今まさに災害シーズン真っ只中で、自衛隊員の献身的な活動を毎日のようにテレビで見ることになるだろう。国民、市民の姓名、財産を守るという頼もしい存在である。
しかしながら同じテレビで、真逆の行為を見ることも多い。このところの香港における一連の警察の暴力は、日本では当然の要求を掲げる市民に対して武器を持って襲いかかる恐ろしさをも伝えている。その暴虐行為とは,例えば,以下の通りである。
香港での天安門事件追悼集会禁止と香港警察の暴力の実態。三一年前の事件の映像も流れ、軍隊による暴力行為を改めて見ることになった。
一国一制度を実現しようとする中国の香港に対する弾圧の数々。
アメリカの警察官による黒人に対する暴行、殺人とその後の人種差別反対の大規模デモ及びその取り締まりの数々。その後も発生した黒人への暴行、傷害、殺戮。
また、過去の韓国映画の放映もあった。光州事件の最中に外国人特派員を乗せたタクシー・ドライバーの目を通してみたという設定の映画で、軍隊の力の恐ろしさが分かるものであった。(これは、軍事クーデター政権下での出来事であった。)
東欧ベラルーシの大統領選挙にからむ警察権力の違法行為の数々。
国民に対する人権侵害は、独裁国家や軍事政権に限らずイデオロギー,国家の仕組み,制度を超えてどこにでも起こりうることを再認識することになった。
シビリアン・コネトロールという言葉がある。軍隊の統制権は,職業軍人でなく文民に委ねるべきと言う考えである。一国の首長は,国軍の最高指揮監督権を持つ。軍隊・軍人の政治への介入を防ぐ手立てであるが、シビリアンでさえあれば完璧かというとそうでないところが悩ましい。世界を見渡して、民主的制度によって選出された国のトップが、仮にシビリアン・コントロールの理念に基づいていると思える場合でも、強権的、非民主的であることが少なくない。
今、自民党の総裁選の最中である。一つの党のボスが誰になろうと大したことではないが、与党のボスは、ほぼ自動的に一国の総理になるところが恐ろしい。低投票率,低支持率の与党(最大政党である自民党支持率と支持政党なしという人々の比率が,ほぼ拮抗し、しかも半数に満たない)が、国の命運を担うのは、不完全であっても、選挙によっているという建前があるからである。アメリカで,警官に殺害されたフロイド氏の弟が、デモにおけるスピーチ(呼びかけ)の中で、「選挙に行こう,投票しよう」と呼びかけたことには意味がある。わずか1票であっても、選挙で、まともなシビリアンを選ぶ道を辿るしかないということである。
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