昨日は、実家の温水洗浄便座の取り付けに立ち会うために、おとーさんと一緒に行った。
その後で母を買い物に連れて行き、一緒に昼ご飯を食べて帰ってきた。
ここのところ、母や義母との買い物が続いているので少々疲れている。
二人とも年を取ったなとつくづく感じる。
そして、私自身も年を取った為か、すごく疲れる。
いや、これは年のせいでもないかもしれない。
二人の買い物の仕方が超疲れる。
母は自分の行きたいところにしかいかず、義母は普段家にこもりすぎているためか、たまに外に出るといろいろと物珍しく、超ゆっくりと見る。
その人たちに付き合って話をするので、自分の買い物はほとんどできず、後でまた再び行くことになる。
そりゃあ、結局2度行くことになっているから疲れるのも当たり前。
でも、疲れがなかなか取れないのは年のせいだろう。
さて、今日は「おはなし」です。
前の回にも書きましたが、自己満足のために書いているお話です。
後で書きなおしたり、また変更したりもします。
読み飛ばしてくださいね。
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【茜色のお花畑 3 (社長さん)】
翌日、タクミが迎えに来てうちから車で3~4分のところにある会社に行く。
車で3~4分と言っても歩いたら多分、30分以上かかるだろう。
うちは郊外にある集合住宅地で、少し車で走ると目の前に田園風景が広がる。
会社は田んぼに囲まれて建っていた。
「株式会社タイヨウ製作所」
駐車場につくとタクミは「じゃあ、頑張って」と言って私を降ろした。
ついてきてくれないんだと思った。
当たり前か・・・。
インターホンを押そうと思ったら、中から私と同じ年齢ぐらいの女性がドアをあけた。
「あっ、面接の『イトウ』さんね。聞いてます。どうぞこちらに」
女性の後ろをついていくと、「社長室」と書いている部屋に案内された。
部屋をノックすると「どうぞ」という声が聞こえてきた。
女性が部屋を開けてくれるとそこには恰幅のいい中年の男性が座っていた。
「失礼します社長、イトウさんをお連れしました」
「ありがとう。じゃあ、イトウさん、そこに座ってくれる。履歴書は持って来たよね」
女性は私を前に出した後、部屋を出て行った。
私は、「よろしくお願いします」と言って頭を下げて履歴書を渡し、恐る恐るソファーに腰をおろした。
この「よろしくお願いします」はミエコさんからちゃんと言いなさいよと念を押されていたのだ。
でも、部屋に入る時「失礼します」と言うのを忘れていた。
先に入った女性が言ったので、タイミングを外してしまった。
私も後から言うべきだったのか。
社長さんは、そんな事は別に気にせずに履歴書を見ながら言った。
「本当は、面接はうちの専務がするんだけどね。君は「モリモト」君の娘さんだから私が直接する事になったんだ。」
父の姓は「モリモト」だった。
昨日、初めてわかったところだ。
「モリモト君とは、高校の同級生で同じ陸上部だったんだ。君が生まれた時にも年賀状をいただいたし、会った事もあるんだよ。君のお母さんにもね。」
若かった頃の父と母の事など考えた事もなかった。
でも、私がいるという事はそういった事なのだ。
「君のお母さんと離婚した後に、彼は大手の証券会社でリストラにあって失業してね。しばらくの間、うちの会社で働いていたんだ。実は、部活は一緒で交流はあったけどそこまで仲が良くなかったので、私を頼ってきた時はびっくりしたよ。
雇用保険が切れてもなかなか仕事が見つからなかったらしい。
しばらくの間でもいいから雇ってほしいと言ってきた。
そのころまだうちの会社は親父が社長で、私は見習の平社員だったからね。なんとか頼み込んで働いてもらったんだけど、彼は高校時代からそうだったんだけど、ちょっと生意気というかプライドが高くてね。うちの社員たちとことごとく衝突した。どうやら仕事を見つけるまでのつなぎで働いているという意識だったし、仕事も手際が悪かった。多分向いていなかったんだろうね。
でもね、なんだか段々柔らかくなってきて、うちにもなじんできた。その頃にうちで君を送ってきたタクミ君のお母さんのミエコさんが働いていたんだ。彼女と付き合った事で彼は変わったんだ。ただ、うちでは十分な給料を出せなかったし彼の能力もうちにはもったいなかった。彼は、再就職先も探していて1年たったころに目出度く見つかってうちを辞めたんだけど。その頃には会社のみんなにも別れを惜しまれていたよ。
