おはなしきっき堂

引越ししてきました。
お話を中心にのせてます。

ほくろクラブ株式会社22≪せんべつ≫

2012年01月29日 | ほくろクラブ
冬休み。
僕らはやまさんをのぞいたメンバーでこっそり僕の家に集まった。
やまさんに贈る「せんべつ」(お父さんに教えてもらった)を考えるために。

「えっと、皆でお金を出してゲームなんかどう?」これはみずっち。
もちろん却下だ。

「サッカーボールにサインを入れて渡したらどうだろう」これはテンちゃん。
なかなかいいアイデアだけど、やまさんはサッカーはしないので却下。

それになるべくお金がかからなくて出来るものを考える。
僕らの小遣いでは、ゲームはもちろんサッカーボールなんて買えないもんね。

その日は、結局何もいいものが思い浮かばず、お母さんがおやつを持ってきてくれたのをきっかけについつい遊ぶ話となって解散となった。

話が決まらないままお正月になり、僕や皆もおじいちゃんやおばあちゃんに会いに行ったりして、皆で集まる事が難しくなった。
ただ、僕は近くにおじいちゃんやおばあちゃんがいるけど、他の皆は新幹線にのったりしないと行けないところにいたりでまだだれも帰ってなく、一足早く暇になってしまった僕は、家にいても退屈なので公園まで行く事にした。

キュンとおじさん、そしてやまさんちのポンが散歩をしているのに出会った。
ポンはやまさんちが留守の時、おじさんが散歩を仲良しのキュンと一緒にさせてくれている。

「そうだ!おじさんに相談してみよう!」
急に僕は思い立つ。

「おじさん!キュン!ポン!」

公園のベンチでおじさんは僕の話を聞いてくれた。
キュンもなんだか僕の話を聞いているみたいだ。

「うーん」おじさんがうなるとキュンが
「ワン!」って鳴いた。

「そうだ。やまさんちのポンに犬小屋を作ってやったら喜ぶんじゃないか?」
おじさんがいった。

「犬小屋?」

「そうだよ。ポンの犬小屋とても狭かったと思うよ」

僕はポンを見た。
ポンは雑種で、1年前にやまさんが拾ってやまさんちの犬になったが、ポンが思いのほか大きくなってきて狭くなっていた。
大きくなる犬の種類が入っていたようだ。
やまさんもそういえば、「引っ越したらポンの犬小屋新しくしてやらないとな」と言っていたと思う。

「でも、おじさんそんな材料そろえられないよ」と僕が言うと

「大丈夫だよ。おじさんのうちにたくさん廃材があるし道具もある」

おじさんは、実は大工さんだった。
廃材をおじさんが勤める工務店でもらってきてくれると言った。
作る場所もおじさんの家を提供してくれて、おじさんが教えてくれるそうだ。

「そうだね。君たちだけで作るのではなく、やまさんも一緒に作ったらいいと思うよ。一緒に作ると言う思い出がきっと『せんべつ』になるとおじさんは思うよ」

僕はとってもうれしくなった。

「ワン!」

今度はポンがないた。

翌日、僕は帰って来た皆に連絡をした。
今日から、ほとんどの「会社」が始まるらしく皆昨日のうちに家に帰って来ていた。

おじさんは、お正月は「暇」なのだそうだ。
僕らと一緒ぐらいまで休みだよと言っていた。
なのでおじさんが冬休みの間に作ろうという事になった。

まずみずっちに電話。
みずっちの後ろの方でみずっちのお母さんの声がした。

「あんたたち、ついでにそれを冬休みの宿題にしちゃいなさい!」

なんていいアイデア!
僕はまだ全然作ってなかった。
きっと他の皆も一緒だと思う。

テンちゃんにも連絡をしたら大喜びだ。

最後にやまさんに連絡をする。
おじさんとの話でキュンに犬小屋を作ろうと言うことになったと話をすると

「いいの?本当に。うれしいよ!」と喜んでくれた。

早速、その日僕たちはおじさんの家に集合して、まずやまさんが「キュンの理想の家」をかいた。
おじさんがその絵を元に板の大きさを決めてくれて、僕らはそれをのこぎりで切った。

