突然、小窓に打ち付ける雨音が大きくなり、
洗ったグラスを拭き上げていた手を思わず止めた。
久しぶりの雨。しまった、今日は傘を持ってきていない。
梅雨のような激しい雨はちょっと参るなぁと眉根を寄せた、その時。
入り口の重い扉がやや控えめに開いた。
「・・・いらっしゃいませ」
平日はいつも早い時間に来ることが多い人物の姿がそこにあった。
珍しい時間だな、と時計に目を落とす。
この時間で帰りは大丈夫だろうかとふと心配してしまう。
「珍しいね、この時間は」
「うん。なんとなく」
少し声のトーンが低いのは気のせいか。
少し熱めのおしぼりを渡すと、盛大なため息をついていた。
まだ夜は冷えるからか、おしぼりの熱を逃すまいとでもするように固まっている。
かなり疲れているようだ。
横目で見ながらチャームを用意する。
今日はチョコレートを多めに盛って、ことり と目の前に器を置いた。
「クラウディー・スカイ・リッキー」
珍しいオーダーだ。
スロージンを使うオーダーをあまり受けたことがない。
ライムジュースのレシピもレモンジュースのレシピもあるが、
なんとなく、レモンにしてみようと思った。
甘いのを好むので、グレナデンシロップを少し多めに入れる。
グラスにレモンを飾っていると意外そうな声が聞こえた。
「レモンなんだ」
「ライムでもいいんだけどねー」
完成したグラスを目の前に置くと、ひとしきり眺めてから口をつけ、
大きな瞳が一層煌めいた。
「甘酸っぱ~」
とは言っているが大丈夫だったようだ。
「スロージン好きだったっけ?」
「いや、なんとなく。あまりのんだことないけど」
思わず吹き出しそうになる。
「だってさー、晴れてほしいから」
クラウディースカイとは『曇り空』という意味。
晴れ間も先行きも見えない昨今の状況はまさに曇り空のよう。
「もしかしたら緊急事態宣言出るかも」
「ほんとに出るの?!」
「わからんけど、早く落ち着いてほしいね」
「そうなのよ。早く青空が見たいのよ」
「じゃあスカイ・ダイビングでもよかったね」
ブルー・キュラソーの青さが美しい ホワイト・ラムを使ったカクテル。
チャイナブルーを好んで飲むので、青は嫌いではないはずだ。
何気なく口にすると、まったく考えていなかったらしく
「ああー思いつかなかった!」
大きく後ろに仰け反ったあと、グラスに残っていた中身を飲み干して
「じゃぁスカイ・ダイビング」
と追加オーダーされる。
「コロナビールでも飲む? うちにはないけど(笑)」
「コロナウイルスに負けるなー!って ゲン担ぎで 文字通り飲み込むんだ?」
「そうそう(笑)」
「てか、置いてないのに言う?(笑) しかもコロナ違い(笑)」
と言いながら、えらく爆笑している。
少しだけ長めにシェークする。
ショートカクテルグラスに注がれた、澄み切った青空を連想させる美しい青。
じっくりと眺めている表情が、来た時よりもリラックスした様子になったのを
見てホッと息を吐いた。
会計を済ませ、ビルの入口まで見送った。
店に戻ろうとして、ふと足を止めて振り返る。
さっきあんなにひどい雨音が聞こえていたのに、いまは霧雨程度だ。
そういえば以前、雨女だと言っていたが、あながち外れていないようだ。
どんなに雨がひどくても、
今は雲に覆われていても、
青空は必ずまた見える。
晴れる日はきっとそう遠くない。
それまで、ひとりひとりができることを。