独立する為にショップをやめて、そして一緒に暮らして
いる彼女の実家に挨拶に行ったそうだ。
親の心配は、「うちの娘を幸せに出来るのか?何よりもまず、
食わせていけるのか?」そりゃそうや!私なら
「顔を洗って出直してこい!私を納得させてみろ!」と
言うだろう。
私が幼稚園か小学校にあがったくらいの頃、父が祖母に
こっぴどく叱られていたことを覚えている。
父は当時バンドマン、祖母は「太鼓やラッパを吹いて、お腹が
いっぱいになりますのか?」
父は口答えせずにだまって聞いていたように思う。
そして珍しく父と一緒に行った風呂の帰り道、父の膝の上で
コーヒー牛乳を飲みながら
「美味しいか?美味しいと楽しくなるやろ!音楽も一緒や、
喰いもんで腹はいっぱいになっても、心までいっぱいには
ならんで!」まるで映画のようにはっきりと覚えている。
母はちゃんこ鍋屋や居酒屋、おしぼり屋といくつかのお店を
切り盛りしていた。母は父より7つ年上、祖母と母は折り合いが
悪かった。父の方がずっと収入が少なかったことは、
あきらかだ。ほとんど家にいない母だったけれど、たまに家に
いるとき父や友達の演奏を聞きながら踊っていたりもした。
それなりに幸せだったのかもしれない。
父も母も「お前は好きにしたらいい。思ったように生きろ!
やりたいことをやればいい」
その言葉に後々後悔するとは・・・・
それはそうと、うちの父の事を母の家族はよく許して
くれたものだと思う。
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kijimuna
ジョン
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