あちらこちらに湯けむりが立っています。宿(?)を出て約1時間でアカンダナ駐車場に滑り込みます。6時半過ぎでも第2駐車はかなりクルマが停まっています。そこを過ぎて第3駐車場まで下りると広いスペースにアウディとスバルの2台が停まっているだけです。
気温は7℃。雲は切れて、いい天気。木々の葉が黄色く染まり始めています。バス乗り場のある管理棟の屋根には朝日の熱で湯気が上がっていて、私なんぞの感覚では冬です。
実は、昨日家を出るとき忘れ物をしました。40km走ってから気づいて取りに戻ったので、結果80kmと3時間のロスとなりました。その忘れ物はディパックとその中身。車寝をしようと思うと荷物もそれなりの量になり、一晩では準備しきれません。一番初めに準備をした荷物はしばらく邪魔なのでクローゼットに入れて、それを忘れたまま出発してしまったのでした。これがないと…今回の一番の目的は50代の上高地を歩くこと。
このブログにも「40代の上高地」という記事を09年に書いていますが、10代から40代までほぼ10年おきに1回ずつ、上高地にやって来れました。だから50代の間にもう一度上高地を歩きたい。自分に知恵と体力と装備があれば上高地から山登りもしたいと思いますが、ないものは仕方ありません。
平らなところを歩くなら私にもできると思い、40代で上高地に来たときは大正池から明神池まで歩きました。そのとき思ったことは、明神の上流にはどんな景色があるのだろうかということでした。それで50代で行くときには徳澤まで歩いてみたいと思っていました。
もう冬かと思うようなアカンダナ駐車場。待合室はストーブがすでに活躍していました。なのに、やってきた濃飛バスの運転手さんは半そでのシャツ。7時20分発の上高地行きのバスは7名ほどの乗車で出発。次に停まる平湯バスターミナルではさらに10名ほどの乗車。バスターミナルの切符売り場には「本日の上高地10℃」と出ています。隣のバスは乗鞍高原行きのバス。そして今出発したのは新宿行きの京王バス。なるほど。立派なバスターミナルです。私より少し年上と思われる男女5人のグループは登山の装備です。バスのお腹(荷物室)に大きなバックパックを預けて乗り込んできました。会話を聞いていると、「上高地」だの「槍」だのという単語が聞こえる。へぇ、この人たちは槍ヶ岳を目指すのか、羨ましいなと思っていました。しばらくして気づいたのは韓国からやってきた登山者らしいということ。考えてみれば当然ですが、韓国の言葉でも上高地は上高地、槍は槍ですものね。ちょっと不思議な感じでした。
バスは安房トンネルをあっさり抜けて、釜トンネルもラクラク通過。上高地側は霧に包まれている様子。
20代の上高地は、当時のネガフィルムの記録を確認すると85年10月31日のことでした。S君のカローラⅡの助手席で上高地入り。当時は夏の期間を除いては上高地バスセンターまでは自家用車で入れました。暗いうちに上諏訪のホテルを出て、塩尻峠を越えて松本経由で入りました。松本辺りを通過したのは7時前だったはずですが、小学生たちが登校中。なんと朝の早いことかと驚いたものですが、のちに長野県は教育県だと聞いて納得したのを覚えています。「信濃の国」という県歌があると知ったのはずっと後のことです。
河童橋付近の白樺林の切が徐々に晴れてきたのを覚えているのに、大正池では青空でしたから、たぶん先に河童橋を訪れたあと、戻り道で大正池に下りたんでしょう。道路の端でクルマを停めて写真を撮りに行く。今からは考えられないような優雅な交通事情でした。
7時50分。バスが上高地バスセンターに着くころには、霧も薄くなりいい天気になりました。空気はキリッとしていて、歩くにはちょうどいい感じです。
(つづく)
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