ぶろぐのおけいこ

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おのころ島 ええ島 うれしい いろどり あわじ島 (1)

2024-07-29 19:16:10 | PiTaPaより遠くへ
 はじめて淡路島の神話の世界を訪れました。

   考えてみれば車寅次郎だって、島の始まりは淡路島って商売のたびに言っているのに、神話の世界で淡路島をイメージしたことはありませんでした。遠い昔、古事記に出てくる淤能碁呂島(おのごろしま)は淡路島の南にある沼島のことだと教わった記憶はあります。それくらいです。淡路島の中の神話を考えてみたことがなかったのですが、最近、友人が伊弉諾神宮へ行ったという話を聞いたので、淡路島へ行くことがあったらその伊弉諾神宮という神社を見てみたいと思っていたのでした。

 いつも同じことを記しますが、用意周到とか下準備とかの言葉には無縁な私。淡路島に入ってからどこかでもらった「淡路島おもしろマップ」というA3の地図だけが頼り。淡路島観光協会が作成、配付している絵地図です。津名で昼ご飯を食べて、そのまま西へ走る。津名一宮ICを越えてまっすぐ走って行けば伊弉諾神宮に到着するとその地図は教えてくれます。走っている間に、なんとなく景色に記憶がある気がしてきました。記憶が正しければこの先に、うどん屋があるはず。2021年の夏の終わりに寄ったうどん屋が…ありました。うどん工房淡家。以前に訪れたお店が今もあるとうれしい気持ちになります。そのまま神戸淡路鳴門道を潜って、田んぼの中を西海岸に向かって下っていく。ん?3年前もこの道を下って行ったはず。道路の左右に一定間隔で灯篭が置かれてあって(「国生み燈籠」というらしい)、やがて右側に白い鳥居が見えたら、それが目的の神宮。ということは3年前にもこの道路を通っているはず。意識を持っていないというのかこういうことなんですね。見えてても頭に入ってこない。
   
 神宮に入ってみる。ちょっと不思議な感覚になるのが大鳥居の前が交差点であること。大鳥居のすぐ横が左右とも大きな道路で、境内に入っていくにしたがって左右が広くなる。うーん、うまく説明できるかな?正方形の一つの角から中心に向かって進んでいく感じ。結構敷地は広い。都会にある歴史の長い神社では、どんどん境内が削り取られていく歴史を感じることがありますが、ここは不自然な切り取られ方がされていないように素人には思えます。

   境内もゆったりしている。境内の案内によれば、我が国最古の御社だという。この神宮は多賀という在所にあります。賀(よろこぶ)が多い、めでたい地名ですね。伊弉諾、伊弉冉の二神が一番初めに開拓した地が淡路島。国土経営を終えた二神が終焉を迎えた地がここで、御陵がそのまま神宮になったと説明されています。なるほどよくできたお話です。話題は飛びますが、多賀で思いだすのは、滋賀県の多賀大社。古事記(日本古典文学全集)を開いてみると、伊弉諾は近江の多賀大社に鎮座していると書かれています。その頭注には、淡路の多賀とも書かれていて、なるほど、淡海の多賀と淡路の多賀。よく似ています。たった一字違い。どちらが本物かは置いて、関わりのある伊弉諾神宮と多賀大社なのです。少し気になるのは、かたや神宮、一方は大社。社号が異なることですが、素人にはよくわかりません。

 樹齢900年という夫婦大楠があります。イザナキ・イザナミにぴったりの楠。楠は900年も生きていられるのですね。おどろき。

   その近くには、伊勢の皇大神宮遥拝所。この神宮の真東に伊勢神宮があるのだそうです。不思議なものですね。参道の反対側にはもっと不思議なことが「陽の道しるべ」には案内されています。ここから真東に伊勢(皇大神宮・内宮)、真西に海神神社(対馬)、夏至の日出地に諏訪大社(諏訪湖)、日没地に出雲大社・日御碕神社、冬至の日出地に熊野那智大社(那智大瀧)、日没地に高千穂神社(宮崎県)が鎮座する。ここまでくると驚きです。

 で、次にその「淡路島おもしろマップ」を見て、行ってみる気になったのが、岩戸神社。先山という山の頂にあるらしい。しかし、これは断念することにしました。登りかけてわかったのですが山の登り道が細い。クルマではどんな恐い目が待っているかもしれません。これも後で調べてみたら、県道465号を北から入ったので挫折しましたが、同じ県道を淡路島中央IC側から入ればたどり着けたかもしれません。行き当たりばったりですから仕方ありません。天岩戸といえば、弟、スサノオの乱暴に慄いたアマテラスが隠れたところ。淡路島には天岩戸まであるのですね。いつか、たどり着いてみたいものです。

 次に目指したのがおのころ島神社。海水が固まってできた島がおのころ島。初めにこの島ができ、この島を拠点に国土が出来上がっていく。古事記(日本古典文学全集)によれば、おのころ島は実在の島として「瀬戸内の家島、淡路の絵島、友ヶ島群島の沖ノ島、淡路島の南ある沼島」と解する説もあると書かれています。そのおのころ島神社に赤い大きな鳥居があります。明石海峡側からこの高速道路を走ると、最初は大阪湾を見下ろす側(つまり島の東側)の山の中腹を走り、東浦からは山の中を走り、島の南のほうでは平地の田んぼの中を走り、鳴門海峡を渡っています。この平地を三原平野と呼ぶのだそうですが、平野を走るとき、東側を注意深く見ていたら、大鳥居があるのを確認できます。

 平野なのに神社のある部分だけ一段高くなっています。なるほど、平野を海と見ると、一段高くなった場所はおのころ島だというわけですね。正殿のある場所の高さを国土地理院地図で確認してみるとせいぜい6mほどのようです。小さな神社ですが、観光客はよく訪れています。石段を上がったら正面に正殿、右手に鶺鴒石というのがあって、赤と白の綱がかけられています。男女の出会いや絆を深めることを願うものらしい。私は…もう今更。
 気になるのは大鳥居のサイズ。昭和57年に完成した鳥居は高さが21.7mと、神社の案内に書かれています。「【鳥居の大きさランキング】10m越えの巨大鳥居TOP31」というサイトによれば、巨大鳥居第17位にランクされています。

 神社の周辺に、「天の浮橋」があると案内されていたので、歩いて行ってみました。天の浮橋は、おのころ島をつくるとき、イザナギ・イザナミの両神がここから天の沼矛を海に下ろしてかき回したとされるところ。住宅の間にありました。こちらは鳥居があって、中に「天浮橋」と彫られた石碑が置かれていました。この鳥居はとても小さく、潜るときに頭をしっかり打ってしまいました。それから数百m歩くと、葦原国があるという案内もあります。田んぼの中に鳥居のようなものが見えます。その背景には神戸・淡路・鳴門自動車道。

(つづく)

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