「よーい!どん!」で切り始めて、だれが1番早いか競争!
僕が優勝した。
みずっちはのこぎりが使えなくて困っていた。
僕らは大笑いした。

その日は、板を切るだけで終わり、次の日またおじさんの家に集まって今度は組み立てて釘を打つ作業。

今日は、テンちゃんのお母さんが作ってくれたパウンドケーキと僕のお母さんが持たせてくれたシュークリームでとても豪勢なおやつだった。

ただ、おじさんも一緒に食べて
「おじさんにもいい思い出になったな。これからポンがいなくなって寂しくなるな・・・キュン」と言ったので僕らは少ししょんぼりとなった。
中学生になっても、僕らはおじさんとキュンに会いに来るよと僕らは言った。

それに僕は、おじさんと一緒に犬小屋を作っていて、大人になったらこういった仕事がしたいと思った。
おじさんのところで修行をすると言うとおじさんはうれしそうに笑った。

その日の夕方、ポンの家は完成した。
とてもでかい犬小屋だ。
冬休みの宿題で学校に出すのはでかすぎるけど、まあいいだろう。
おじさんの家は、学校の目の前にあり僕らはそこから4人で学校に運ぶ事にした。

最後に、やまさんが板切れにペンキで「ポンの家」と書いて釘で打ちつけた。
そして、小屋の後ろに「ほくろクラブ株式会社作成」とテンちゃんが書いた。

僕らはほれぼれと見た。
とても素敵な家だ。
少し屋根が傾いているし、かなりおじさんが手伝ってくれたけど。

僕らはその犬小屋の前で、おじさんとポンとキュンも一緒に夕日を背にして記念撮影をした。

そうして、僕らの小学校最後の冬休みは終わった。

帰って来てやれやれと思っていると夕飯を作っているお母さんが
「勇気。書初めは終わったの?明後日から学校だよね」と言った。

あわわ・・・。
まだ、「冬休みの宿題」は全然終わってなかった。
明日一日で出来るかな・・・。
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努力も才能

2012年01月28日 | 雑記
最近、見たテレビで盲目の画家の方のドキュメントを見た。
夫と二人で

「すごいな~!」「すごいね~」「素敵な絵だね~」と話しながら。
彼は目が見えなくなる時までの記憶を元に色などをたどり描いているそうだ。
そして、手に伝わる感覚だけで物の形がわかるようになったのだとか。

ただ、ふと記憶で描くということに対しては夫に
「私もかなり自分の記憶の部分で描いているよ」と話す。
そこから先は、用紙に位置を確認しながら描く。
対象を目で見ると言うのと位置を確認すると言うのを彼は、「目」のかわりに「手」で補って、努力の末すごい才能、感覚を得たのだろう。

全盲の人は、目の代わりに他の感覚が研ぎ澄まされるのだとか聞いた事がある。

人には多分生まれつき得意、不得意というものがあり、この部分はよく見てなかったのだが、彼は元々絵がうまく記憶は映像で覚えるタイプだったのかもしれない。

映像で覚えると言うのは、私も近いものがありすべての人が同じように覚えるものだと思っていたが、人によって記憶をどう収納していうのかは違うのかもしれない。
そして、絵を描くということも手先の感覚によって得手不得手が出てくるのだろう。

などなど・・・考えながら見ていた。

私の息子などは、まったく絵は不得意である。
ただ、彼は数学だけまあまあできる。(他は全滅)
以前、塾の先生に数学と英語などに関しては他の子とちょっと違う考え方や覚え方をしてますよといわれた事がある。
最近は喜々として数学の事について話してくれるのだが、さっぱりわからん。
どこが面白いかわからないが、話していて楽しそうに笑う。
・・・何が面白いんだい?

息子の記憶の仕方と言うのも、親の私とはちょっと違うのかもしれない。

個々の能力をどのように伸ばしていくか。
その盲目の画家の方だって、視力を失ってすぐに描けたわけではないと思う。
日々の努力と自分の能力を伸ばすという事をして、あのような画法と感覚を得たのだろう。

