出るようになった。来年の3月くらいまで製糖期に入る。
製糖期が始まる頃になると、本土の各地から出稼ぎに
出ていた人達が戻ってくる。
貧しかった時代、島国である沖縄では、新たな土地を
得ることも出来ず、その活路を沖縄県外、世界へと活路を
見出さなければならなかった。
出稼ぎの歴史は1899年(明治32年)26人がハワイに移民
したのを皮切りに7年後には4.670人、そして現在約42万人の
沖縄出身者が海外で暮らしている。
国内では関西の紡績工場や工場などから始まって、現在は
中部工業地帯のライン生産や静岡のお茶の生産工場へと
季節限定で働きに出る人が多い。
サトウキビの刈り入れ時期には戻ってくる人が多いので、
沖縄では出稼ぎのことを「キセツ」と呼んでいる。
出稼ぎ場所は主に愛知から西が多かったそうだ。
オバァが、節分のときに巻きずしをくれたことがある。
当時はテレビなど映らなかったので、島の人が恵方巻など
知っているわけがないと思っていた。巻きずしの丸かじりは、
関西特有の習慣で、関東にはそんな習慣はない。
オバァは、若い頃、関西の紡績工場で働いていたそうだ。
現在の高齢者のほとんどが集団就職や、出稼ぎを経験している。
今は逆出稼ぎで「リゾバ」
島の飲み屋に本土から期間限定で働きにくる女性たちが
多くいる。まさかこんな時代が来るとは当時の人は
思わなかっただろう。
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