言う村が存在した。昭和の初め頃まで、人家が
残っていたそうだが、吉野部落に引っ越したと
言う。あんな細い断崖絶壁の場所によく部落が
存在したものだ。きっと過酷な暮らしを
していたのだろう。
今でも東平安名崎には、絶世の美女と言われた
「マムヤ」の墓が残っている。マムヤは百名村の
生まれで、悲恋の女性の代表として唄になり
語り継がれている。琉球王朝時代、このあたりを
おさめていた按司(王家の分家、領主)妻子ある身で
ありながら、美しいマムヤに恋をした(不倫)
マムヤと結婚する事まで考えたが、周りの人から
「今は美人のマムヤがいいだろうが将来を考えると
妻に勝ものはない」と説得されてマムヤを振った!
(この先が怖い)按司に裏切られたマムヤは、
自分の身を嘆き悲しみ、平安名崎の
岩穴に身を隠し夜な夜な機を織る。
(カタンッ カタンッ)
そして、終いには崖から身をなげた。
ノイローゼ状態のようになり一心不乱に機を織る
マムヤの姿が想像できるだろうか?
マムヤの母は、あまりの悲しさに
「二度とマムヤのような美女が生まれぬように」と
神様に懇願したと言う。
いつだったか沖縄本島の松山のクラブで横に
座った綺麗な女の子がいた。
「私、宮古島の保良出身(百名村)なの・・・」って
言ってたくらいだからマムヤの母の願は
届かなかったようだ。でもマムヤの話を思い出して
アフターは丁寧にお断りした。
最新の画像もっと見る
最近の「宮古島」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事