努力も才能のうちだと思う。
これも最近テレビで聞いた話だが、ある有名な漫画家の人も言われていた。
毎日、毎日何時間も絵を描き続けていて今の自分があると言うような事を。
その積み重ねなしでは、出来ないと。
私は土日だけはどうしても「主婦」と言う立場はあるし、毎日描く時間も限られている。
デザイン学校を卒業してからの(ただ、その後POPを会社で描くと言う事はあったが)ブランクが20年以上あった。
合間にデッサンを思い出したように描いてはいたが、それも本当にたまーにで仕事と子育てと家事に追われてまったく出来なかった。
そこで再開した今、出来る限り毎日描き続ける事を目標としているため、きっき堂でコブ日記を始めた。
猫の動作や漫画だが人の動きをなるべく頭で思い出したりしながら。
記憶でかける部分が大多数だが、わからない時はパソコンに頼っている。
パソコン・・・ネット環境が当時からあれば(まだ昔なので普及は全然してない)、私の人生もちょっとだけ変わっていただろうなとは思うが、今あることがありがたいので今を頑張ろうと思う。
最初は、デッサンだけだったのだが、毎日のテーマが決めにくく、あのような漫画だったら題材は決まっているし、「記憶で描く」という練習になるかと思ったので。
毎日の更新には意味がある。

話はちょっと変わるが、来月ぐらいから姪(7歳)に絵を教える事になった。
我が家につれてくるので教えて欲しいと言っている。
姪は妹の育て方だと思うが、ちょっと短絡的なところがあり、多分絵を教えてもらうとすぐに私のように立体に描いたり、漫画なんかが描けたりするようになると思っているようなふしがある。
物には順番があるし、年齢がある。
ちょっと甘えすぎで育った感じがあり、きっと自分が思ったように描けないとすぐに癇癪を起こすような気がする。

ずっと見ていて思った事だ。
思い通りにならないと、泣いて自己主張する。
うまく行かないとすぐにやめる。

さて・・・絵を描かす事で、それがどういった方向に行くか・・・。

まずは好きに描かせて様子をみようと思う。
私はデザイン学校出なので、こういった子供の絵で心がわかるとかいった事は、わからないが、見たら感覚的にわかるかもしれない。
それに自分でも少し勉強をしてみようかと思う。
しかし、子供の頃は自由に描くと言うのがいい。
楽しいという事を肌で覚えるのが。


今日は、この後出かけるのでここまで。

明日は、1日何もない日でやっとほくろクラブの構想がまとまったので、何年かぶりかで更新してみようかと思う。
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お決まりです

2012年01月22日 | 雑記
今日も、息子の修学旅行の話。

修学旅行で、お決まり・・・といえば、テレビでもよくある部屋からの脱走。
といっても別に女の子の部屋に行くというのではなく、友達間の部屋へ遊びに行くというだけの事だけど。

就寝時間をまわっても、息子の部活の友達は息子の部屋に集まりトランプを。
何故か大富豪。
同室の生徒はきっと迷惑しただろう。

息子は理系クラスである。
もちろんクラスごとの部屋わけである。
理系クラスは、息子が言うにはすごく真面目らしい。
みんな休み時間は机に向かって勉強しているのだとか。
ペラペラゲラゲラ笑って喋っているのは僕ぐらいだと。
そして、運動部はかなり少人数らしい。
文化部か帰宅部が大半をしめているのだとか。
息子は運動部で、いわゆる友達たちも「体育会系」
その部活仲間では、唯一うちの息子だけ理系である。

妙なくくりの位置にいるような気がするが、お気楽なのでどこにでも入れて、両方の橋渡しのような感じなっている。
どちらにもなじんでいるところが、うちの息子らしいなと思うのだけど・・・。

さて、そんな真面目なところにどひゃどひゃと部活仲間がまぎれて、他の生徒は怒らなかったのか?と息子に聞くと
「皆、僕と仲がいいから大丈夫だよ」となんとも気楽な返事だった。
確かにその後の行動を聞いていると仲はいいようだ。

それで、1時をまわり息子の部活の友人二人は自分の部屋に戻ろうとした。

ところがである。

ホテルなんですねぇ~、今時の高校生の修学旅行。

部屋は出たら閉まるようになっていて、脱走二人は戻れなくなったのである。

そこに見回りの先生がやってきて、一人はなんとか必死でノックしたら同室の子が起きていて入れたのだけど、もう一人は入れなくなった。

先生は迫ってくる・・・。
そして、自動販売機の後ろに隠れる(笑)