きっと彼が変わったから再就職も出来たと思うんだ」
ドアがノックされ、社長さんは一旦言葉を切った。
「失礼します。」と声がして先ほどの女性がお茶を持って入ってきた。
「彼女はヤマダさん。うちの総務を担当している。わからない事は彼女に聞いて。ヤマダさんよろしくね。イトウさんは、今まで働いた事がないんだ。とりあえず部署は「組立」で。」
お茶をテーブルに置きながらヤマダさんは「承知しました」言った。
どうやら私は採用してもらえるらしい。
「後で呼ぶから案内と用意するものを教えてあげて」と社長が言った。
ヤマダさんは私に向かって「じゃあ、後でね」と微笑み出て行った。
「今まで働いた事がないというのには、ちょっと驚いたけどまあなんとかなるでしょう。とりあえず時給は900円で。時間は8時半から5時まで。うちの現場はフルタイムパートの人がほとんどだから。パートだけど社会保険とか入ってもらえるし、有給もあるしボーナスも出るから頑張ってね。」
そういうと社長は電話を取り、内線でヤマダさんを呼んだ。
ヤマダさんが来たので、今度はちゃんと「失礼いたしました。」と言って社長室を出た。
ヤマダさんが、ニコニコ笑いながら話す。
「私はヤマダリエ。イトウさんと同じ年よ。結婚していて保育園に通う息子が1人いるの。よろしくね」
私は、ドギマギして「よろしくお願いいたします。」と小声で言った。
まず、更衣室を案内してもらって、ロッカーを教えてもらった。
「貴重品を入れるのだったら、かぎをかけてね。それとこれは制服。中は動きやすい服装だったら自由だから」
その次に、食堂を案内される。
「ここで食事をとるの。近くに飲食店がないから自分で持ってくるか、それか朝か定期で会社から注文するお弁当を頼んでね。あと、お茶を飲むコップは持参しないと駄目だから、持ってきてね。それと女性社員はお茶当番とトイレ掃除の当番がまわってくるから。また、その時に説明するけど女性だけが当番あるのは不公平よね!」とヤマダさんはちょっと眉間にしわを寄せた。
明るくて元気な女性だ。
私と同じ年なのに結婚して子どもがいるんだと、なんだか思った。
でも、32歳という年齢では普通の事なのだ。
私は、そう思った事に衝撃を受けた。
当たり前のことを今まで考えなかった自分という存在に。
次に「組立」というところに連れて行ってもらった。
そこには3人の女性がいて紹介された。
一人は若い「サトウエリナ」さんという女性。
この人は25歳で3歳の娘さんがいるシングルマザーだそうだ。
ほぼ赤に近い髪の色にびっくりする。
50歳の「マエダヨシエ」さん。
子どもはもう独立していて、ご主人とご主人のお母さんと3人暮らしだそうだ。
お母さんの介護があるので、フルタイムでは働いていないらしい。
そして、一番びっくりしたのが75歳の「カミデテル」さん。
こんなお年寄りが働いているの驚く。
ヤマダさんが「カミデさんは、「神の手」と書いてカミデと読むの。驚くわよ。本当に神の手なのよ」とくすっと笑った。
カミデさんが「あんた誰かに似てるね~」と。
ヤマダさんが「以前、1年だけ働いていたモリモトさんの娘さんだそうです」というとカミデさんはホウホウと言って笑った。
3人に「よろしくお願いします」と頭をさげた。
「後は明日の朝礼でみんなに挨拶します。始業と朝礼は8時半からだけど着替えの時間とかあるのと、朝礼の説明をするから出来たら8時過ぎには明日は来てくださいね」
そういってヤマダさんは、玄関まで送り出してくれた。
「ありがとうございました。」と頭を下げて、こんなに頭をさげた事って初めて?と自分でちょっとだけおかしくなった。
駐車場ではタクミがまっていた。
どうだった?と聞くので採用されたことを告げると
「じゃあ、うちに帰って『自転車の練習』だな」と。
私は、今まで出したことのない声をあげた。
「えっ~~~~~!」
「声出るじゃん。帰ったらお袋が手ぐすね引いて待っているぜ。あの人は鬼教官だから」
タクミの家に行くとミエコさんが庭で待っていた。
前にはちょっとおんぼろな自転車があった。
「採用されたんだってね!よかった!じゃあ、さっそく自転車の練習よ!」
どうやら社長さんから連絡が入っていたようだ。
「私、多分無理です」というと
「大丈夫、大丈夫」と笑う。
