『あの戦争さえなかったら 62人の中国残留孤児たち(上下巻)』を関係各位に送り、早1か月近く経つというのに、たくさんの手紙やメールが今も続いている。
「証言22 池田肇さん」から、「本にしてくれてありがとうございます。とても嬉しかった」という礼儀正しいお電話をいただいたのは、発送直後でした。その時に頂いた電話で、「インタビューの中で、奥様が手記をパソコンでまとめられていると伺いましたが、それは読むことはできますか?」とずっと気になっていたことを尋ねた。池田さんは、奥様は「自分よりもっと大変な生活をしてきた。生きてる間に藤沼さんに話を聞いてほしかった」と。それから三日ほど前に、息子さんの協力を得てプリントアウトして送って来てくれた。新聞の切り抜きは、後半が切れてしまったものしか見つからなかったそう。たぶん11年くらい前の信濃毎日新聞のようだ。
奥様の律子さんは鹿児島県奄美大島出身、大羅勒密開拓団だった。旧姓は阿世知律子さん。二人とも残留孤児同士の結婚だった。律子さんは帰国当時、全く日本語が話せなかったそうです。息子さんが古いパソコンを持ってきてくれたのがきっかけで、「あいうえお」から勉強を始めたそう。中国帰国者の日本語教室や交流サロンに通い、字を書くことが苦手だったのに、キーボードを打って日本語の文章を書くことができるようになって、大変喜んでいらしたそうです。律子さんは、中国で夜間学校に三か月しか通っていません。
律子さんの渾身の努力が実を結んだ「終戦時記録」と「旧満州開拓移民記録」です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます