日馬富士の傷害事件に関わる騒動が、年末年始の騒ぎを生んだ。結果として、理事会、評議会の決定を経て結論が出たが、今度は、その結論が腑に落ちないという意見もあり、どうもすっきりしない。
事態紛糾の一つは、理事であり、巡業部長たる貴乃花親方の態度である。だんまりの期間が長く、協会をじりじりさせ、ファンをいらいらさせたという事実は否定できない。その結果、親方への処分の理由の一つが、「礼を欠く」などというアナクロニズムともいえる感情的なものになっている。確かに、協会の幹部が、何度も電話するのに対応しないとか、文書を届けに出向いても門前払いというのでは、礼を失してはいる。
理事会には、特異なファッションで出席し、意見をを求められても「特に何もない」と答えるなど、基本的なところで問題があり、相撲ファンも気を揉んだはずである。
親方の、これらの対応には、理由があろう。基本的に、協会に対する不信感があるのだろう。モンゴル勢の相撲に対する基本的な姿勢に疑問を持っていたのかもしれない。思うところが何もなくて、「礼を欠く」ようなことはしないであろうと信じたい。
このような事態を回避する方途はなかったのだろうか。
一つには、協会や力士の抱える問題に気づいているのなら、それを指摘し、改善策を提言・提案すべきであろう。積極的に言えば、自分の意見を主張することである。しかも説得力ある意見にするためには、根拠、事実を明示することである。そうするチャンスを与えられた時に、「何もない」などと言ってはならない。
その昔、「男は黙って○○ビール」という広告があったが、黙っていては分からない。周囲は「忖度」のしようがないのである。物言えば軽くなるなどというのは古くさい美学・美意識である。現役時代の名横綱のオーラがあれば、忖度もしてくれたであろうが、親方として、部屋、弟子を守るためには、美学に反することも実行しなくてはならない。 処分のもう一つの理由は、協会の理事としての義務を果たしていないということだという。これは、理事会、評議会側の言い分を認めざるを得ないところである。弟子が受けた暴力について、まず警察に届けたのは当然である。ではあるが、巡業中に傷害事件があり、被害者はひどい傷を負っているので、取り急ぎ警察に届けたという事実を、協会に報告することは理事、巡業部長の責務であろう。被害者がよその部屋の力士だったら、巡業部長としてはどういう行動をとっていたのであろうかとも考える。
この事態、行動について、貴乃花親方不在のままに、いきなり処分が決定したわけではない。親方も出席した理事会の場で議されたのであり、また「聞き取り」の場を設定しようとする協会の要求に応じれば、いくらでも発言(疑問、反論の)の機会もあったはずである。
偉大な横綱であったという事実はあるにしても、これらの諸行為は、しなくてはならないことであった。それを履行しないで、一方的に、理性を欠くとも受け取られる理由で処分されてしまったことは残念としか言いようがない。
ところで、自分の意見を持つ、根拠を持って主張し、説得する、さらに議論をして問題の解決を図るというのは、国語の力の基本でもある。人間としては、極めて基本的なスキルである。スキルではあるが、単なる技術ではない。ものの見方の基本であり、課題解決によって人間関係の質を上げるための能力、つまり社会的な存在としての基本的能力であり、このような行為を通して、社会の構成員としての個の成長を実現する能力なのである。