先日、親戚の葬儀に行った。
親戚に、難聴のおばがいる。
4月の葬儀の時には、かなり口を読んでいたように見えて、
大きな声を出せば聞こえるくらいの難聴かと思ったが、
数年前に全く聞こえなくなったらしい。
親戚で、つい最近 片耳だけ失聴した人がいるのだが、
先日の通夜の時にその人と話しながら、持ち運べる小さなホワイトボードを見せていたのを見て思い出した。
私も持っている。
前に、要約筆記を勉強していた時に周りの難聴者が大体皆持っていた。
手作り出来ると言うから驚いたが、欲しいが作るほどの気はなかったが、
福祉のバザーで見かけて買って、なかなか使う機会がなくそのうち仕舞いこんでいた。
久しく使っていないそれをひっぱり出してきて、先日の葬儀の前の空き時間に見せて話しかけた。
「どうしたの? あなた聞こえないの?」
とても驚いていて、私も聞こえないのかと思ったようだ。
そりゃそうだ。普通は用がなければ持っていまい。
“前に要約筆記を勉強していたので買った。今は手話を勉強している”
ボードに書くと、横で見ていた娘さんが「専門家やね」 と驚き、
おばは「だから口が読みやすいのね」と言うので、
「口が大きいからね」と私は笑ったが、おばは即否定した。
聞こえない子供を持つお母さんと話した時、とても読みやすかった。
口をはっきりと開けるから。あなたも同じ。読みやすい。と。
素直にありがとうと答えた。
聞こえない人とかかわりがあるから。勉強しているからね。
簡単な会話は口を大きく開け、伝わりづらそうな時はボードに書いて会話をした。
手話は分からないと言うが、身振りに見える手話や簡単な手話は取り入れて話した。
ないよりも分かりやすく伝わることを願って。
楽しそうにいろいろと話してくれた。
簡単な手話を覚えれば、もっと会話が楽に分かりやすくなるのに。と思う気持ちはある。
が、本人だけでなく家族も回りも手話を覚えなければ、会話は成り立たない。
高齢のおばが、夫が、友人親戚が、覚えるのは難しいだろう。
娘が側にいるし、本人が現況で不満を持っていないようなので、それはそれでよいようだ。
式が始まるまでの合間の時間だったが、結構話した。
久しぶりの筆談(笑)
たまには、いい。
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