おはなしきっき堂

引越ししてきました。
お話を中心にのせてます。

ゴーヤ

2023年09月12日 | 絵日記



久しぶりに絵日記で。
昨日、母と妹と一緒に近くでご飯を。
病院に連れて行ってくれたついでにうちの方まで来てくれた。
ただ、ご飯だけ一緒にしただけでゆっくりとは出来ず。

近くだとはいえ母の病院に妹がずっと付き添ってくれているのがありがたい。
ただ、妹自身も病院に通っていて多分病気や薬の影響なのか、テンションが高くちょっと攻撃的で自分の事ばかりまくし立てる。
以前も同じようになったので多分そうなんだろう。
先週も来た時も思ったんだが、気分的に疲れているのでちょっと堪えた。
特に先週などは、葬儀後に久しぶりに会ったので、まあ普通はいくら姉妹でもいたわる言葉でも言ったらどうだ?と思ったけど、病気のせいだ仕方ないと思う事にした。
家族葬だったのと母が来ても混乱するだけなので(前に義父の葬儀に来た時も大変だった)二人は来てないが、私自身が実家などの事を考えて、妹と母の代わりに線香のお供えの手配をして自宅に届けて私がこっちで供えた。
妹の旦那さんのお父さんの時は、私がちゃんと送った。
すべてがこの調子である。
母は意外とおとーさんや義妹に対して労わるような言葉を伝えてほしいと言っていた。
ただ、妹は病気自身は良くなっているらしく次回の診察は2か月後だと言っていた。
減薬と同時に改善するかもしれない。
というかあのテンションでは家族がきついだろう。

疲れるのと正直まともに話が出来ないので来週ぐらいには実家に一人で行ってこようと思う。
母とは少し相談事があり、実はこうなる前に解決しようとしていた。
落ち着いて話さないと駄目な事が多々あり。

まあ、でも来てくれて母の元気そうな様子を見れるのは安心する。
それは感謝だ。
ゴーヤを持って母は喜んで帰った。
車の中からよく見えたなと思う。
家主であるおとーさんや私も生っているのに気が付いてなかった。
今年は、植えるのがというより前年度の種が勝手に芽が出たのが、いつものシーズンより遅く今頃に実がなっている。
気温のせいもあったのかもしれない。

でも、母に会えるのは感謝である。
今回の事で「あの時に会っていれば」と後悔する事の無いようにとつくづく思う。

正直、精神的にちょっと疲れている。
嚙み合わせが合いにくくなっていてやばいと思う。
今回、家族葬で小規模だったので結構な葬儀になった義父の時よりは楽だったが、その後が結構忙しい。
まあ、義父の時は義母がいたので当たり前だが、最初のうちはおとーさんが義妹や私に丸投げしようとしたのが一番の原因だ。
別世帯だし、相続という問題はおとーさん自身がしないと。
しかし、先週ぐらいから前回と違い自分で考えて動かないと駄目だとやっと気が付いたようだ。

どこまで私が口出し出来る?と思うし、出来る限り兄妹で相談してくれと思う。
私自身もこの義母の事が起こる前からの課題である自分の実家の事も解決しないと駄目だ。
妹は、今はギャーギャー言うばかりで「ならどうする?」の答えを持っていないし、自分の事ばかりである。
私に任せると言いながら、自分中心に考えるからちょっと釘を刺したら黙った。
これも病気のせいだと思いたい。
昔、会社の同僚だった人が同じような感じだった。

頭が痛い。

でも、とりあえず私自身も日常を取り戻したく、今日から絵日記を再開することにした。

義母の事、いろいろと思う事があり、最後に会った時に自分勝手な事ばかり言っていたので次に会うときにもしまた嫌な事や不条理な事を言われたら、言い返してやろうと思っていた。

残念である。
本当に残念である。
生きていて私の攻撃を受けて欲しかった。

なので、毎日ご霊供膳を供えて話しかけているのである。

ゴーヤの向こうのコブちゃん。



次回も絵日記更新出来たらいいんだが・・・。
そして、次は葬儀に関するこぼれ話などを書きたいと思う。

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複雑な思い

2023年09月07日 | 日記



すっかり更新が滞ってしまった。
今日も義母宅に。
御霊供膳・・・まあ無理しない程度にとは思っていたけど、義妹とで毎日続けている。
外で働いている義妹と違い私の場合は家いるので主に私がしているのだけど。
買い物ついでってのもあるし、家から原付で10~15分程度なので。
この5分のタイムラグは、超面倒な踏切のせい。
運が良ければ引っかからずに行けるが、運が悪ければ信号を2~3回待たないと駄目な時がある。
5分ほど待つ時がある。

