年末年始、調子が微妙に悪かったのとおとーさんがいた事でストレスがたまって多分とても疲れていた。
それがおとーさんが出勤したことで解消。
昼寝までしている。
いや、この昼寝が結構回復に役立っていると思っている。
年末年始は、ちょっとしんどいなと思っても横になれなかった。
おとーさんが出勤した日から、たとえ30分でも横になっていると体力が回復した。
夜が遅く朝が早いのが続くと段々疲弊してくるので、昼寝は家に居る特権でOKだと思っている。
本格的に在宅ワークをしていた時は、目の疲れをとる為に昼から30分ぐらいやっぱり横になっていた。
それにしても・・・。
動かない親父が居る空間はとても苦痛だった。
近い将来それが毎日になる。
どう対策を立てるのか悩みどころだ。
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年末に義妹夫婦と義従妹夫婦で昼間の食事会をした。
子供たちも実は同年代で、ほぼみんな息子が結婚した。
その時に出た話。
「息子夫婦が来ても『外』でこうやって食べることにしている」
が3組の夫婦の共通点だった。
理由は・・・
食事の支度や後片付けが面倒というのではなく
「あっ!私が!」「私が!」とかお嫁さんに言われるのが面倒っていうより嫌。
ダチョウ俱楽部の「どうぞどうぞ」のようだ。
自分たちが散々「気を遣って」やってきたことを繰り返さないと。
そして、話題はやはり「義母」の事に。
前から書いているけど義母はこういった自宅でする集まりが大好きだった。
自宅だけではなく、自分の弟の家にもそれを押し付けた。
そこに何人も招待される。
一番多い時は20人ぐらいだったと思う。
まあ、大変。
何人かいる「お嫁さん」たちが行き場がないのと気を遣うのでみんな動こうとする。
田舎の家ではなく普通のマンションで大混雑だ。
ただ、一番大変だったのはその義母の弟の奥さんだったと思う。
義母が亡くなってから、この叔母さんが饒舌に話した内容からとても嫌だっただろうと推測される。
多分、ずっと見てきて思ったんだけど、その叔母さんの子どもたちは義母の事は嫌いだったと思う。
そういった事から、私たちはみんな「家」でするのはとても嫌いになったと言うので意見は一致した。
その話からうちの結納の話になった。
義母が「私は外食はしませんし、外の物は食べません!」と言うので、家の和室で(うちは結構広いのは広い)することにした。
義母が「からあげとか」というけど、母がそんなみっともない事は出来ないと言い、昔料理屋で働いていて和食が得意だったのと何故かうちには松花堂弁当箱があったのでそれに朝早くから母と二人で作り用意した。
義母は「私が言ったのに!キッ~~~~~!」って感じで仕出しととったと思い込み、一口も食べなかった。
10年後ぐらいに「あれは私と母で作ったんですよ」というと「食べたらよかったわ」と言った。
・・・という話をおとーさんと二人で笑い話としてした。
すると義妹の旦那さんが
「失礼だと言うより『人としてどうかと思う』」
と。
大爆笑。
本当にいい人だった義父の話は、まったくしないのに義母のこんな話は各人いろいろとで出てくる。
息子や娘まで。
義従妹は、義母がどれだけわがままだったかの話をした。
そして笑う。
不思議な現象である。
いわゆる憎まれっ子世に憚る?
もうこの世にはいないけど。
ただ、義母のこういったわがままがあったから、こうやって義妹夫婦や義従妹夫婦とも交流がある。
まあ、私もそれは私が頑張った財産かなとも思う。
楽しい会だった。
しかし、年末年始で楽しかったのはこの日だけかも。
足にくっついているコブちゃん。
体力が回復したので明日からキリキリ動かないとね。