ガラケーという失礼な呼び名の携帯電話を解約して半年ばかりが経つ。引退した身としては、特に不自由はない。パソコン、固定電話(子機付き)があれば、普通に生活をする上で、困ることは稀である。携帯電話でのメール交換に支障を来すことがあって、古くからの少数のメル友の近況は不明となったが、特に重要なメールの宛先は、PCとスマホ間のやりとりが可能な場合もあることが判って、いよいよ携帯とは縁がなくなってしまった。(PCと携帯、スマホ間のやりとりができないことも多いのだが、できる場合もあることを考えると、何とかしてくれないものかと思うのだが、スマホ業界は、そんな不都合、不利益なことにはエネルギーを使わないに違いない。)
このところ、スマホの害が指摘されることが多い。着信が気になって、正常な生活に支障を来す、ゲーム中毒になって、医学的な処置が必要になるというような直接的な問題の他に、スマホに気を取られて自動車事故を起こす、自転車に乗っているときにスマホを使用いて不注意な運転になり、衝突事故を起こし、最悪の場合は、死者を出すというようなこともある。
電車に乗れば、乗客は、老若男女、すべてがうつむき加減で手元の小さな画面に見入っているという不思議な状況を目にする。ほとんどがゲームに夢中になっているもののようである。これは、現代日本のかかえる社会問題とも言えないかと心配である。
65年近く前の子どもの頃に、SFの世界の話題として、将来は、戸外で道を歩きながら、遠方の人、外国の人と話ができるようになるということを書いた記事に触れて、「嘘だ」と否定的反応をしたことがあるが、今や、そんなことは、ごくごく新鮮みのない普通のことになってしまった。
ところで、月刊『文藝春秋』(2019年4月号)に、東北大学加齢医学研究所長である川島隆太氏の「スマホと学力『小中七万人調査』大公開」なる記事(論文)が掲載されている。いくつかの箇所を引用しておこう。
「……学力低下の要因は、勉強時間や睡眠時間の長短ではなく、スマホを長時間使ったことが直接影響している可能性があると言えるのです。」(p.175)
「スマホというのは、はっきり言ってしまえば、『人をサルにする道具』です。これほど恐ろしいことはありません。」(p.179)
「『スマホをやめれば、偏差値が10あがる』」(p.174)
恐ろしく刺激的な文章で、ある種の週刊誌のようであるが、実際は、タイトルにあるように7万人の児童・生徒に対する調査の結果であり、この結果は、厳粛に受け止める必要があろう。
このところ、スマホ業界は、政府の要望もあって、使用料金を最大4割程度引き下げるという動きがあるようで、弊害は、更に大きくなるであろう。もっとも、この割引の内容が思い切りの悪いもので、ユーザーには判りにくい。モデルケースになっているのが、家族割で、家族3人が同一会社と契約する場合の料金設定である。本当は割り引きたくないという気持ちが透けて見えるではないか。その昔、割引料金の名目が立たず、「誰でも割」なるものがあり、笑ってしまったが、その笑いを、今はお詫びして、撤回したいと思っている。
スマホを使っていれば,IT機器になじんで、就職してもPC操作等に有利に働くのではないかという期待もあるようだが、実際は、スマホ中毒の若者は、PCが使えなくて、彼らを採用した企業等では困っているのだという。
こんなに普及してしまって、結構な料金のかかるスマホとは何か、ちょっと立ち止まって考えてみよう。