食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回想旅行記、DMZ、板門店Ⅰ』

2013年11月19日 17時33分36秒 | 旅行

韓国は北朝鮮と北緯38度線で分断され国境に幅2KmずつのDMZ(Demilitarized Zone)

非戦闘地域を設定しており、双方が侵入を防ぐためにおびただしい数の地雷が埋設さ

れている。北との交渉会議が執り行われる国境にある板門店はTVなどでお馴染みの光

景、その建屋の奥にある北の建物の警備兵が映し出されることも度々ある。ここへもツア

ーがあり恐らく許可されたであろう旅行会社で扱っている。

私たちはKONESTが斡旋するツアーに参加した。板門店と北朝鮮が韓国侵入の為に掘

ったトンネルへも行けるから興味深い内容だ。旅行会社のOPツアーならホテルに迎えに

来てくれるが、こうしたツアーだと格段に安い値段の代わりに集合場所まで自分で行くこと

になるが、有名ホテルのある場所だから直ぐに分かる。

集合するとバスを割り振りされるので、そこで一緒に行く人と顔合わせをする。ここのお客

は殆どが日本人だったが、今は中国人になっているかも知れない。ソウル市内からバスで

60Km走れば北との国境になるから、如何に近くて遠い国かが分かる。

このコースで訪れる場所は、場所柄から訪問者の身分を確認しておく必要があるから軍人

がバスに乗り込み、ツアー会社が受付した参加者名簿とパスポートで人物確認される。今

まで、こうした経験は無かったから、疚しくなくても、とても緊張したし少し怖さを感じた。

板門店近くに来ると見学に関する説明並びにこのツアーで生じた事の免責を認める署名を

する。このツアー中、何かの要因で死亡したりしても何の意義も申し立てを放棄する、こんな

厳しい条件だった思う。道路に張ってあるロープから外側に行くと地雷の危険性が、また禁

煙を厳守、ポイ捨てで火薬に引火し火事になったことが過去にあったそうだ。ガイドは細かい

注意を色々と追加する。北朝鮮の兵士が警備している場所ではカメラを向けない、指を差さ

ない、指差しは軽蔑していると受け取られるからだ。また、兵士の視界にある時、急に走った

すると怪しまれ遠くからでも発砲の恐れがあるから、歩く速度は一定で後ろを振り向かない

と。板門店の建屋に行くと、北と交渉するあの部屋にも案内してくれ、北側の席にも行くこと

が出来る。この建物の奥の方に北朝鮮の建物があり、若い兵士が大きな帽子を被り、銃を持

って警備している。

注意されていたのに、いざ北朝鮮の兵士を見つけると『あっ、北朝鮮の兵隊が居る、居る』と

指を差して人に教えようとする。ゆっくり歩けというのに、小走りになり急いで通り抜けたとか、

注意されたことは全く守られなかった。


『廃炉への踏みだし』

2013年11月19日 17時30分56秒 | 日記

福島原発4号炉の核燃料棒、搬出作業が昨日から始まった。水の入ったプール内に保

管されている未使用の燃料棒1533本の内、22本を取り出し別棟の保管プールまで移動

させる。言わば、これから本格的な搬出に向けてのトレーニングのようなものだが、作業

自体は燃料棒の入れ替えなど何度も行われてきたから、多少の手順の違いはあるだろう

が、東電の説明を聞く限りそう大きく心配することはなさそうだ。と、思っていたら燃料棒を

保管する容器キャスクを30m位の高さからクレーンで降ろす、もし落下したらキャスクが破

損して放射線が漏れ出さないかと言う肝の説明は相変わらず。以前に17mの高さから落

下させて試験をして大丈夫だったから30mでも大丈夫と回答があった。

いつ試験をしたのかと問われて1時間後の回答で23年前にある機関が実施した。

いつものことながら東電のすることは、結果的にどこかで間が抜けているから、今回もそう

ならないことを神に祈ろう。4号機はまだ燃料棒の形が残っているから、難しい作業ながら

1~3号機に比べれば始末はし易いとされている。津波、原発事故と当初は誰もが真剣に

考えていただろうが、たった2.5年もしない内に深刻さを忘れ去られようとしている。

1~3号機へは側に行って見ることすら出来ない状態が今も続いていて、どのようにして始

末をするのかアイデアさえないのである。福島原発の惨状は被害者だけが痛み続け、耳を

澄ましても聞こえなかった原発を動かせの合唱が段々と大きく聞こえるようになってきた。

汚染水、現在も始末できずにたまり続ける核汚染物質、使用済み核燃料など、持っていき

場のない物は増え続けている。こうした現存する問題に答えもなく『原発ゼロは無責任』と言

