お暑うございます。
7月下旬から昨日まで、北海道に行って来ました。北海道もここ3日間くらいは大変暑く、日中はクーラーが欲しいような気温でした。
今回は、旭川、稚内、音更町、広尾町と、13名の方にお会いする事ができ、中国・サハリン残留邦人と「周辺の証言」に貴重なお話を伺う事が出来ました。
大雪山の麓の温泉をいくつか楽しみ、旭岳ロープウェイ、黒岳ロープウェイ&リフトなどにも乗って、大雪山の花々を写真に収めました。ホテルの裏にあった「風のガーデン」も多彩な植栽が風に揺られて素敵でした。美瑛や富良野のモザイク模様のお花畑は、あまり興味なく、通りすがりに写真を2,3枚撮っただけでした。実は2年前に、友人夫妻と4人で、北海道のガーデン巡りをし、ウインザー洞爺の朝シャン(朝からシャンパン)や、星野リゾートトマムの雲海テラスでの朝食も楽しんだりしたのでした。その時に、ほとんどのガーデンは制覇したのです。印象深かったのは、十勝千年の森と六花亭のお庭、太四郎の森でした。自然の草花や植栽を利用して、おおらかで伸びやかなお庭でした。
今回はインタビューが中心でしたが、そこはやはり、合間に楽しいことも入れ込みました。海を見渡す温泉に入ったり、食べきれないくらいの量のウニがのったウニ丼(稚内)やら、半分に切った富良野メロンをスプーンで掬って食べるという幸せなこともしました。
ところで、毎回取材では、私の知らない多くの事に気づかされます。ノモンハン事件の生き証人である100歳の翁は、「小学校の時、クラスの半分近くはアイヌだった」とインタビューの中で話されています。そういえば、『角川短歌8月号』の「時田則雄 まず農があり、歌がある」の記事の中に、「やっぱりアイヌ語地名はきちっと残す事が大切だと思うね。北海道の貴重な文化ですよ。財産ですよ。アイヌ語地名というのは。昨年馬場あき子先生がここへ来られた時ね。「福島にも、アイヌの人たちが暮らしていたわよ」って。「集団を成して暮らしていたわよ」って。すごく興味深かったね。その話。だから、まず先住民族がいて、あとから入ってきたものたちと混血して、今の日本人が形成されたのかなと、私は思っています。そんなことで「みんな、友達」と。」
古い記憶の中に、たぶん20歳前後に読んだ『津軽の野づら』深田 久弥 (著)という本がありました。手元にはないのですが、ネットで調べたら1948年 (新潮文庫)出版の本でした。記憶では、アイヌめのこのチャシヌマという天真爛漫な女の子が主人公で、ストーリーらしいストーリーは思い出せないのですが、津軽の野原を駆け回っているイメージだけ覚えています。当時は青森にもアイヌの人たちが暮らしていたということでしょう。
また、サハリンにもアイヌの人々は暮らしていましたが、日本人が入植するといつの間にかいなくなったということです。
きちんとした統計的な経年変化がわかるような資料はどこかに残されているのかも知れません。
知れば知るほど知りたいことが増える。
自由に使える余裕の1日を、半日はスタバでネット(旅館のWi-Fiが不安定で)。その後、川村カ子トアイヌ記念館にするか、三浦綾子記念館にするか、両方いけるか、悩んだ結果、三浦綾子記念館に行って来ました。来館者の少ないそこで、偶然にも友人に再会するというハプニングもありました。展示も見応えがあり、それはそれでよかったのです。高校時代から好きな作家でした。今回、川村カ子トアイヌ記念館に行けなかったことは、「また、いらっしゃい。」と、神々が手招きしてくれているものと考えましょう。
近日中に、13名のインタビューは公開します。北海道在住の友人の高校時代の恩師と言う方とその方の元同僚の先生に、ずいぶんお世話になりました。多くの方々との出会いと繋がりがあって、今回もインタビューが出来ました事、感謝申し上げます。
*大雪山はアイヌ語でカムイミンタラ「神々の遊ぶ庭」という意味だそうです。