こんにちは、トリです
(引用: 貴景勝の短くも濃密だった「幸せな現役生活」 担当記者が見た相撲道 / 時事通信【時事通信運動部 藤井隆宏】 2024年10月18日 )
https://www.jiji.com/jc/v8?id=202410takakeishoretire
(全文)https://news.yahoo.co.jp/articles/87f561e7684dae5f0819bece1dc9e6c4bfc7d6a8
「 大相撲界が「新大関」誕生に沸く中、30場所にわたって看板力士を務めた「元大関」が、28歳の若さで現役を退いた。9月の秋場所14日目。貴景勝は記者会見に臨み、「燃え尽きた。小学3年生から横綱になることだけを夢見て頑張ってきたが、目指す体力と気力がなくなった」と引退の理由を語った。涙は見せなかった。短くも内容の濃い約10年間の力士人生は「苦労もあったが、幸せな現役生活だった」。駆け出し中の新十両の頃、そして現役終盤を共に見てきた記者が、その相撲道の一端を振り返る。
(時事通信運動部 藤井隆宏)
◆若き日の十両「佐藤」
新十両から2場所目だった2016年名古屋場所。支度部屋で初めて「佐藤」を1対1で取材した。当時のしこ名は本名の佐藤貴信から。この場所、西十両6枚目で5連敗を喫するなど6勝9敗と苦しんだ19歳は「もう一度、幕下でやり直すつもりだった」。表情を緩めることなく、早口でそう話した。
佐藤は兵庫県芦屋市出身。私の祖母が同郷で、その町名を告げると「(自分の実家と)近所じゃないですか」。目を大きく見開き、途端に満面の笑みになったことを覚えている。次の秋場所。東十両9枚目で10勝5敗と奮起した。
当時は立ち合いから一気に押し切るような相撲はあまりなく、体を丸めて何度も何度も相手に当たり、徐々に勝機を見いだす。そんな取り口だった。数年後に大関に就くような「大器ぶり」を感じることは、正直まだなかった。その一方、怪力で知られたエジプト出身の大砂嵐に顔を張られ、佐藤が猛然と張り返したシーンも。気持ちの強さに驚かされ、記者たちの間でも話題になっていた。
◆たたき上げ力士をリスペクト
支度部屋で冗舌に相撲内容を振り返ることは、あまりしない。代わりに付け人だった貴源治(元幕内)が負けた時は、本人を横に多弁に相撲内容を解説し始める。何度も「俺より潜在能力はあるんですよ。こんな番付にいるはずじゃないのに」と口をとがらせた。
高校相撲で屈指の名門、埼玉栄高時代に世界ジュニア選手権で優勝した。同学年で静岡の高校生だった翠富士にとっては「自分たちの世代のトップを走っていた」という存在。意気揚々と貴乃花部屋に入門したが、最初の稽古で年下だった貴源治に屈し、鼻っ柱を折られた。苦笑いしながら当時を思い浮かべ、「あの瞬間、俺は世界1位から32位ぐらいになってしまった」。中卒たたき上げ力士の実力を肌で知り、以来、彼らをリスペクトするようになったという。
埼玉栄高時代の思い出話も興味深かった。夕食では怖い3年生の先輩たちに肉などのおかずを先に食べられてしまい、自分は「キャベツ専門」だったとか。入学時に130キロほどあった体重が一時は13キロも減ったが、先輩たちが卒業した途端に1週間で大きく戻ったという。相撲部の山田道紀監督には礼儀や掃除など一から教えてもらい、「心で怒ってくれる人だった」と尊敬の念を口にしていた。
◆認めたくない「ターニングポイント」
21年の春。記者が約4年ぶりに相撲担当に戻ると、十両だった「佐藤」は大関「貴景勝」に出世し、既に2回の優勝も経験していた。稽古場で相撲の話を聞いても仏頂面でつれない返事をされることが多かったが、記者が少ないと「これは(ノートに)書かんでいいから」という言葉を合図にいろいろな話をしてくれた。
初めての上位総当たりとなった17年名古屋場所では白鵬、稀勢の里ら横綱大関陣に歯が立たなかった。特に横綱日馬富士には、「潜り込んでくる頭の軌道が見えた」という低いスピードの立ち合いをされて仰天した。毎日のように体の芯までダメージを感じるような当たりを受け続け、ぼろぼろに。けがも重なり「このまま引退していくのか」と不安が頭をよぎった。
何かを変えなければと思い、好きなだけ食べて飲んでいた生活を見直し、現役でいる間は我慢すると決心。トレーナーと相談して場所の初日を逆算した食事メニューを組んだ。ただし、「(その頃が)テレビや記者さんが強調したがる『ターニングポイント』だとは思いたくはない。上位と当たって力が付いてきたのかもしれないし、ちょうど稽古の成果が出てきたのかもしれないし」。きっぱりと、そう言った。
稽古場で見せる繊細さ
稽古場では場所が近づくにつれ、大きな鏡を見詰める場面が目立つようになる。体の膨らみや張りを客観的に観察し、相撲を取る稽古に移る時期を探るためだ。「体一つでやっている商売なので人一倍、自分の体に、けがに敏感にならないといけない。白鵬関はその辺がすごいと思う」と語ったことも。
本場所が始まれば、たびたび「準備」の大切さを口にする。「勝負は土俵だけではなく、朝の稽古、夜の食事から始まっている」。前日の晩から何を食べ、稽古場で何をするかなどをいろいろ決めてこなしていく。そうすることで「土俵上の不安を減らせる」からだという。コロナ期間中で外出ができない時期は、妻に頼んで15日間、同じメニューの夕食を食べ続けたこともあった。
