それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

弱者いじめ、扇動-学校、教員の劣化-

2019-10-10 11:49:22 | 教育

 神戸市の公立小学校で、教員による、同僚教諭への、陰湿、執拗ないじめが、長期にわたって行われていたことが発覚し、問題になっている。

 学校の教員とは、言うまでもなく、いじめ行為など弱者に対する加害行為を防止する機能を果たすものでなくてはならない。全く、理念とは逆行した行為であり、教員の資格以前に、人間として許されない蛮行である。

 処分は、休職という腰の引けたものであり、昨今の不法行為に対する社会一般の、生ぬるい責任の取り方を反映している。氏名の公表もない。いずれ復職し、おそらく他校に転勤するのであろうが、高をくくった前科者は、同じことを繰り返すに違いない。

 最高責任者である校長はというと、これまた、無法行為に多くの責任のある前任校長は、彼自身が同じような言動の主であったと報じられているので救いようがない。街中や田舎の悪ガキ集団が、ボスの周りに群がり、したい放題の反社会的行為を繰り返していたようなものである。

 学校というところが、こんな無法地帯になったことの原因は何であろうか。ひとつには世間の学校に対する信頼の念の低下である。こういう不祥事が起こるから信頼されなくなるともいえるが、そもそも、保護者による学校軽視は、モンスター・ペアレントに象徴されるように加速しており、これが児童、生徒に影響しないはずはない。こういう職場の魅力は低減し、加えて労働条件の低劣な職場であることを知った若者の教員志向は減少し、有能な人材は教育現場への関心を失っている。このよういな実態は、おりしも教員不足で、魅力を失いつつある教員養成系大学、学部の学生、就中、わずかな例外はあるにしても、私立大学、学部の学生の実態は,彼らの養成の経験のある者の一人として嘆かわしい限りである。彼らが、将来、日本を支えることになる児童、生徒の人間形成に当たれるのかという不安を抱えざるを得ないでいたが、それが現実になったのである。

 過重労働、低賃金等のマイナス要因を抱える職場に、良質な人間は寄りつきにくい。よほどの使命感をもつ人間以外は、よりよい職場を選ぶのであり,それを批判することはできない。介護施設,保育機関での不祥事の原因、遠因もそこに求めることが不可能ではない。人間が生まれて間もない時期、成長して人間らしくなる時期、生を終えようとする時期を担当する重要な機関が、こぞって魅力のない職場になっていることは嘆かわしい限りで、私たちすべてが、根本から考え直さなくてはならない。

 スポーツ関連の協会が不合理な経営に陥っていることが明らかになってきている。既視感を覚えるほどによく似た現象の背後にあるのは、腰巾着や取り巻き、さらには無関心層という消極的支援者に支えられたボスの暴力的な言動に支配された弱者いじめの構図である。次から次に発生する組織の不祥事を見ると、それが人間の業(のようにも見えてくる。「動物的」という悪意の表現があるが、いやいや動物以下である。

  ところで、不祥事の責任者を見るという偏見のせいもあろうが、責任を問われるべき社長、会長(企業の)、校長、会長(協会の)風貌は似通っている。その地位にふさわしい見識、人望のある人間がいない。風貌で人間を判断してはならないが,人格は風貌にも現れるものである。もちろん、美人、イケメンというレベルの問題ではない。