照ノ富士(29=伊勢ケ浜)が、昭和以降はとなる大関復帰場所での優勝を果たした。優勝に王手をかけた結びの一番で大関貴景勝に敗れたものの、決定戦ではリベンジした。独走態勢から一転した終盤戦だったが、古傷の両膝と向き合いながら最後は意地を見せた。2場所連続4度目の優勝で、大関では自身初。名古屋場所(7月4日初日、ドルフィンズアリーナ)で綱とりに挑戦する。

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照ノ富士は「いつもよりはうれしい」と、初めての大関Vに表情を緩ませた。21場所ぶりに大関に返り咲いた今場所。優勝に王手をかけた一番は、貴景勝の突き落としをあっさり食らった。幕内の優勝決定戦は過去3戦3敗。「決定戦になるといつも負けている」と自虐的に振り返る。この日は相手の両足がそろった瞬間を見逃さず、冷静にはたき込み。初日から10連勝が一転、終盤5日間で3敗を喫したが「常に言ってるように1日一番なので」と集中力は乱れなかった。

場所前から古傷の両膝の状態が上向かなかった。兄弟子で部屋付きの安治川親方(元関脇安美錦)は「中日すぎくらいから、歩くのもしんどそう。体重がかかるたびに鈍痛があるはず」と察する。この日も決定戦を制して花道を引き揚げる際、痛みを堪えるように顔をしかめる場面があったが、膝の状態については「相変わらず普通です」。最後まで弱みを見せなかった。

勇気づけられた存在が“隻腕の力士”だった。東京・拓大第一高教員の布施美樹さん(47)は、小学校2年の時に自宅で農作業を手伝っていた際、誤って草を切るカッターで腕を切断。右肘から先をなくすハンディを抱えながら、アマチュア相撲で奮闘する模様を追ったドキュメンタリー番組を、照ノ富士は何度も見返したという。「この体でも一生懸命相撲を取っているのを見ると、自分もという気持ちになる」。両膝のけがや糖尿病などの内臓疾患に苦しんだ経験があるだけに、感じるものがあった。

来場所は最高位に挑戦する。横綱昇進の内規は「2場所連続優勝、もしくはそれに準ずる成績」。審判部長を務める師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は「準ずる成績を出せば、そういう話になる」と綱とりを明言した。「なりたいからと言って、なれることでもない。だからこそ経験してみたい。一生懸命頑張って最後に『自分の力を絞りました』と胸を張って歩きたい」と照ノ富士。全力を尽くした15日間の先に、最高位が見えてくる。【佐藤礼征】

 

◆照ノ富士の優勝決定戦 照ノ富士が幕内の優勝決定戦を制したのは初めて。15年秋場所(横綱鶴竜)、17年春場所(横綱稀勢の里)、20年11月場所(大関貴景勝)と3戦全敗だった(カッコ内は対戦相手)。十両以下の優勝決定戦でも1勝2敗。

 

<照ノ富士アラカルト>

◆初の大関復帰V 昭和以降で大関に復帰した場所(過去11例)での優勝はなく、照ノ富士が初めて。

◆双葉山ルート 関脇で優勝を果たし、大関昇進の翌場所で連覇をするのは37年(昭12)1月場所の双葉山以来(当時11日制)。双葉山は翌場所も優勝して第35代横綱に昇進した。さらに新横綱から2場所連続で賜杯を抱き、5場所連続優勝となった。

◆大関初 在位15場所目で大関として初優勝するのは初代貴ノ花、小錦、琴欧洲に並び昭和以降5番目の遅さ。最も遅いのは稀勢の里の31場所目。

◆師匠に並ぶ 師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に並ぶ4度目の優勝。

◆外国出身 外国出身力士の優勝は120度目。モンゴル出身は90度目。出身地別では北海道の120度が最多。」(原文まま)