海難1890は、どうしても見たい映画でした。
解説はこちら→海難1890
1890年台風に遭遇し、串本沖で座礁して沈没したトルコの船エルトゥールル号。
その時村人は総出で救出に向かった。
多くの人を助けることは出来なかったが、救助した人たちを看護し、食料を提供した。
1985年イランイラク戦争のさなか、外国人は国外退去の状況になる。
救援機がその国の人たちを乗せて飛び立つなか、日本人だけが取り残されていく。
日本人が日本人を助けに来ない。
日本大使・野村は、トルコの救援機に乗れるように頼んでみることに。
トルコの首相は、周りの反対を押し切って日本人を救出のため追加便を出すことを決断する。
1985年の登場人物が1890年の登場人物の子孫であることが想像できる。
1890年は日本の村人がトルコの遭難者を救助した。
1985年はトルコの首相が日本人の救助を決断した。
私の知らない時に、知らないところで、時を超えて人の真心が受け継がれていく。
我が故郷和歌山県で起きた出来事をもっと多くの県民が知るべきだと思う。
私も学生の頃は知らなかった。社会人になった頃に知ったことだ。
1985年空港で母にすがって泣いてる日本の子供をトルコの子供が手を差し伸べる場面に目頭が熱くなる。
1890年の場面、「どこのもんでもかまわん、助けなあかんのや」みんな自分のできることをしている。村人の思いが胸に迫ってくる。
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帰りにパンフレットを買おうとしたら完売だった。早すぎる。どこか他で購入できるだろうか。
次は「杉原千畝」を見たい。
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