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本日の毎日新聞山形版で、取材時のこと、本のことが紹介されました。

2020年11月15日 10時32分33秒 | 取材の周辺
 次の本の執筆に行き詰まり、気分転換も兼ねて、蔵王温泉に約3週間ほど行っていました。gotoキャンペーンの恩恵を受けて、しかも使い切れないくらいのお土産代(地域共通クーポン)まで用意してくださるという政府の大盤振る舞い!ありがたく享受して参りました。
 予定はしていなかったのですが、4年前にインタビューした皆さんにも、数人会うことができました。孤児編の本を送ると、真っ先に電話をくれた浅黄さん。「誰も俺の話なんか聞いてくれなかったのに、話を聞いてくれて、本にしてくれて、涙がボロボロ出たよ。今までで一番のプレゼントだ」と。また手塚さんは、近所の親しい人に私が贈った本を貸したら「手塚さんの苦労がよくわかった」と言ってくれたそうです。近くに住んでいるお姉さんは本を読んで泣いていたとのこと。妹さんも読みたがっているけれど、近所の人に貸し出し中とのことだったので、私の車に積んであった本を差し上げてきました。まわし読みしてくださっていることも嬉しいですし、近所の人が手塚さんの苦労、悲しみを理解するのに、本がその役割を果たしてくれているのも、何より嬉しかったです。
 4年前のインタビューでお世話になった支援者の方が、毎日新聞の記者に連絡をしてくれて、取材に至りました。
写真の記事は読みづらいので、以下にコピペします。
 
無念の声、後世に 中国残留孤児・残留婦人、証言集 過酷な体験200人から 埼玉の藤沼さん /山形
毎日新聞2020年11月15日 地方版
  • 社会一般
  • 山形県
 太平洋戦争の終結後に旧満州(中国東北部)に取り残された中国残留孤児と残留婦人から証言を集めてきた元上智社会福祉専門学校講師の藤沼敏子さん(67)=埼玉県川越市=が、証言集3冊を出版した。孤児と再会するために来県した今月、毎日新聞の取材に応じて「戦争で犠牲になった無念の声を一つでも多く残したい」と語った。【佐藤良一】
県内から満州へ1万7000人
 証言集は「あの戦争さえなかったら 62人の中国残留孤児たち」(上・下)と「不条理を生き貫いて 34人の中国残留婦人たち」。北海道から沖縄まで巡り、中国や台湾も訪ね、約200人から体験を聞き取って、インターネットでビデオ映像を公開。それを基に書籍にまとめた。県内の残留孤児11人と残留婦人2人も証言した。
 戦前、国策として全国から旧満州に送り込まれた「満蒙開拓団」。約27万人が在籍し、約8万人が敗戦の混乱で犠牲となった。関東軍に青壮年の男性が根こそぎ召集され、残った高齢者や女性、子供らが旧ソ連軍や現地の盗賊から逃避行し、多くが集団自決や餓死、病死した。山形は長野県に次ぐ1万7000人を送り出した。
 藤沼さんは、埼玉県で在留外国人を支援する日本語講座のコーディネーターをしていた1990年ごろに残留婦人と出会い、中国での過酷な体験に衝撃を受けた。「多くの女性は逃避行中に暴行を受け、現地の貧しい農家の嫁となって生き延びた」と話す。「なぜ、こんな思いまでして生きなければならないのか」と訴える女性たちの声を聞き、証言を集め始めた。

 藤沼さんは今回、残留孤児7人と再会した。介護施設や病院に入ったり、認知症を発症した人もいて、高齢化が進む孤児の現状を痛感したという。
 浅黄勉さん(83)=河北町=は2016年に証言し、祖父母、母、妹3人との逃避行について語った。収容所で末の妹、引き取られた中国人宅で妹2人が死んだ。文化大革命をへて75年に永住帰国。会社に入ったが、同僚からは「満州」と呼ばれた。年金は生活保護の基準より少ないという。「それでも日本に帰ってきてよかった。自分の国だから」と証言した浅黄さん。藤沼さんから贈られた証言集を手に「誰も話を聞いてくれなかったのに本にまでしてくれて、人生で一番のプレゼントだ」と泣いて喜んだ。
 藤沼さんは「日本は国策としての満州開拓を総括していない。戦争の惨禍を繰り返さないためにも、記録を残して後世に伝えたい」と話す。青少年義勇軍や従軍看護婦などの証言をまとめた続編に取り組んでいる。
 証言集は単行本で、各2750円(税込み)。オンライン書店「アマゾン」で販売中。(津成書院はアマゾンでは販売していません。一般の書店で購入をお願いします)


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