それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

北方領土でマラソン?

2019-10-20 03:32:06 | 教育

 問題・話題の多い2020東京オリンピックである。

 ドーハの世界陸上で、参加選手の4割が、暑さのために途中棄権したというマラソンは札幌での開催に変更になったという。IOCのこの決定は東京都に遅れて届いた。マラソン競技のために、競技コースに当たる道路の温度を下げる工事までして対応してきたのに、という不満もあってか、例の都知事の暴言があった。  「北海道といわず、北方領土でやれば涼しいのに。」

  この発言には、ロシアも反発した。思いもかけぬ政治的発言、暴言である。とっさに出た「嫌み」であろうが、知事たる者の口にしていいことではない。北方領土問題を論じる場での正当な発言でなく、単なる感情的反応というレベルの発言は「築地市場移転」を巡る一連の問題発言、問題行動を思い起こして不快である。

 オリンピック開催の責任者は、縄張り意識でなく、出場選手が故障なく競技できる環境作りを最優先すべきであることは言うまでもない。来日外国人の中には、東京の蒸し暑さは中東以上だと言う人達もいる。今年の暑さも格別であった。できるだけ涼しい環境で競技ができるなら、それに越したことはない。トライアスロン・マラソン会場の海洋汚染問題も、きれいな水の会場に変更するのが選手のためには当然の解決策であろう。ついでに言えば、春や秋でなく、なぜ一番暑い真夏の時期にオリンピックを開催するのかも理解しにくい。

  それにしても問題山積のオリンピックである。最近では開催地に立候補する国が少なくなっているというが、当然の現象のようだ。更にオリンピック開催に際して発生した、候補地選定を巡るJOC幹部の不正疑惑、主会場設計に関わる問題、都と国,JOCとの不協和音、チケット購入の混乱、競技団体の不可解な運営などを考えれば、諸手を挙げて賛同できない行事のようでもある。


恩赦?

2019-10-19 17:11:41 | 教育

 新天皇即位に際して恩赦が行われるという。  該当者数55万人という数字に驚くが、その8割が道路交通法関係だという。そのほかに公職選挙法違反、医師などの国家資格停止の復権だという。  新聞を読んで見て、どうも納得がいかない。  このところ、悪質な運転手が問題になり、国民の神経がピリピリしている折に、多くの道交法違反者の救済をするという無神経な行政の判断をどう考えれば良いのだう。  国家資格停止になるような医師は、相当な理由・根拠があってのことであろう。皇室の慶事と、本来は、何の関係もないことである。  恩赦は、憲法に規定があるというが、平和憲法の側面だけ考えていては見えない不合理な面があるかもしれないと思えてくる。  法律、規則に基づいて処分した者に対して、その違法行為はなかったことにするという処置は、法律・規則そのものに不合理、不適切な要素があったことを表明することになろう。  そもそも、司法による判断に、行政が口出しし、ごり押しすることに他ならない。「更正のための配慮」というが、それは、司法がなすべきことであり、またなされていることでもあろう。

 国民のどれほどが、恩赦というものを受け入れているのか調査してみるといい。


「排除」の思想と行為

2019-10-17 16:29:08 | 教育

 外国人労働者の子ども2万人以上が日本の学校に行っていないという。また入学したところで日本語未習得のまま放置されている状況下では、望ましい教育はできまい。かつて米国では、保護者の申し出に応じて、多国語での教育をし、疲弊したということがあるという。その後、米国に住むのなら英語を習得すべきだとして、非英語圏の保護者の反対を押し切って、英語による教育が実施されるようになったという。この措置はそれなりに理解できる。わが国では、日本語による学習が可能になる配慮すらないのである。いわば、門前払いである。  私は外国人労働者の多い工場のそばにある公立小学校の校長さんが、外国人労働者の子どものために尽力し、児童も活発に学校生活を送り、日本語も日常生活を通して習得し、日本語のおぼつかない親のために、役所や学校間の情報交換の仲介をしていることを聞きもし、目撃もしている。あるべき国際化、グローバリズムの一例である。   単に労働力が欲しいという実利的な立場で行われる施策、事業は底が浅い。国際協調だのグローバル化などと、英語の教育に熱をあげる明治維新前後と似たり寄ったりの国際感覚から速く抜け出さなくてはならない。  外国人労働者と移民は性質が異なるとの見解もあろうが、子弟の教育を拒否された労働者にとって、成人した子弟にとって、日本という国は、信頼すべき、感謝すべき存在になっているだろうか。「自国・ファースト」の思想は、ほとんどの場合、排除思想に通じる。  (国民健康保険が、外国人のために緊急事態に陥っているということを聞く。一方でずさんであり、一方でなすべきことを放置するというアンバランスは、縦割り行政の結果であろうが、国としての基本方針、施策を整えるべきであろう。)

  超大型台風である19号は甚大な被害をもたらした。またぞろ古手の国会議員が失言をして政治家の品位のなさを露呈したが、この台風に伴う避難所について、ホームレスは住所がないとして入所拒否をされたそうである。いやしくも同胞が命の危険にさらされているのに保護を拒否するとは、何事か、そのうちに税金を納めていない低所得者は国民、住民としては認めないという狭量な社会にもなりかねない。  ロヒンギャの悲惨な状況に触れて、ミャンマーの冷たさが国際的に非難されているが、わが国の国家として、自治体として行っていることにもこの問題に通じるところがある。