20年以上ぶりの自転車。
そういえば、補助輪があった時は祖父がいる時には乗っていた。
補助輪を外して練習をして、こけてから母が激怒してから乗っていない。
おそるおそる乗ってみる。
最初はミエコさんが後ろを支えていた・・・と思う。
でも、気がつくとちゃんと漕いでいた。
「ほら、やっぱり乗れるじゃない」
ミエコさんが後ろの方で大きな声を出した。
思わずよろけてこけそうになったが、両足をついて支えて大丈夫だった。
昔の記憶がよみがえる。
そうだった。
私は乗れていたのだ。
祖父が手を離して、一人で漕いだ。
でも、その時に母の悲鳴が聞こえたのだ。
「アカネに危ない事させないで!」と。
その声で私は倒れてけがをした。
後ろからミエコさんが話す。
「あなたのお祖母さんからの手紙に書いてあったそうよ。アカネちゃんはちゃんと自転車に乗れていたって。運動も苦手だって思っているようだけど、あなたのお父さんに似ているからそうじゃないと」
「でも、私すごく足が遅くていつもママが・・・いえ母が『アカネちゃんは運動音痴ね』と言ってました。」
タクミに『ママ、ママだな』と言われてから、気を付けて言わないようにしようとしている。
「あなたのお父さんはね。長距離のランナーだったのよ。きっとアカネちゃんも似ていると思うわ」
ミエコさんは、すごく優しい表情で笑った。
その時、タクミの声がした。
「すげー!あの人形たちすごくいい値段で売れた!」と。
タクミのスマホをミエコさんと一緒にのぞき込むとどれも1万以上の値段がついていた。
「早速、荷造りを用意しないとな」とタクミ。
「そうね、そのお金で電動自転車を買いましょうね。会社までは行きは坂道でこのおんぼろ自転車でも大丈夫だけど、帰りがとてもしんどいわ。でも、とりあえずは慣れるまで丁度今春休みだから、タクミが1週間は送り迎えするわ。送って行った時に荷造りをしたらいいわね」とミエコさんが言う。
母の好きだった人形たちと別れる。
少し寂しいような気もした。
でも、明日からの「はじめて働く」という不安と期待の方が心の中で大きく、その寂しさはあっという間にどこかに行ってしまった。
<つづく>
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このお話、土日とかのあいた時間に書いているんだけど、先週からは一番最初に書いたようにずっと母たちの買い物で出ていたので、今日書いた。
挿絵を描く時間がなくなり、なんか適当な絵になった。
また、時間が出来たら描き直そう。
この話は、私自身が経験したり、見たりしてきたことをベースに。
この会社の中だったら、私は「ヤマダさん」
いろんな面接を受ける人を「案内」して、また入社時にも説明などをしてきた。
ヤマダさん視点からいろいろな事情を見た。
いつかその事も話にしてみたかった。
「運動音痴」と言うのは、いつも私が母に言われていた事。
でも、子育てをして今考えると私は決して運動音痴ではなかった。
鉄棒や縄跳びうんていなどは、得意だった。
棒上りなんて、お猿のようにするすると一番上まで行った。
ただ、体が小さかったのと腕の力が弱かったためか(握力は結構あった)、ボールを投げたりするのは少し不得意だった。
でも、バスケットボールやドッチボールは好きだった。
走るも今考えるとそこまで遅くなかった。
自転車にも幼稚園の頃に1日で乗れた。
本当に今よく考えると、母が運動音痴と言わなかった妹より、運動は出来たんじゃないかと思う。
田舎で半分育ったためか、山に祖母と一緒に入ったりしていためか、足も丈夫だ。
何故、母に運動音痴と言われて育ったのか?
多分、動きがゆっくりだったのと子供の頃は小さくて体が弱かったためだと思う。
その点、妹はよく動く子だった。
でも、子育てをしていてわかったのは、良く動くから運動が得意ではないという事。
親が自分の子に「言葉」で檻をつくる。
可能性を押し込める。
そうあってはならない。
今日は、午前中これを書くのに使ってしまった。
買い物はないけど、いつもように出かけたりできなかった。
でも、昨日の疲れが取れないので、さっき公民館まで行ったけど、それだけで終わろうと思う。
一服したらいろいろと家の事をしないと。
次回金曜日は、普通の絵日記で。
「おはなし」は次週のまた水曜日に。
神手さん、実際にいらっしゃった方がモデル。