勝った理由よりも、負けた理由が明確なことの方が多い。「(勝負に)運が占める割合は低いと思うし、そんなに甘い世界でもない」。連敗する理由は精神的な部分によるものだと分析し、雑念を捨てて臨んできた。「稽古場でやってきたことが本場所に出る。負けていると『あれもこれもやらなきゃ』と土俵で思って、動きがワンテンポ遅れてしまう」
◆後輩の指導は言葉で理論的に
負けた時ほど、支度部屋で口を開こうと思った時期もあった。「負けてしゃべらない方が格好悪い。対戦相手の立場になっても、自分が負けてしゃべらなかったのを伝え聞くと『ああ、引きずっているんだな』と思うから」。首を痛めても頭から激しくぶつかる立ち合いは変えず、「怖くて当たれないなら、もう引退した方がいい」と言い切ったことも。決して大きくはない体で大関を張ってきた自負がそこにあり、負けん気の源を見た感じがした。
後輩の指導にも熱心。言葉で簡潔に押し相撲の基礎を教えていく。両手と頭の3点を同時に相手につける。腹に力を入れ腰を割りながら前に出る。両手は相手が体をずらしにくい心臓付近を突き、脚の筋力を生かして押す―。理論的で、言葉にして伝えるのも上手だった。
ある日は、ぶつかり稽古で息も絶え絶えの若い力士に、厳しい言葉を投げかけ続けた。稽古後に記者たちがその点に触れると、「あいつは将来強くなるので、よろしくお願いします」と一言。ホッとするような温かい空気が、その場に流れた。
◆「気持ちで負けたら終わり」
秋場所の初日を3日後に控えた9月4日。1人で常盤山部屋の朝稽古を訪れると、貴景勝は黙々と四股を踏んでいた。部屋の関取、隆の勝が出稽古で不在。ということは、場所の直前になっても相撲を取る稽古が不十分なのか。そう予想できた。好調時なら「冷蔵庫」のような体つきを見せる。それを示す背中や肩の筋肉の盛り上がり具合も、どこか寂しかった。
あえて調整具合などを聞くのもやぼかな、と思った。話題は今夏のパリ五輪に。柔道では一流選手たちが常に負ける姿を想定しながら自分を追い込んでいるという話を振ってみると、貴景勝がボソッと答えた。「戦略的に負けることはあっても、自分は気持ちで負けたら終わりだと思っているから…」。最後になるかもしれない場所への覚悟とも感じ取れる言葉に、こちらも質問を畳み掛けることができなくなった。
場所中の14日目に行われた引退の記者会見。報道陣からの質問も尽きかけた頃、思い切って聞いてみた。「ずっと現役生活を相撲にささげてきたと思うが、引退して趣味だとか、やってみたいな、と思うことは出てきそうか」。多くの記者に見られている緊張感から、自分の語尾が少し震えているのを感じた。貴景勝は、にやりと笑いながら「大相撲に貢献できるような力士を一緒に頑張って(育てて)みたい」。答えらしい答えにはなっていなかったが、久々に笑顔を見た気がした。「湊川親方」として歩む第二の相撲人生。情熱と理論とストイックさを兼ね備えた華のある力士を育てる姿が、今から楽しみだ。」(原文ママ)
<駄 文>
貴景勝関の引退のニュースは、場所中の突然の電撃引退で、かなりビックリしました
引退前の数場所は、首のケガで(借金の意味ではなく)首が回らないほどヒドイと聞いていましたし、やはり首をかばって立ち合時にどうしても力負けしてしまう相撲を見ていると『大丈夫かなぁ』とトリも心配になったほどでした
トリが国技館前や地方巡業で貴景勝関をお見かけした時は、付き人さんに気を遣いながら、いつもファンサービスを嫌な顔せずに行っていて、良いヒトオーラが全方向に出ていた力士でした
親方になってからも、貴景勝関の頃の良いところ活かして後進を育ててほしいと期待します
< 駄文ぶん >
~~~~~~ 愚痴になってしまうので、以下、閲覧注意です ~~~~~~~~~
トリ事になってしまいますが・・・
ここ数ヶ月は、「ウチにはこの機器が無いから〇〇病院へ紹介します」の連続で大きな病院をタライ回しにされたり、いろいろな痛みを伴う検査をして腫瘍の様子を観察したり・・・バタバタしています
そうこうしていたら、今診ていただいている病院で「新しい(もっと深刻な)腫瘍」が見つかり、主治医が「そちらの治療が先だ」と、さらにバタバタし出しました
しばらくは”また”その新しい腫瘍のことでバタバタしそうです
そんなこんなをしていたら、駅のホームで意識を失って倒れてしまい、ちょうど友人が一緒だったので周りの乗客の方々の助けをかりて電車とホームの間で転落しかけたトリを引っ張り出してくれたそうですトリが倒れた現場に居合わせた方々ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでしたまた、友人も含めてトリの命を救うべく、トリを引っ張り出すのに協力していただいた方々へ感謝・感謝の気持ちでいっぱいです本当にどうもありがとうございました
※後日友人が「あの時、トリは意識朦朧(モウロウ)としていたから分からなかったかもしれんが、駅員が【邪魔だから速く消えろよ】という態度をむき出しにしてやって来て、感じ悪かった」とサラっと伝えてきました友人よ・・・すまぬ・・・トリが倒れてしまったばかりに・・・
ココ数ヶ月の変化として、元々トリは外食で1人前の”8割ほど”で満腹になっていましたが、半ラーメンや半チャーハンなど”半分の量”で満腹になるようになりました
今は”お子様ランチ”の量でも満腹になれる自信があるので、(”就学前の幼児まで”と限定条件無しに)大人でもお子様ランチを注文できるようにしてほしいと思う今日この頃です