夢のたまて箱

日々の出来事や趣味のことなどを、気の向くまま・・・

被災地 相馬へ

2011年06月03日 | Weblog

今日の天気は・・・

相馬にいる 友達に会いに 行ってきました。

彼女はあの大地震の前日に手術をして 当日 一般病棟に移ってきたときに

地震にあいました。

それから 病院は停電と断水で 術後の食事は大変だったそうです。

重湯から始めなくてはならないのに いきなり おにぎり1個 出たときもあったそうです。

他の患者さんには 食パンが一斤でたとか

一斤・・・って一枚じゃなくて?と聞き返したけど 1斤だったそうです(・_・;)

病院がどんなにパニクッていたか・・・

朝 7時に出て コンビニで食料を仕入れ 7時半には東北道に乗りました。

それから 休憩なしで3時間 福島西まで そこから 115号線にはいり1時間ちょっとで

無事相馬着です。

高速道路は 福島に近づくほど 道路は修理したあとがあり 結構でこぼこしていました。

まだ 何箇所かは工事中だったり 落石防止の工事中だったり。

高速では災害派遣の自衛隊の車両や警察車両をすれ違いました。

自衛隊車両のナンバー福岡ナンバーだったりして 自衛隊車両を見るたびに

ありがたくて 手を合わせたくなりました。

友達は私達をみてとても喜んでくれました(^ー^* )

友達はとても元気そうで 変らなかったです。

ただ あまり食べれないそうで 少し体力がないみたいです。

友達の家は瓦が落ちてシートに覆われていました。

それに土台にヒビがはいり クロスにもひび割れのしるしの 付箋がいたるところに

貼ってありました。

庭に野菜も作っていたけど 誰も食べたがらないとか。

たまねぎなんて 大きくてほんとうに美味しそうなのに・・・

洗濯物も部屋干しで窓も開けてないそうです。

少しお茶をご馳走になり 被災地を案内してもらいました。

すこし 走ると 船がひっくり返ってて・・・

友達の所から5分ぐらいのところです。

昔 行ったことがある 松川浦のホテルは形は残っていたけど

一階部分は鉄筋だけが残っていて スカスカでした。

そのすぐ前にあった市場は鉄筋が折れ曲がっているのが 残っているだけで

何もありませんでした。

松川浦から 下って 磯辺 海老地域 そして原町あたりを見てきましたが

船がありえないところにひっくり返っていたり 大きな木が根こそぎひっくり返って

いたり 地盤が下がったのか 海水がまだ引いてなかったり

田んぼは海水が引いて 白くなって地割れがしていたり・・・

見渡す限り 何にもなくなっていたり ほんとうにひどいものです。

あまりにも気の毒で 写真を撮ってはいけないような気がしてたけど

友達に撮ってもいいかと 聞いたら 後世に伝えていかないといけないから

是非撮ってというので 撮らせてもらいました。

 

↓ 船もコンテナトラックもひっくり返っています 

家も流されていました。 

↓ 田んぼは津波の海水が引いて 白くなってひび割れています。

もう おコメは当分作れないかも・・・

住宅が一軒もなくなり あるはずもない テトラポットが流れ着いていました。

遠くに土手のように見えるのは瓦礫の山です。

瓦礫もまだ片付いていないのに もう置く場所もなく この瓦礫を

分別するのだそうです。

フォトアルバムも作ったので 皆さん 是非見てください。

そして あれから3ヶ月も経っているのに まだこんな状態だということを

判ってほしいです。

友達もそうだけど 東北の人たちは我慢強いです。

耐えて耐えて 今も避難所で生活しています。

どうか 東北が元気になるまで 応援してください。

政治家のみなさん 政権争いをしてる場合ではないですよ。

一日でも被災地に行って 瓦礫の処理を手伝い 避難所で

生活してみてください。

どんなに大変か・・・

政治家達よ 恥を知れ!

 

 

 

コメント (2)
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