毎日供えなくてもいい気がするが、なんというか、気持ちがね。
正直、こうやって毎日行っているのを生存中にしてあげていればという気持ちと、やっぱり出来なかったという気持ち。
昨年から、いろいろとあり・・・いろいろとあり・・・。
もう、最近は一人では嫌な思いをするだけなので行かないとおこうと思っていたので。
おとーさんの休みに二人で行くことにしていた。
義妹もあの入院前に「もう2度と来ない!」と怒っていたほどだ。

後悔はしてない。
だけど、こうやって毎日行っている。
私の気持ちもあるので。

それと、「空き家」になったためしばらくの間は、出入りをしていた方がいいだろうと。

いろんな手続きが今のところ順調に終わっている。
火災保険に入っていてこの前更新したばかりなので電話したら、契約が「空き家」でという形に変更になるらしい。
行く頻度やうちからの距離などもあるようだけど、近くなので審査は通りますという事だった。
しばらくの間は、家は維持する予定。
何しろ物が多いので当分はかかるし、少し利用する予定があり。
四十九日までは毎日行くが、それが終わったらセキュリティシステムを導入して週に1~2度ぐらいに行くことにしようかと思っている。

こういった田んぼとため池に囲まれた一角に何件かの住宅地がありうちに比べてかなり不便なところ。


介護認定を申請していて要介助1は取れて、うちの母のようになんらかのサービスを受けようかと言うところだった。
ただ、嫌だとは言っていたけど。
取るだけ取っただけになった。

不便なんだよな、義母宅。
神戸から引っ越してきた。
義父が車の免許がなく、義母がここに来た時にあまりにも不便で一念発起して免許を取った。
当初、近くに大手スーパーが建つと言われて買ったらしいが、まったくできず(だまされた?)
いや出来ていたとしても歩くと結構な距離がある。
それからずっと車に頼る生活だった。
骨折からの退院後、車も処分した。

「歩けないから車に乗りたい」と言っていた。

そういえば車に乗って歩かない人だった。
車には乗れるけど自転車には乗れないのだそう。

いろんな事を思い出すなと。
ただ、あまり悲しくはない。
薄情なようだけど。

複雑な思いだけである。




いろんな意味での「思い出」が多すぎる。
どこかで消化していかないと駄目だな。

コメント (4)
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引き続き

2023年09月01日 | 絵日記


なかなか忙しい。
というより疲れている。
絵日記は当分お休みになりそうだ。
ただ、備忘録として残しておくために日記として今日、来週は更新する予定。
本当は火曜日に更新しようとしていたけど、いろいろとあり断念。

今日は、原付のガソリンを入れに行き久しぶりに農協の直売所に。
漬物にする野菜を買いに。
秋ナスを購入。
49日までの間、義妹と交代(ただ、義妹はフルで働いているのでおおむね私が)でご霊供膳を用意している。
雨降ったら無理だよと言いながら。
とりあえず今週までは毎日と思っている。
義母がなくなった事でいろんな手続きが発生して、出歩くのでそのついでもある。
それと後にも書くが他にも理由が。

まず今回は義母の急死について。
風呂場で亡くなっていた。
近所の親しくされていた方が発見してくださり。
この方は、ゴミ出しの協力をしていただいていて、朝におかしいなと思い家の中のをのぞくと・・・(長いお付き合いで鍵も預けてます)
朝に連絡をもらいかけつけるともうそこには警察。
検視などが入り。(またこの話は、後日)
死因は結局、「断定」ではなく「こうだろう」という事で。

警察からの派遣で来た超おじいちゃん先生。
刑事さんがこっそりと
「ご高齢なので書くときに椅子とテーブルを用意していただけますか?」と言われるぐらい。
義妹が見ていたら框が上がれなかったほど。
その先生の話が堂々巡りで死亡時刻がなかなか決着つかず。

義妹がこっそり「こんなに悲しいのに吉本新喜劇を見ているみたいに笑ってしまう」と。
確かに。
私たちの間でのちに『竜じい』 (吉本新喜劇の今は亡き俳優さん)と呼ぶ。

「私は、亡くなったお母さんより年上で84歳です」と言われる。
死亡届の用紙に記入されている文字はよれよれで、おまけに最後に葬儀屋さんが見つけてくれたのだけど、文字の「部分」が抜けていたり。

とかにかく決着がついたのが午後4時前。
夏の暑い時期なので、先生が来るまでに葬儀屋さんを呼んでいいと言われてドライアイスもOKという事で義母が生前から「ここがいい!」と言っていた家族葬専門のところに連絡したり。
正直悲しんでいる暇もなく、というよりみんなの気持ちが義母を早く風呂場から出してほしいと。

近所の人の聞き込みなどもあり、前日に夕方に回覧板をまわしていたりと大丈夫だったそう。
ただ、ちょっとしんどそうだったとは言われる。
義妹とこの日に来ていればと後で話したけど、結局風呂に入ったという事は行っていても私たちが帰った後の出来事になったのではないだろうかと。

死因は溺水で窒息死。
暑さで血管が詰まった可能性があるかもと竜じい先生がぼそぼそと間に言っていた。
後で納棺師(依頼しました)の人が言っていたけどこめかみあたりにうっ血があり多分そうではないかと。
たくさんの事例を見てこられたので、医師並みの知識をいろいろと教えてくださった。

まあ、いろいろと大変だった。
後日また書く。
間に友引が入り告別式まで日にちが出来、会館で預かってもらうという事もした。
家でと義妹がちょっと思ったらしいが、結果的には良かった。
とかにかく暑かった。

そう。
とかにく今年は暑かった。
エアコンをかけない義母。
毎年それで乗り切っていたのだろう。
うちの家は風通しがいいからと窓をあちこち網戸にして。
確かに風は通る。
田舎だし周りは池や田んぼが多いから、都会よりは気温は低い。
ただ、数日前に行ったときにリビングの温度は33.4℃だった。
義妹が行ったとき34度以上だった日もあったと。
ちゃんとつけてとみんな揃って口うるさく言うも聞かない。
私たちが行くときつけていても帰ったら消す。

このブログにも書いたけど今年の前半は骨折して長期で入院していた。
身体も弱っている。
水もあまり飲まない。

風呂場には吐いたあともあった。

今年の夏はエアコンをつけていても壁が焼けてエアコンの効きが悪い日が多々あった。

みんなに後悔ばかり残る結果となった。

1か月前ぐらいに元記者の女性がNHKの朝の情報番組に出ていた。
電気代200円と話題の。
正直、この時期に放送はやめてほしいと思った所だった。
高齢者が朝ドラの続きで見ている番組で。
この方の著書を読んだけど、執筆はエアコンの効いた喫茶店でしている。
ちゃんと「文明の利器」や「電気」に頼っている。
お風呂は銭湯に通っているそうだし、実は外食も多い。
節約なのかどうなのか。
いや、この人はミニマリストなんだと思う。
農業などをして自給自足生活をしているわけでなく都会のど真ん中にいる。
あのアフロだってその恩恵だろう。
しかし物を持ちたくない人。
どこかで感想も書いたと思う。
義母は見ていないと思うが、この人結構似ているなとは前々から思っていた。
ただ、義母は物を持ちすぎているが。
似てるというのは身につけるもの。
家の中での服が義母の夏のスタイルに似ていた。
暑さを回避するために肌を出すスタイル。
でも義母は喫茶店とか行かないし、外食もしないし人に頼ることが嫌いだ。
人それぞれの考えがあるし、この人の考え方や生活を否定はしない。
本人の自由だ。

ただ、この時期こういった節約の放送ははやめてほしいなと思っただけ。
すごくこれを見て義母の事を危惧していたという事だけ。

私の母は毎日電話をかけてくるが、ここ最近お風呂に入った報告のほか「今日もちゃんとエアコン入れました」と言う。

後悔が残る事ばかりである。
自分の親には強く言うので、こういった報告になった。
ただ、義妹も自分の母親に強く言っていた。
多分私よりももっときつい言葉で。

まだ暑い日はずっと続くようだけど、田んぼと山が多いこのあたりは夕方になると気温が下がるようになった。
本当に後悔ばかりが残る。
悲しいという気持ちより悔しいし、正直ちゃんと私が文句を言って逆襲しようと思っていたところだった。
この前も、本当に嫌なこと言われたし。

そして、おとーさんは言えば今回も結構義妹と私にかなり丸投げである。
本当は放っておくつもりだったが、義妹が気の毒で結局書類などの手続きで奔走している。
上記に書いたのを見ても「義妹」しか出てこないでしょ。
義妹と一緒に市役所もまわったよ。
ただ、夜にやいやい言っておとーさんにも書かしているが「こんなに記入したら指がつかれた」とか言いやがる。
私は市役所でもっと書いてきた。
これもまた後日書く。



今日は、義妹が休みという事で義母宅には義妹が行ってくれている。
それで減ったガソリンを入れに走ることにした。
こんなに原付で走ったのは超久しぶりで一気にガソリン減った。
とりあえず49日といろいろな手続きなどを済ませて後の事はゆっくり考えていくことにした。
大量にある義母の持ち物をどうするか問題もある。
ここ1か月で外の物置が2つ増えていた。

大変ですね。



ほんと。

※しばらくブログの訪問は、「いいね」だけになるかとm(__)m
コメント (8)
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