「そこ、自動販売機に今隠れたやつ出て来い!」

ってな感じで当たり前だけど見つかってしまう。
朝、説教をされていたと息子は言っていた。
そこは友情なのか、息子の名前はださなかったそうだ。

いやはや、修学旅行で絶対にいるこんなやつって感じだ。
これは、今も昔もかわりないやって思った。
ただ、絶対にいるこんなやつが、息子や息子の友達だとは自分が若い頃は想像もしなかっただろう。
自分が高校生の頃は「あほやな~」と思っていた事を、まさか自分の息子たちがやるとは。
今回、息子自身もあちこちの部屋に顔を出し、友達の友達はみな友達さって感じになって
「新しく友達になったのが20人ほど出来た」と言っていた。

友達100人できるかな~♪

・・・小学生ですか・・・。

今日、宅急便で「ドサッ」と洗濯物が届く・・・。
実は別便なんだ・・・。

帰って来た~って感じがするぅ。


あっ、それともうひとつ。
新幹線での出来事。
「緑茶いりませんか~~!」と車内販売がまわってきたので、息子の横に座っていた子が
「すいません、緑茶ひとつください」というと
「申し訳ありません、高校生には売れない事になってます」との返事。


その車両、修学旅行の高校生だけの車両である。

「それなら!『緑茶いりませんか~』って言うな!って感じだろう!」と息子。

そして、その後、車内販売は再び高校生の中を

「緑茶いりませんか~~?」と言いながら移動して行ったらしい。

・・・マニュアル(爆)
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きのこまつり

2012年01月21日 | 雑記
今日は丁度土曜日で、文章ばかり書きたかったのでこちらに。

きっき堂もよろしくです。


息子が修学旅行から帰って来た。
昨日、夜に市役所にバスが止まるので夫が迎えに行った。
うちは田舎だ。
そして、学校に在籍している生徒の大半はもっと田舎から来ている。
うちの息子は家から自転車で30分弱の道のりを通学している。
市役所からは一応歩いて15分ぐらいのところから電車はあるが、めちゃくちゃ暗い場所で、電車の本数も少なく、またバス通学をしている生徒などは、そこからバスが出ているはずもなく、また電車乗り継いでバス停まで行ったとしても、バスがない。
そこで、暗黙の了解で「親」が迎えに行かないといけない。


大混雑だったらしい(笑)

だって、ほとんど皆車で行っているわけでー、生徒は320人ほどいるわけでー。
市役所の駐車場はそこはまた田舎のいいところで、でかいのはでかいが、夜は電気がほとんどついてないらしく・・・。
乗り合わせ帰った生徒もいることはいるだろうし、近くだったら歩いて帰る子もいるだろうし、なんとか電車で帰る子もいるだろうけど、多分100台以上の車が一気に市役所駐車場に行ったわけだ。

生徒たちも雨降っているし暗いしで分散してしまい、携帯は一部の生徒しか持たせてもらってないので、親は自分の子供が見つけられない状態になったそうだ。
うちの息子は、他の子のを借りて家に電話してきたので、私が夫にどこにいるのかを連絡した。
実は、うちの息子は数少ない携帯をもつのを許された代表の生徒のはずだったのが、そこはまたうちの息子の事、充電が切れてしまって使い物にならなかった。
充電器も持っていっていたのに・・・。

「そうだ」とか「らしい」と言うのが多いのは私は行ってないので。
上記はブリブリ怒りながら帰って来た夫の話。

さて、そうやって息子は帰って来たわけだけど、今回の修学旅行詰め込みすぎで、あちこちで滞在時間が短くてとても疲れたと言っていた。
東京見物、新潟でスキー、東京ディズニーランド、横浜・・・・3泊4日でなんとも盛りだくさん。
横浜はディナークルーズで夕食を取ったあと「自由時間」があったようだが、「15分」という短さ。
トイレを探すだけで終わったといっていたが、シュウマイを一応買ってきていた。

それで、息子の土産話の一番のテーマは

「きのこ」だった。

実はうちの息子、アトピーで食物アレルギーがあり、「甲殻類」と「さば」が1番食べたら出るので、一応修学旅行前の事前調査に書いておいた。
今まで小学校、中学校の時も書いたが、本人が入っているのを避けていたら問題がなかったし、海老も「そのまま」とか「たっぷり海老のだし入り」を食べなければ、症状は出ない。
さばが1番ひどいけど、ダシってので出た事はないし。
サバはヒシチジンという物質が多く含まれていて、これが時間が経つとヒスタミンにかわり、そのヒスタミンがアレルギーを引き起こすそうだ。
鮮度落ちの早いサバなので出るのだとか。
うちの息子は他の青魚は、大丈夫だ。
一応、薬は持たせているし、実はここ最近そのアトピーの症状も治まっていて、NGな食品をさければそれでOK。
避けているのでわからないが、もしかするとましになっているのかと思うときもある。
また、調べてみてはと思っているのだけど、成人になった時にもう一度自分で調べてみたらいいかもしれない。

