山村
先ほど柳さんから震災と鷽替えのお話がでましたが、石垣さんは2004年の新潟県中越
地震の際には新潟県立歴史博物館の学芸員として、2011年の東日本大震災の際には文化
庁技官として、文化財の救出のみならず地域の再生に関わる文化財の有用性について肌で体
験され、情報発信されておられます。
なかなか今まで触れられることが少なかった「文化財」と「まち育て」についてどのよう
にお感じになっておられますでしょうか。
石垣
新潟の時は帰るところも復興していくものが見えていたのですが。東日本大震災では、津
波や原発などで帰る場所がない。もどる場所が分からないという状況。それまでの地域社会
が構築できない時に精神的な繋がりというものが、家という単位であれば、記念写真やアル
バム、位牌などです。それが村という単位であれば、それは神社であり、神事なのです。
その中で例えば、行政がこの祭りを復興させなさいとか言って復活させてもそれは地域の
人々が自分たちで選びとってきたものでなければ、一過性のもので終わってしまうと思うの
です。あくまで地域の人が選びとってくるもので、地域の人が好きだから、やりたいからや
る。地域の人たちが主体的に選びとるというのが大きな要素になっていて。先ほどもウソ替
えでもありましたが、神事や祭りも神社やお寺主導ではなく、里人主導で行われていたとい
うのがよく分かりました。うそかえや鬼すべも地域に根ざした祭りです。
地域主導で選びとって復興した祭りはおそらく次につながるだとうし、繋いだ人もつない
でいくだろう。それが地域の復興や地域づくり、地域の活性化につながっていくものだと思
います。
それから先ほど大野原きじ車保存会さんと太宰府木うそ保存会さんが交流会をされている
ということでしたが、自分たちのものを知るためには他のものを見る。郷土玩具や縁起物と
いうジャンルを知り、交流していくことで切磋琢磨してよりよい物が生まれ、次に繋がって
いくと思います。太宰府木うそ保存会さんだけでは難しいことも、太宰府市と協力した活動
の仕方でよい関係で活動をされていると思います。
こういう活動をぜひ続けていってほしいと思います。
つづく…
先ほど柳さんから震災と鷽替えのお話がでましたが、石垣さんは2004年の新潟県中越
地震の際には新潟県立歴史博物館の学芸員として、2011年の東日本大震災の際には文化
庁技官として、文化財の救出のみならず地域の再生に関わる文化財の有用性について肌で体
験され、情報発信されておられます。
なかなか今まで触れられることが少なかった「文化財」と「まち育て」についてどのよう
にお感じになっておられますでしょうか。
石垣
新潟の時は帰るところも復興していくものが見えていたのですが。東日本大震災では、津
波や原発などで帰る場所がない。もどる場所が分からないという状況。それまでの地域社会
が構築できない時に精神的な繋がりというものが、家という単位であれば、記念写真やアル
バム、位牌などです。それが村という単位であれば、それは神社であり、神事なのです。
その中で例えば、行政がこの祭りを復興させなさいとか言って復活させてもそれは地域の
人々が自分たちで選びとってきたものでなければ、一過性のもので終わってしまうと思うの
です。あくまで地域の人が選びとってくるもので、地域の人が好きだから、やりたいからや
る。地域の人たちが主体的に選びとるというのが大きな要素になっていて。先ほどもウソ替
えでもありましたが、神事や祭りも神社やお寺主導ではなく、里人主導で行われていたとい
うのがよく分かりました。うそかえや鬼すべも地域に根ざした祭りです。
地域主導で選びとって復興した祭りはおそらく次につながるだとうし、繋いだ人もつない
でいくだろう。それが地域の復興や地域づくり、地域の活性化につながっていくものだと思
います。
それから先ほど大野原きじ車保存会さんと太宰府木うそ保存会さんが交流会をされている
ということでしたが、自分たちのものを知るためには他のものを見る。郷土玩具や縁起物と
いうジャンルを知り、交流していくことで切磋琢磨してよりよい物が生まれ、次に繋がって
いくと思います。太宰府木うそ保存会さんだけでは難しいことも、太宰府市と協力した活動
の仕方でよい関係で活動をされていると思います。
こういう活動をぜひ続けていってほしいと思います。
つづく…