「私は何十年も前に、こちらのお宅にお邪魔した者です。こういう写真を持っているんです」と、家族と思われる女性に話しかけました。40年前に声をかけてもらったこと、その日に新地でご飯を食べさせてもらったこと、5年後にここのお家に呼んでもらってご飯をごちそうになったこと。
窓から見える、斜面に立つ家々の風景は30年前とあまり変わっていないような気がする。クルマが入れない場所への家の新築はできないルールがあるそうで、古い家のまま、空き家がどんどん増えていると教えてもらいました。だからこのあたりの風景は遠目にはあまり変わらないのだと納得しました。
義理のお父さんに縁ある人物の突然の訪問に、その女性はずいぶん驚いた様子でした。予想はついていましたが、40年前のその方はすでに亡くなられていました。いろいろなお話を聞かせてもらいました。その方の出身地のこと、長年勤められたお仕事のこと。
女性から、義父の仏壇を拝んでやっていただけますかという提案がありました。通してもらった仏間は、ぼんやりですが晩御飯をいただいた部屋のような気がします。線香に火をつけ、手を合わせる。見上げるとその方の写真と並んでいるその奥さんの写真。思わず、「そうそう、このお顔でした」
位牌を確認してもらうと、平成9年に亡くなられています。
あちらにもこちらにも龍馬がいます
ここにも休石
お世話になった方の息子さんにはお会いできないまま、風頭山を後にしました。自動車道を蛍茶屋方面に下っていき、途中から龍馬通り、細い坂道を下って墓地の間の石段を降り、深崇寺と三宝寺の間を抜けて寺町通りに出ました。やはり坂道で何人かの地元の人とすれ違いましたが、クルマの入れない民家は確かに多い。新聞配達の人も、宅配便業者も、家電量販店の配達の人も、他の都市にはない苦労をしているのだなと思います。そして、長崎市の人は他の都市の人と比べて、きっと心肺機能が強壮なのではないかと思いました。
風頭山から寺町通りへ下りる途中から
龍馬通りから寺町通りへ下りたところ
あの美術館で教えてもらったことですが、風頭山はもともと石切り場だったそうです。ここで切り出した石を寺町にあるお寺の墓石にしたり、中島川にかかる石橋の素材にしたということです。
魚の町、松翁軒本店のカステラ
(つづく)
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