ただ、本人が中学校の時、一度試してみようとさば食べて蕁麻疹が出たのでやっぱりそこだけは無理。
その時、チャレンジするな!と怒った覚えがある。
でも、他の食品ではでないし、それ以外はここ数年蕁麻疹は出てない。

バイキングとなっていたので、大丈夫だろうと思っていたら、保健の先生から「念のため駄目です!」と息子ともう一人甲殻アレルギーの友達は、別メニューを申請する事になってしまった。

それでね・・・出てきたのは・・・
ハンバーグの代わりに魚。
サラダなんかの変わりに「きのこ」だった。

きのこ・・・山のように出てきたって。
ハンバーグ食べれるのに、さかな、さかな、さかな~~~~♪
そして「きのっこのこのこ、元気なこ~~」って感じできのこの山盛り。

きのこはエリンギ、しめじ、その他もろもろ。
あんまり好きではない息子は「僕はもう一生分のきのこを食べたかもしれない」と言う。

から揚げの代わりにきのこ・・・。
バイキングでから揚げ貰いにいったら、「あなたは駄目」と断れたと。
(ただ、こっそり目を盗んで食べたらしい)

食べるものが制限され、腹が減るのでスキー場の売店でこっそりとカップ麺を買い、後で食べたと行っていた。
意味ないじゃん・・・。

それで、最終日のディナークルーズ・・・中華バイキングだったそうなのだが、どれもほとんど「海老」を使った料理で、そこでは「別メニュー」じゃなかったそうだ。
意味ないじゃん。
食べれるのは「から揚げ」だけ。
前日にあなたは駄目と言われた「から揚げ」だけ。
から揚げ大好きなので、まあそれはそれで良かったとは言っていたけど。

ただ、どの日程も普通のメニューとしても量が少なかったらしい。
多分、食物アレルギーと言う事で、「小麦」「卵」など他に出るものも制限したメニューだったのかと思う。
ハンバーグには小麦も使っているだろうし、つなぎに卵を使っているかもしれない。
一般のメニューにしても高校生男子にしては少なかったとも言っていた。

「食物アレルギー」ってだけで全部制限しちゃったんだな。
この事は一応、保健の先生に報告をしておくようにと言っておいた。
事前調査・・・意味ないよって。
その制限した日は、一応配慮できのこや魚でしてもらっていて、多分ホテル側の手間の問題で前アレルギー対応でこんなメニューになったのは理解できるけど、中華バイキングで制限してなかったら意味ないし。
正直に言うと高校生にもなると自分で駄目な食品はわかるから、バイキングだったら「何」が入ってるのかを表示してもらっていたほうが、判断しやすいと思う。
最初のホテルは、今までのうちの子の高校で行ったことないところだから、初めてなのでこんな風になったのかもしれない。

ただ、「きのこ」は一生の思い出話になったと笑いながら言っていた。
エリンギのステーキはもういらねーと言っている。
私も涙出るほど笑った。

疲れたようだが、楽しかったようだ。
なんでも新しく親しくなった友達が20人ほど増えたと言っていた。

もっと笑える話があるんだけど、またそれは別の機会にでも。
高校生男子らしいなぁ~と言う話だ。
お調子者なので、どこでも全力で騒いでいたようだ。

そして、帰って来た息子は

「肉、肉!肉!肉がくいたい!」と叫んでいた。

今晩は焼肉である。
もしかしたら、こうなるような予感がしていたので、以前から注文して届いたのが冷凍庫に1キロほどある。

この月曜日から買い物に行ってない。
間に生協の宅配がやってきたので、夫と二人なら全然足りた。

今日で、冷凍庫の肉類は全滅しそうな感じがする。
エリンギのステーキ・・・出してやろうか・・・。
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マンホール

