文庫になったのが1974年といいますから30年以上前の「古典」ともいうべき作品でしょう。この一冊は表題となった作品のほかに、「汚点」(しみ、と読むらしい)、「あくる朝の蝉」。3編とも、作者の少年時代、養護施設で過ごした日々の自伝的小説というくくり方ができるかと思います。
井上ひさしの面白さは大学時代の後輩から教わりました。こってりと言葉を重ねて笑わせる文章の作り方は仕込みにずいぶん時間がかかるだろうなと思っていました。ところが、今回の作品は少々雰囲気が違います。「こってり」がありません。
今はテレビ局で働く利雄が、洗濯番号41番とつけられて少年時代を過ごした孤児院、ナザレト・ホームでの、洗濯番号15番の昌吉にひどくいじめられながらもたくましく生きた生活を回想する話、と書けば一応筋を押さえたことになるでしょうか。
書かれてから随分時間が経つのに、不思議と古さを感じさせない文章です。
初めて読む本のはずなのですが、「あくる朝の蝉」の1シーンに記憶があります。孤児院での食事の癖で、お茶碗を変な持ち方をしてしまうということろなのですが、井上ひさしの他の小説にも出てきたシーンなのか、彼のエッセイの中で子どもの頃のことを語った文だったのかわかりません。
井上ひさしの面白さは大学時代の後輩から教わりました。こってりと言葉を重ねて笑わせる文章の作り方は仕込みにずいぶん時間がかかるだろうなと思っていました。ところが、今回の作品は少々雰囲気が違います。「こってり」がありません。
今はテレビ局で働く利雄が、洗濯番号41番とつけられて少年時代を過ごした孤児院、ナザレト・ホームでの、洗濯番号15番の昌吉にひどくいじめられながらもたくましく生きた生活を回想する話、と書けば一応筋を押さえたことになるでしょうか。
書かれてから随分時間が経つのに、不思議と古さを感じさせない文章です。
初めて読む本のはずなのですが、「あくる朝の蝉」の1シーンに記憶があります。孤児院での食事の癖で、お茶碗を変な持ち方をしてしまうということろなのですが、井上ひさしの他の小説にも出てきたシーンなのか、彼のエッセイの中で子どもの頃のことを語った文だったのかわかりません。
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