それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

「ひきこもり」は一属性?

2019-06-05 18:04:32 | 教育

 

  このところ、「ひきこもり」に対する擁護論とも言えそうな意見が多く見られる。単純に、「ひきこもり」=「加害者」とは言えないことは当然であるが、その一属性が、人間の言動を左右する力を持っている(行動原理の一つになっている)かもしれないのであって、「関係ない」とは言い切れないのではないか。

   元農水事務次官が、ひきこもりの息子を刺殺するという痛ましい事件が発生した。息子のひきこもりは、社会に対する暴力的行動に駆り立てる衝動、家庭内暴力(DV)を伴い、親が自分自身に危害が及ぶという危機感を抱くのみならず、地域や社会に対する暴力的行為に走る可能性が大であることを危惧して殺害に至ったもののようである。すでに相談窓口に悩みを持ちかけたが、有効な対応がなかったようでもある。  

  ひきこもりは、言うまでもなく、社会との切断状態である。他者との関係を切り捨てることから生じる問題は少なくない。自分の世界に閉じこもり、自分の願望や都合のみが優先され、家族を含む他者の視点でものを考えることができなくなっている状態であろう。世の中、自分の希望や都合どおりに事が運ぶはずはない。ひきこもりでないわれわれは、 社会や他者との関係性の中で、我慢をし、折り合い付けながら生きているのである。その当然の条件を放棄した状態は、単に一属性などと言い切ってしまってよいほど単純なものではなかろう。

 近年多発している、高齢者による交通事故。多くの命が奪われているが、その場合に、「加齢は一属性に過ぎない」と言い切れるか。このように言うことが、さらなる不幸を防ぐ力になり得るのか。

 「一属性」論者は、被害者、特に命を絶たれた人とその家族にどのような接し方ができるのか。どういう言葉かけができるのか、可能ならその場に同席して確認してみたい。

 重大な意味を持つ「属性」なら、その「属性」が悪しき姿で発現しないような周到な対応が必要なのではないか。