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神戸学生青年センター 2021年春に阪急六甲駅周辺へ移転

2020-10-22 18:31:11 | ニュース
 阪急六甲から神戸大に登る坂道沿いにある神戸学生青年センターは、神戸大の部活動・サークル活動を40年近くにわたって支えてきた。2021年3月末、現在地での運営を終了し、4月から阪急六甲駅周辺の2か所に移転する。これまで神戸大生を見つめて来た飛田雄一・理事長に聞いた。<大垣萌・塚本光>


(写真:神戸学生青年センター前に立つ飛田雄一理事長。2020年9月撮影)

 神戸大生が、部活動やサークル活動などで利用してきた神戸学生青年センター。1972年の開設以来、神戸大生のみならず、市民の活動の拠点となってきた。しかし施設の老朽化が目立ち、改修工事が迫られたため、2021年度3月末、現在地での運営を終了し、4月から阪急六甲周辺の2か所に移転し新たなスタートを切ることになった。
これまで運営を支えてきた宿泊業務は終了するものの、セミナーや貸し会議室業務は続ける。留学生支援にも力を入れていく。

 神戸学生青年センターは、1955年に米国の宣教団体・南長老会長が設立した「六甲キリスト教学生センター」が前身。1972年、現在の8階建てマンションの1階フロアに「神戸学生青年センター」として開設した。
 折しも1970年の安保闘争の時代の直後。クリスチャン限定の学生の活動センターではなく、幅広い社会活動を行うことができるセンターという形でのスタートだった。


(写真上:先代の理事長、保田茂・神戸大農学部名誉教授のセミナーの様子。保田さんが手がけた食料環境セミナーは、2019年3月に500回を迎えた。キリスト教、コリアと並ぶ神戸学生青年センターのセミナーの大きなテーマだ)

 以来、さまざまな市民運動の拠点となってきた。
 有機農業運動の拠点になり、1970年代中盤には食品公害反対運動の一つの拠点でもあった。1980年代終わりから朝鮮半島の歴史を研究する事務局も置かれて、1990年以降は在日コリアンを研究するネットワークの要にもなった。


(写真:阪神・淡路大震災直後の留学生支援集会。1995年)

 大きな転機となったのは、1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災だ。
 理事長の飛田雄一さんは、「(困っていた)留学生にガスコンロをようけ集めてようけ配ったんですよ。2300万円分くらい配った。次の下宿を探すのを支援したり、家族の支援もして…。5月くらいまでここで留学生が暮らしていたね」と振り返る。
「昔から留学生センターだと思っている人がいるけれど、それは震災の後」と飛田さん。被災留学生への支援をスタートさせ、以後留学生のサポートも神戸学生青年センターの大事な柱になったという。

 震災から1カ月足らずの2月4日には水道が復旧。センターは重油ボイラーでお湯を沸かしていたので、周辺のガスがまだ復旧しない中、いち早く風呂が使えるようになった。上階のマンション住人にも風呂を開放した。多くのボランティアたちがセンターに泊まり込んで救援活動に当たった。
 震災の経験を忘れないようにと、センター内には壁のクラック(ひび)の痕跡を大切に残している。


(写真上:センター内の倉庫の壁だけは、修復せずに1995年の震災時の亀裂を残したままにしてきた。2020年9月撮影。)

 センターはこれからも、留学生はもちろん、神戸大生からも愛され続ける存在となるだろう。
「1969年からの自分がおった時期は学生運動が盛んだったから、その頃に比べたらおとなしい。でも、学生はいつまでも変わらないもんなんじゃないですか」と飛田さん。
「今はコロナがあるから、(大学生気質も)また新しい変化もあるでしょうね」と眼を細める。

 神戸学生青年センターの移転は2020年12月末の予定だったが、2021年3月末にずれこんだ。阪急六甲駅近辺2か所に移転して営業する。神戸大の部活・サークルや市民への会議室の貸し出しなどは継続して行われる予定。2022年には、新しい留学生寮を開設予定。
 なお、2021年3月13日(土)14時から、「現センターお別れ会&新センター内覧会」を開催する。現在「引越し募金」を受付中。



【公益財団法人 神戸学生青年センター】
 現在地=〒657-0064 神戸市灘区山田町3-1-1(六甲ニューライフマンション1階)
 サイト=https://ksyc.jp
 電話=078-851-2760。



【飛田雄一・理事長】1950年5月、神戸市生まれ。兵庫県立兵庫高校卒。1969年神戸大農学部入学。1978年大学院農学研究科卒。卒業後、同センターに就職。1991年神戸学生青年センターの館長に就任。2019年、理事長に就任。

(画像↓インタビューはzoomで行いました。)