それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

報告書、答申と忖度

2019-06-19 03:11:21 | 教育

 このところ「報告書」が話題になっている。一つは年金に関するものであり、また一つは、防衛省のイージス・アショアに関するものである。

 報告書、答申は、審議、検討する集団の判断、意思を表明するものであるが、それが完全に公平、公明であるという保障はない。そもそも公明正大なる概念に相当する事実がありうるのかどうかさえ疑ってかからなくてはならない。だれ(どこ)から諮問されたのか、だれ(どこ)に答申、報告するのかによって、色づけがされることが多い。最近、しばしば登場する「第三者委員会」なる存在についていえば、名称はいかにも利害関係から独立の公平で偏りのない検討を行い、結果を報告する集団のようでありながら、実は任命者の意向、期待を忖度する偏ったものであることが少なくないこともあり、さらに別の「第三者委員会」を立ち上げる必要があったということまで発生している。

 審議会の答申も、報告書も、情報の創造である限りは、必ず、偏りがある。それが顕著な場合のみ目立つのであって、原則的に何らかの偏りという特徴があるはずである。政府、政党、大臣等の権力の上位にある者に対する答申や報告が、ある種の偏りを持つのも当然で、そういう偏りを生み出す仕組みを「忖度」というのである。

 忖度の度が過ぎて、小学生でも判るような間違いを起こしたイージス・アショア予定地の、「角度」問題は、知識の欠如という低レベルの問題ではなく、必死の忖度の結果であろう。国や防衛省、さらには米国に対する忖度の結果として、国民を欺く拙劣な行為が表面化したに過ぎない。

  一方、大臣が受け取りを拒否するという異常な事態になった年金に関する報告書をどう考えればよいのか。気に入らない報告書について取り扱いに悩んだ大臣は、受け取り拒否という問題解決の方法を採用した。なかったことにしたのである。今後は、拒否されないよう、大臣の意向に沿う内容の報告書が作成されることになろう。忖度の促進・強化である。当の大臣は、自分の年金のことは秘書に任せていて、詳細は知らないという富裕者であってみれば、年金に不安を抱える85%近い国民の心情とは、もともとかけ離れている。報告書が、不安の実態を平均的なモデルで示し、死ぬまでの経費として2,000万円不足するという報告をしたこと自体に問題はないように思う。ただ、対応策として、投資などによる資産形成など人情味のない、無責任なよそ事の解決法を提案するなど、100万円以下の資産しかない多数の国民の気持ちを逆なでするようなその場しのぎの内容が不信の原因になっているのであろう。受け取り拒否は、上位者の意向に沿わない報告書を作成してはならないという教訓を与えることになり、「忖度」が横行することにもなろう。報告書や答申は、「隠れ蓑」の役割を果たし、政治に対する国民の不信が増幅されることになろう。委員会としては、どういう忖度をすればよいのか、いよいよ難しいことになる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