2012年01月15日 | ショート・ショート
子供の頃にこんな遊びをした事はないだろうか。
たとえば商店街の歩道のタイル。
色を組み合わせて敷いてある。
その中の白いタイルを踏んだら駄目とか、自分でルールを決めてピョンピョン飛ぶ。
母親に
「早く歩きなさい」と言われて、白のタイルを踏んでしまって
「あーあ」ってなって終わり。

俺の場合は、それがマンホールだった。
下に水が流れる音とが聞くと吸い込まれそうな感覚になる。
マンホールの場合、あまり親には注意をされなかった。
雨が降ったら滑りやすいとかで、踏まない方がかえっていいと思われていたからかもしれない。

ずっと決めたルールを守ってきた時に外国の作家の短編集で、敷石を踏み外して子供が消えてしまう話を読んでから、余計にやめれなくなった。

密かな、そして大人になるととても子供じみて馬鹿らしいルール。

しかし俺は、20歳を超えた今でもこのルールを守り続けている。

大学を卒業し、ある企業に就職が出来、彼女も出来た。
ある日、彼女とのデートで腕を組んで並んで歩いている時、数メートル先、俺がこのまま歩くとマンホールを踏んでしまう事に気がつく。
心で葛藤が広がる。

どうする・・・いつものように避けて通るか・・・。
しかし、彼女と腕を組んでいる今、その腕をほどいてマンホールをよけるのはあまりにも不自然だ。

迷っているうちにどんどんマンホールが近づいてきて・・・とうとう・・・

踏んでしまった。

シュポッ!

と落ちる感じがした。
思わず目を閉じる。

「どうしたの?」
彼女の声が横でした。
目を開けると、俺は別にどこにも落ちているわけでもなくマンホールの上にのっているだけだった。

「いや・・・ごめん。目にゴミが入ったんだ」

と俺は慌てて言い訳をした。
やっぱり、とても馬鹿らしい子供じみたルールだったのだ。
大げさだか、やっとその呪縛からとけたのだ。

「さあ、この先に美味しいパスタの店があるんだ」
俺はそういうと彼女とまた歩き出した。


その日の夜。
俺は彼女との楽しかった1日を思い出しながら眠りについた。

そして、夢を見た。

俺は暗いところにいた。
かろうじてわかるのは、それはどこかにずっと続いているという事。
俺は出口を探し歩き続ける。
薄暗いがぼんやりと道は見える。

ずっとずっと歩き続けた。

よく朝起きるとひどい疲労感に襲われた。
ずっと夜中に歩き続けたような感じだった。

きっと、昨日ルールを破った罪悪感から見た夢なのだ。
しかし、あまりの疲労感にその日は、仕事も定時に終わらせて、家に帰って早めに就寝することにした。

寝たらこの疲れも取れるだろう。
楽しい事を考えて眠ろう。
俺は眠りについた。

ところが、この日の夢も暗い道を歩き続ける夢だった。
夢の中で疲れて座り込んで横になるが、夢の中でまた横になるわけなので眠れるはずもなく、そこで目が覚めた。
寝なおすとまたその続きになる。

もしかすると・・・
俺はひとつの仮説に行き着く。
マンホールを踏んだ時
「シュポッ!」と音が聞こえたような気がしたのは、この事だったのかと。

出口を見つけなければと焦る。
しかし、暗い道が続くばかり。
必死で出口を探しさ迷い歩く。

翌日の疲労感は大変なものだった。
仕事にも影響をする。

毎日、毎日、夢の中で暗い道を歩き続ける。
疲れが取れず、会社の上司から病院に行く事を進められ、休暇をとるように言われる。
ここで休んでしまえば、俺は確実に落ちこぼれる事になるが、上司の言葉に従い病院に行った。

医者は薬を出してくれたが、一向によくならずそして原因もわからない。
一応、診断書は出してくれたので、よくなるまで休む事になったのだが、あまりに長期になるときっと会社も辞めざるを得ないだろう。