  異質のものを拒絶する、嫌うのは人間の本能であろうか。であるなら救いようもない存在であるが、災害後のボランティア活動に参加する多くの人々の原動力はなんであろうか。労り、共感、慈愛も人間の本能であるに違いない。そうであって欲しい。


弱者いじめ、扇動-学校、教員の劣化-

2019-10-10 11:49:22 | 教育

 神戸市の公立小学校で、教員による、同僚教諭への、陰湿、執拗ないじめが、長期にわたって行われていたことが発覚し、問題になっている。

 学校の教員とは、言うまでもなく、いじめ行為など弱者に対する加害行為を防止する機能を果たすものでなくてはならない。全く、理念とは逆行した行為であり、教員の資格以前に、人間として許されない蛮行である。

 処分は、休職という腰の引けたものであり、昨今の不法行為に対する社会一般の、生ぬるい責任の取り方を反映している。氏名の公表もない。いずれ復職し、おそらく他校に転勤するのであろうが、高をくくった前科者は、同じことを繰り返すに違いない。

 最高責任者である校長はというと、これまた、無法行為に多くの責任のある前任校長は、彼自身が同じような言動の主であったと報じられているので救いようがない。街中や田舎の悪ガキ集団が、ボスの周りに群がり、したい放題の反社会的行為を繰り返していたようなものである。

 学校というところが、こんな無法地帯になったことの原因は何であろうか。ひとつには世間の学校に対する信頼の念の低下である。こういう不祥事が起こるから信頼されなくなるともいえるが、そもそも、保護者による学校軽視は、モンスター・ペアレントに象徴されるように加速しており、これが児童、生徒に影響しないはずはない。こういう職場の魅力は低減し、加えて労働条件の低劣な職場であることを知った若者の教員志向は減少し、有能な人材は教育現場への関心を失っている。このよういな実態は、おりしも教員不足で、魅力を失いつつある教員養成系大学、学部の学生、就中、わずかな例外はあるにしても、私立大学、学部の学生の実態は,彼らの養成の経験のある者の一人として嘆かわしい限りである。彼らが、将来、日本を支えることになる児童、生徒の人間形成に当たれるのかという不安を抱えざるを得ないでいたが、それが現実になったのである。

 過重労働、低賃金等のマイナス要因を抱える職場に、良質な人間は寄りつきにくい。よほどの使命感をもつ人間以外は、よりよい職場を選ぶのであり,それを批判することはできない。介護施設,保育機関での不祥事の原因、遠因もそこに求めることが不可能ではない。人間が生まれて間もない時期、成長して人間らしくなる時期、生を終えようとする時期を担当する重要な機関が、こぞって魅力のない職場になっていることは嘆かわしい限りで、私たちすべてが、根本から考え直さなくてはならない。

 スポーツ関連の協会が不合理な経営に陥っていることが明らかになってきている。既視感を覚えるほどによく似た現象の背後にあるのは、腰巾着や取り巻き、さらには無関心層という消極的支援者に支えられたボスの暴力的な言動に支配された弱者いじめの構図である。次から次に発生する組織の不祥事を見ると、それが人間の業(のようにも見えてくる。「動物的」という悪意の表現があるが、いやいや動物以下である。

  ところで、不祥事の責任者を見るという偏見のせいもあろうが、責任を問われるべき社長、会長(企業の)、校長、会長(協会の)風貌は似通っている。その地位にふさわしい見識、人望のある人間がいない。風貌で人間を判断してはならないが,人格は風貌にも現れるものである。もちろん、美人、イケメンというレベルの問題ではない。


「預かっている」-関電問題-

2019-10-04 17:48:29 | 教育

 福井県白浜町の原発関連企業、町(助役)、関西電力幹部の間に、怪しげな金の動きがあり、関電の社長が二度にわたる記者会見を開いたものの、世間をあきれさせる事実が判明して、会見の効果はなかった。

 関電から発注を受けた企業は、相当な額を、町の助役(すでに死亡)に渡し、それがさらに関電幹部に渡されている。この際、大判、小判、金塊、金貨、洋服仕立券に姿を変えているので、なかなか助役も芸の細かいところを見せてはいるが、手口は古くさい。水戸黄門のドラマによくある、「○○屋、おぬしも悪よのう!」そのものではないか。

 受領した側の言い分、「拒否したら恫喝された。」「いずれ返そうと思い、これまで預かっていた。」など、子どもでも躊躇するような言い訳で、こういう連中が幹部である企業とは何か、と根本的なところに疑問を抱く。洋服仕立券は、既に使用済みのものが少なくないなど、まあ、みっともない話である。

  動いた金の出所は、そもそも電気料金という公共料金である。筆頭株主である大阪市以上に憤慨しなくてはならないのは、関電の利用者である。

  仲立ちをした助役は特異な存在のように見えるが、地方には、往々にしてこういう実力者がいて、また、持ちつ持たれつの関係を結ぶ連中も出てきて、利権関係ができあがる。助役は選挙で選出される存在ではないが、議会が承認している。こういう人物の言動が露見しないわけもなかろう。地元では、あろうことか、「天皇」などと呼ばれていたともいう。罷免の動きもなかったとしたら、責任範囲は大きくなる。

  窃盗、万引き、詐欺などが、「いずれ返そうと思って預かっていた」などの言い訳をする世の中にならないことを願っている。