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Meditationする哲学者



オランダ・バロック絵画の巨匠レンブラント(1606~1669)の眼。
1659に描いた自画像の53歳の眼です。


Wikipedia

一昨日話題にしたデカルト(1596~1650)はフランス生まれですが、20年以上をオランダで暮らしました。特にライデン。レンブラントはライデン生まれのオランダ人であり、何らかの接点があったことが想像できます。ふたりのなかに共通する感性や志向性を感じます。あの時代の“時代精神”なのかも知れませんが。



レンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」(1632年)。
医師たちの見まもるなかで犯罪者の死体を科学者テュルプ博士が解剖する。こういう状況を絵にする感性は、東洋絵画には無い感性だと思います。西洋絵画にもそれまでほとんどなかったと思います。



「テュルプ博士の解剖学講義」の手の部分。
デカルトは「方法序説」や「省察(Meditationes)」のなかで、精神と身体を分離します。身体はモノであるという見方、機械のようなものであると説きます。



これはもっと強烈です。
レンブラントの「ヨアン・デイマン博士の解剖学講義」(1656年)
強盗罪で処刑された犯罪者の頭部を解剖しているところ。
腹部はすでに解剖されて空洞になっているように見えます。



イタリア・ルネサンスの画家アンドレア・マンテーニャ(1431~1506)の「死せるキリスト」(1490年代)。このテの絵は中世からルネッサンス、バロック、近代絵画にいたるまでたくさん描かれました。こういう絵と比較してみると、レンブラントの「解剖学講義」がいかに異様であるかがわかります。が、レンブラントは「死せるキリスト」のような伝統絵画の構図を意識してあえて、脳や腹部を解剖する絵を描いたのでしょう。



レンブラントは牛を解体した姿も描いています。
デカルトは人間の身体を機械とみなしたように、動物は魂のない機械であるとみなし、だから動物を殺しても罪悪感を感じる必要はないと説きました。これが近代合理主義の始まりであり、私たちの現代文明の基礎となっています。



レンブラントの「Philosopher in Meditation」(1632年)。
日本語訳は「哲学者の瞑想」または「瞑想する哲学者」。

これはモノとしての身体表現が希薄です。精神を描こうとしたのでしょう。自分を外界から遮断し、薄暗い部屋のなかに身をおいて沈黙する。

 冬が始まった・・・
 そのころ私がいた駐営地には
 気晴らしとなる話し相手もいなければ
 幸いなことに心を悩ます事柄や
 心をかき乱す事柄もなかった。
 そのため私は一日中一人で暖炉のなかに閉じこもり
 ゆっくり落ちついて思索にふけることができた。

とデカルトは「方法序説」のなかで書いています。
レンブラントの「Philosopher in Meditation」(1632年)は、まるでデカルトの「Meditationes(省察)」(1641年)の姿を表現しているかのようです。