なんであの時、マンホールを踏んでしまったのか。
付き合っていた彼女も自然と離れていった。
こんな事なら、腕を離してマンホールを避ければよかったのだ。

1ヶ月がたったが、あの夢のままだ。
段々、現実でも夢の中でも憔悴をしていく俺は歩く事をやめた。
うずくまったままの状態ですごす。

「もう駄目かもしれない」と思ったときだった。
肩に何かがふれた。
夢の中だけど、その感触がつたわる。
顔をあげるとぼんやりだけど若い女の人の顔が見えた。

「あなたもマンホールに落ちたのね」とその女の人が言った。

夢の中だが、俺は涙が出た。

「私もずっとさまよっているの。不思議ね、こんな中で出会えるなんて。私ももう駄目かもしれないと思っていたところなの」

俺たちはいっぱい話をした。
彼女もマンホールを踏むと駄目だというルールを作っていたのだが、ある日車をよけた拍子に踏んでしまったのだという。

不思議とその翌朝、疲れが残らなかった。
眠った感じとは少し違うが、少しすっきりした感がした。
孤独から開放されたような。
ただ、夢の中で彼女の名前や住所などを聞いた気がしたのだが、そのあたりは覚えてなかった。
夢なんだから仕方ないだろう。
それに現実ではなく、俺の孤独が作り出したアニマかもしれない。

その日の夜。
果たして彼女はいるだろうか。
眠りについた時、彼女の姿が目に付いた。
俺は心から安堵した。

二人で離れ離れにならないように、先に眠ったり、そして相手が目覚めた後は動き回らないようにしようと話し合った。

そして二人で出口を探す。
手を繋いで。
俺は夢の中の彼女に恋をした。

これを境に俺の体調はよくなり、会社への復帰も果たせた。
ただ、以前と違っていたのは、早く彼女に会いたい・・・それで就寝時間も早くなり、休みの日は、ずっと寝ているようになった。
もちろん彼女とすれ違う事もある。
そんな時は、動かずに待つ・・・それを俺たちは決めた。
ただ、悲しい事に人間というものはずっとは寝てられないもので、目が覚める。
あまり寝すぎると眠れなくなったりするので、規則正しく生活をし、夜がよく眠れるように昼間に運動も取り入れた。

夢と言うのは不思議なもので、彼女と俺との間に子供が出来た。
かわいくてかわいくて仕方がない。
マンホールの中から脱出は出来ないが、子供の服などは何故かこんなのが欲しいと望めば着せる事が出来た。
そこが夢なのかと思う。

子供が歩けるようになった頃だった。
彼女と3人で喜び、手を取り合って歩いていると、驚いた事に目の前にマンホールのような大きさの光の輪が見えた。

子供が喜んで駆け出していく。
慌てて二人でとめるが、子供はその輪の中に入っていった。

「シュポッ!」

その輪に入った途端に子供が消えた。

悲鳴と共に彼女も子供を追いかけてその輪の中に入っていった。

「シュポッ!」

彼女も消えた。

俺はパニックになった。
そして俺も子供と彼女の後を追いかけて輪に入った。

「シュポッ!」

目の前に明るい光が入ってくる。
目を開けると、ただ単に目覚めただけで朝日が目に入ってきただけだった。

その日の夜、眠ると何も夢をみなかった。
そう普通の眠りだった。
何日もそんな日が続く、あまりに彼女や子供に会いたい願望からか「夢」を見るが、あの「夢」ではなかった。

もう一度、マンホールを踏もうかと思うが、これを踏んで彼女に会えるという保障があるのか。

俺はマンホールが目の前にある度に立ち止まるようになった。

そんな生活が何年か続き、相変わらずマンホールがあれば立ち止まる日々。

今日も迷いと共に歩いていた。
すると少し先に同じようにマンホールで立ち止まっている女性がいる。

近づいてみると、なんと彼女だった。

俺の顔を見て驚いて涙を流している。

俺は彼女の手をとり言った。

「さあ、行こうか」

彼女はうなづき、二人で手を取り合った。
マンホールを二人はもう絶対に踏まないだろう。

そして、消えてしまったあの子はいつかは俺たちの元に帰ってくる。
そう遠い未来ではない事が俺にはわかる。
                             END

***************************************

<あとがき>

子供の頃って、こういったルールがありますよね。
レイ・ブラッドベリだったのだと思うんですが、子供が敷石を踏み外して消えてしまう短編を読んだ事があり、心の中でずっと残ってました。

それなら、消えたあとどんな世界に行くのか・・・って事でうまれた話です。
ハッピーエンドがよろしいようで。

この二人の子供も二人の元にかえってきます。
帰って来ると言った方がいいのか、生まれてくるというのか・・・。
時間や空間がねじれた世界。
あまり説明すると面白くないので、今日はこれまで。

ちゃんちゃん。

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