子供の頃の話に花を咲かせる。
そこには、本土で育った私にとって、まるで別の国の話を
聞いているようだ
「子供の頃の楽しみと言ったら、サトウキビのお金が
入って、オトウから小遣いをもらい平良に出てきて、
ユンフルに入って、映画を見てソバを食べること
だったさぁ」
サトウキビの収穫が終わって、現金が入ると1ドルの
小遣いもらったそうだ。
そのお金でバスに乗って市内まで出てきて、お風呂に入って、
映画を見てソバを食べる。それが一年で一度の楽しみだったと
言う話を何度も何度も聞かされた。
昭和30年頃、宮古島には6軒銭湯と、大小9軒の映画館が
あったそうだ。
(宮古島に6軒、池間島に2軒、伊良部に1軒)
お風呂は焚きっぱなしの忙しさで、日ごろは街中の富裕層や
客商売の人々で込み合い大晦日から元日にかけては
農家の人が通った。農家の人にとっては、文字通りの年に
一度の垢落としだったそうだ。
お風呂代金は、8セントそして値上がりして15セント
復帰後は54円。銭湯に打撃を与えたのが昭和48年の
オイルショックで重油の値段が上がり、
経営が難しくなって廃業に追い込まれたと言う。
本土で祖母に連れて行かれトイレットペーパーを買うのに
並んでいた頃、この島では銭湯がなくなろうとして
いたわけだ。
漁師連中の昔話は、まるで別の国の物語を聞いているようで、
何度聞いても飽きない。
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