それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

地位は人を作る?

2017-09-13 21:48:51 | 教育

 

 地位は人を作るといわれる。何らかのポスト、地位に就くと、それにふさわしい人間になるというのである。
 新大臣のうちのある人が、「自分は素人で、よく分からないから官僚が作成した文書を朗読する」といって顰蹙を買ったことは記憶に新しいが、多くの大臣は、就任間際は「素人」である。ただ、それを口にしないで、専門的な知見を身につけるように、官僚からブリーフィングを受けたり、重要文書を読んで学習したりして、その地位にふさわしい存在になるのである。
 昨今は、総理を始め、政治家にも豊かな知見を持つ、地位にふさわしい政治家が稀になってきている。
 先日のブログの記事に、文科大臣の発言の問題を取り上げたが、この程度の失言は、政界にあふれている。マスコミの、重箱の隅をつつくような些末な批判にも問題があるが、本質的な職務に関する言動については、自分自身のそれをも含めて、再考してみる必要があろう。

 このところ、ミャンマーにおける少数民族、ロヒンギャの虐待が問題になっている。ちょうど、第二次大戦時のドイツによるユダヤ人虐殺、虐待と同質である。ミャンマーといえば、非民主的な政府によって国民が弾圧され、悲惨な時代を経験した国である。その教訓が生きているのかと思うとさにあらずで、非民主的な政治は、DNAのように、脈々と継承されるものでもあるようだ。
 かつて、別のブログで、ミャンマーの総選挙についてふれ、スーチー女史の発言を問題にした。女史は、大統領になる資格を欠いていたが、「選挙で選出された大統領以上の存在になる」と主張した。その問題性については、以下のブログの記事を再録しておきたい。
(スーチー女史にノーベル平和賞を授与したことが問題になり、世界中から、非人道的な態度が問題視されているが、その原型は、もともと体質のように女史の骨格を形成していたのではないかという気がする。)
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  ミャンマーの総選挙があり、最終的な結果の判明までは、まだしばらく時間がかかるようであるが、最大野党のNLD(国民民主連盟)が、上下両院の過半数を獲得する圧勝のようである。新聞、テレビは、この状況について、お祭り騒ぎのようであるが、NLDの代表であるアウン・サン・スーチー女史の発言に少なからぬ違和感がある。それに比して、早々に敗北宣言を出した現大統領は、ある意味で、潔いと言わざるを得ない。
 ミャンマーでは、議席の四分の一は、軍部によって既に獲得済みであって、野党は圧倒的に不利な選挙戦を戦わなくてはならなかった。半世紀以上、この軍部主導の政治が続けられてきた。そのことを考えると,今回の選挙結果は、画期的であることは間違いない。 ところが、NLD代表のスーチー女史には、外国籍の子息がおり、憲法の規定で、この外国籍がネックになって,女史自身は、大統領になれない。このことを受けて、女史自身は、「大統領以上の存在」になると主張している。これをどう考えるべきか。
 法治国家での選挙であれば、憲法の規定で大統領になれない者が、大統領以上の権限を有することを認めるわけにはいかないというのは当然である。憲法無視であり、軍部のクーデターによる政権奪取と異なるところはない。長年苦労を強いられてきたスーチー女史であっても、法治国家の国民であれば、このようなわがままを通す道理はない。スーチー女史がなすべきことは、多数派の野党によって、憲法改正を果たし、大統領の資格を満たしたのちに、初めて大統領の候補になり得るのである。そういう手続きを踏まないで超法規的な存在たりうることは許されない。やはり後進国の選挙であったと酷評されないためにも,民主的な手続きを踏むべきである。
  大国も,お祝いのメッセージを届ける折りに、きちんと釘を刺しておくべきではなかろうか。


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