜に行われる秋祭りに纏わるお話にします、
此の祭りの主役が3種類の山車と猩々と天狗さんを題材にしてブログします、
まず山車について記します、
『布袋車』『唐子車』『神功皇后車』の3種類が有り名古屋市有形文化財に指定されています、
『布袋車』(ほていしゃ)
明治24年(1891)布袋車は玉屋町(現在の中区錦)から有松に譲り受ける、
建宝2年(1674)から若宮祭り(中区若宮八幡社)に参加してると記録されている、
建造された年月は明らかではない、
からくり人形が文字を書く、
『唐子車』(からこしゃ)
乗せている3体の人形が全部唐子である、
天保年間(1830~44)知多の豪商が20年余りの歳月をかけて造り、個人持ちの山車であった、
知多から有松に譲られたのは明治8年(1875)です。
『神功皇后車』(しんぐうこうごうしゃ)
明治6年(1873)有松で造られ水引は渡辺小華の下絵で四季の花が刺繍されている、
上山のからくり人形は神皇后と武内宿禰と前人形で構成され、前人形の神官は目と口を開けたり閉じたりしたり
さらに口から舌を出す趣向となっている。
猩々、天狗、は山車の先導をして街中を練り歩く、
人家を訪れて悪を払ったり子供を悪から救う役割もこなす、
猩々にはいろんな言われがあり中国では伝説上の動物とされている、
人に似た顔、子供の様な声、鮮やかな赤い体毛を持ち、体つきは犬や猿に似て人語を解し、酒を好む、(酒酔い)の代名詞にもなっている。
有松に猩々との繋がりは当地から知多にかけて昔造り酒屋が多く酒飲みの猩々は存在するのではないでしょうか、
海にも棲むとも言われ隣町が「鳴海」と言われて海にも関係が有るようですね。
1画は、「布袋車」山車、(ほていしゃ)
2画は、「唐子車」山車、(からこしゃ)
3画は、「神功皇后車」山車、(しんぐうこうごうしゃ)
4画は、猩々と天狗、
5画は、布袋車の羽織、





今日は、10月の第一日曜に行われる秋祭りに纏わるお話にします、
此の祭りの主役が3種類の山車と猩々と天狗さんを題材にしてブログします、
まず山車について記します、
『布袋車』『唐子車』『神功皇后車』の3種類が有り名古屋市有形文化財に指定されています、
『布袋車』(ほていしゃ)
明治24年(1891)布袋車は玉屋町(現在の中区錦)から有松に譲り受ける、
建宝2年(1674)から若宮祭り(中区若宮八幡社)に参加してると記録されている、
建造された年月は明らかではない、
からくり人形が文字を書く、
『唐子車』(からこしゃ)
乗せている3体の人形が全部唐子である、
天保年間(1830~44)知多の豪商が20年余りの歳月をかけて造り、個人持ちの山車であった、
知多から有松に譲られたのは明治8年(1875)です。
『神功皇后車』(しんぐうこうごうしゃ)
明治6年(1873)有松で造られ水引は渡辺小華の下絵で四季の花が刺繍されている、
上山のからくり人形は神皇后と武内宿禰と前人形で構成され、前人形の神官は目と口を開けたり閉じたりしたり
さらに口から舌を出す趣向となっている。
猩々、天狗、は山車の先導をして街中を練り歩く、
人家を訪れて悪を払ったり子供を悪から救う役割もこなす、
猩々にはいろんな言われがあり中国では伝説上の動物とされている、
人に似た顔、子供の様な声、鮮やかな赤い体毛を持ち、体つきは犬や猿に似て人語を解し、酒を好む、(酒酔い)の代名詞にもなっている。
有松に猩々との繋がりは当地から知多にかけて昔造り酒屋が多く酒飲みの猩々は存在するのではないでしょうか、
海にも棲むとも言われ隣町が「鳴海」と言われて海にも関係が有るようですね。
1画は、「布袋車」山車、(ほていしゃ)
2画は、「唐子車」山車、(からこしゃ)
3画は、「神功皇后車」山車、(しんぐうこうごうしゃ)
4画は、猩々と天狗、
5画は、布袋車の羽織、




