ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

川の中道

2024-05-28 19:02:06 | PiTaPaより遠くへ
 なるほど、輪中の集落です。民家は道路や田んぼよりも1mくらい高くした土地の上に建てられています。ここまで走ってきた堤防の高さは約10mあるそうです。集落側からその道路は見上げる位置に走っています。

 「輪中の郷」に入ってみました。スタッフはいるものの、来館者は平日のこともあり、私一人。入館料でやっていけるのかしらん?余計な心配をしてしまいます。


 輪中とは「低くて湿った土地にある集落と農地を囲む堤防があって、水を防ぐための組織体を作って、外水や内水を管理する治水共同体またはそれがある地域」のことだそうです。治水共同体というところに私は意識が出来ていませんでした。とすると、「輪中の郷」というネーミング自体が、栄養豊かなこの土地の恩恵を受け、一方で水害に襲われながらも暮らしてきた人々のノスタルジーあるいはスピリットが詰まったもののように思えました。長島輪中は平均海抜-1.7m。全国で一番低い地域なのだとか。周囲に高さ10mの堤防があるのも不思議ではありませんね。


   伊勢湾台風でもひどい被害を受けた。いや、海抜以下の土地に、気圧低下、南からの強風、大雨。この長島も被害にならないはずはありませんよね。それでも長年闘って現在の輪中での暮らしがある。「輪中の郷」の中庭部分にはアイリス系の花壇になってなっていて黄色や紫の花が咲いています。その隅っこに伊勢湾台風の時の水位が記されていますが、驚くべき高さでした。


 

 輪中の堤防道路をもう一度戻って、立田大橋の袂へ。今度は左折して長良川大橋を渡って、信号で左折。すると、ここで木曽三川をぐるっと一回りしてきたルートがつながるわけです。残念ながら一筆書きにはならないけれど、岐阜県の展望タワーの横をスタートして愛知県を走り、「輪中の郷」の三重県にちょろっと入って、また愛知県に戻って岐阜県でスタート地点。ぐるっと回って戻ってきた勘定です。あそこが公園の駐車場かと行ってみたものの、自家用車は駐車できない。結局この公園をあきらめて走ってしまうのですが…
 そもそもが下調べをしない自分のことを脇へ置いておいて考えるに、国営木曽三川公園って、いろんな公園の集合体なのですね。ここまで通ったルートの中、あるいは付近には、次のような御一党さんがみつかります。木曽三川公園センター、長良川サービスセンター、アクアワールド水郷パーク、東海広場東エリア、東海広場西エリア、船頭平河川公園。「国営木曽三川公園には13か所の公園」があるそうですから。思い付きで行ってみる素人には難しいのですよ。結局、13か所のうち一つの公園にも寄ることができなかったのでした。
と書いたものの、あとで気づいたのですが、「輪中の郷」の隣の「輪中ドーム」はカルチャービレッジと呼ばれる、国営木曽三川公園のひとつなのでした。このエリアを少しだけ歩いたので、「13か所のうち一つの公園にも寄ることができなかった」というのはウソになります。



 さて、いよいよ川の中道です。勝手に自分で名前をつけたのですが、通称は中堤道路というそうです。2年前でしたか、弥冨から桑名まで国道一号線を歩いてみることに挑戦しましたが、長良川と揖斐川を渡る橋が伊勢大橋。国道一号線のこの古い橋(昭和9=1934=年開通)は、橋の途中に信号があって、T字路になっているということ。国道につながるその道路は長良川と揖斐川の間の堤防の上を南下して1号線にドッキングしていました。不思議な交差点だなと思った記憶があります。この道路を勝手に川の中道と名付けて走ってみようと思ったのです。お役所的には三重県道・岐阜県道106号桑名海津線と呼ぶらしい。

 「川の中道」国道一号線側から北を見る
2年前に歩いた時の写真

 2年前に国道1号線を歩いた時の写真を眺めていて気づいたのですが、その1号線で、「輪中の郷」の案内板を見ていたのでした。国道1号線の押付交差点を渡るとき、「輪中」という言葉に、小学校の時の社会の授業で習ったことを思い出したのです。
2年前に歩いた時、国道1号線沿いでみかけた看板。
この看板で何十年ぶりに「輪中」という言葉を思い出した

   何十年も忘れていた「輪中」に、私を連れて行ったのがこの国道沿いの看板。何を勘違いしたか、その時は、「輪中の郷」は介護施設の名前だろうと思っていたのです。そして、思い出させた張本人に、また偶然に吸い寄せられるように入館した。
 後で写真を確認してみたら、この施設もふるさと創成事業によるものだとわかりました。なるほど、一億円。図らずも今日二つ目の一億円でした。
 さらに、「輪中の里」では、かつて、のりすき体験ができたり、観光物産を販売していたらしいということが、案内看板の写真からわかりました。1億円は確かに活躍していたのですね。おそらく今は、事業は縮小されてしまったようですが。しかし、たまたま入った「輪中の郷」に実は2年前に接近していたとは…不思議なものです。

 ところが。「輪中の郷」という名称の特別養護老人ホームもあるのですね。愛知県弥富市にあることを今知りました。

 海津町油島の長良川大橋西交差点が終点、先述の中堤入口交差点(国道1号線の伊勢大橋にある交差点)が起点だそうです。だから、終点から始点に向けて走る格好です。距離はgoogleMAPに測ってもらうと、8.2km。この間信号機はありません。人家もなければ建物らしきものもほとんど見つかりません。地元の人たちは軽快に走っている様子です。私も10分ほどで走り終えました。国道1号線に入る中堤交差点で、信号一回分だけ待ったくらいです。走っていて気づいたのは、長良川と揖斐川の水面の高さが違うということ。長良川には河口堰が作ってあるからでしょうか、長良川のほうが水面が高いように見えました。

 桑名から富田、四日市まで国語1号線を走ります。途中、ロードサイドに「四代目横井製麺所」というセルフうどん店がありました。そう、私が桑名とか三岐鉄道だとか養老鉄道のあるこの近辺を訪ねるようになったのは、名古屋駅近くにあった「四代目横井製麺所」が始まりでした。桑名で「歌行燈」というお店に行き、泉鏡花の『歌行燈』『湯島の境内』を読み、湯島天神で泉鏡花の筆塚を眺め…三岐鉄道に乗り、養老鉄道に乗り、輪中の勉強をし…
この流れは、一杯のうどんから始まったのでした。

(おしまい)



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