う政府の非常に責任のある態度に頭が上がらない思いだ。


回想旅行記、不味い焼肉と美味しい焼肉

2013年11月18日 18時02分23秒 | 旅行

韓国と言えば焼肉と直結する。このツアーでも謳い文句に夕食は韓国の美味しいカル

ビ・・・・とありそれらしき店に連れて行かれた。つながった骨付きカルビを焼いてくれ、ハ

サミで切り取ってくれたら、それを食べる。私たちは不幸なツアーだったのだろうか、肉

は不味いし硬いし期待外れ、おまけにご飯も私たちが食べている米より数段劣るから散

々な韓国焼肉デビューだった。韓流ブームでヨン様が有名になり、観光の途中で『ここの

焼肉店はヨン様ご用達で1人前3万円くらいします』と説明があるくらいだから、韓国の焼

肉もピンからキリまであるのは頷ける。安い団体のツアーだから焼肉が硬いのはごく当た

り前のことだと妙な納得。このままでは韓国の焼肉は不味いままで終わってしまう。本当

にそうなのか。2回目の旅行は全行程を自分で組み立てた。ネットで見つけた明洞焼肉

店、ここは韓牛の焼肉と宣伝されていたから地図を頼りに探し出し、予約なしで入店した。

客は少ない時間帯だった。

事前に調べていたメニューを参考に注文すると、女将さんが上手な日本語で『量が多い

から食べ切れない』と教えてくれた。海鮮チヂミと焼肉セットに変えて焼肉を開始。

ここの肉は柔らかくタレも3種類用意されており好みのもので食べられる。私は肉本来の味

を楽しむため、いつも塩と胡椒だけで味付けをする。本当に美味しい肉をたっぷりと堪能

できた。

これで韓国焼肉は不味いの汚名返上だ。サイドメニューのキムチはどこでも、自家製だが

海鮮系、野菜系がありとても食べやすいものだった。聞いてみるとお土産用もあるという。

最初の旅行で無理矢理に連れて行かれた土産店(その後も連れて行かれた)、ここで買う

キムチはべら棒に高いし、空港で買うものも同様だ。

キムチは庶民の食べ物だから小さい箱のものが1000円も2000円もするはずはないのに、

そうした値段が当たり前のようだ。このお店は倍以上も入ったものが500円くらいで買える。

美味しさは保証付きだから、帰国時に引き取りで10個くらい用意しておいて貰った。キム

チはビニール袋に入れると発酵しパンパンになり破裂することがある。店の人はキムチ屋

ではないのに、破裂しないように梱包するので安心してと店員さん。お薦めはイカキムチ。


『造影剤CT検査』

2013年11月18日 17時28分49秒 | 日記

10月28日の腫瘍マーカー検査でSCC=2.1に上昇したのを受けて急きょCT造影検査と

なった。過去から何度もSCCのことに触れているが先生の話やネットなどの情報から、

微妙なことで変化しやすい、日差・個人差などによりブレが大きいとされている。H21.10

に癌の切除し直後のSCC=1.7、以後1年くらいは1.5以下だったがH22.12から現在まで

1.0から最高2.1までの上下を繰り返してきた。ここのところの検査でSCCが1.0-->1.8-->

1.7-->2.1と上昇傾向になり、8月26日に造影CT検査を受けたばかりなのに(結果は異常

なし)、念には念を入れるための検査を受けることになり、今日出かけた。

検診やらインフル予防などでこの1か月に4回も通院することになり、世間で言う年寄りが

病院を喫茶店代わりに利用しているなんて影口をたたかれそうだ。

自分の思いでは8/26と同じ造影剤のCT検査だから、特別変わったことなかろうと思って

いたが、造影剤を打つ時の説明で前回と何か違うのかと錯覚してしまった。きっと、造影

剤の種類でも変わったのかなと勝手に思い込み、妙に構えてしまっていた。帰宅して前

回の検査内容と比較したら全く同じだったのに『造影剤が血管の中を通ると痛いとか・・・・』

なんての説明に反応していた。結果はいつもの造影CTと同じで気分の変化はなにもな

し、一寸したことで微妙な心理になっていたようで、検査または結果のことにかなり神経を

使っていたようだ。撮影後いつもは30分もすれば結果が分かり説明があるのに、患者さん

が多かったこともあり1時間以上待ち、やっと呼ばれた。

結果は異状なしで一安心した。ここで少しでも疑念があれば、年末年始に向けて、その対

策のための追加検査が必要になったりすれば、いくら空元気の私でも一時的とはいえ気が

滅入るだろう。そして残るはSCC=2.1のその後の推移になってくる。私は特異体質、SCCの

変動は正常と身を以て証明したいものだ。

 


『回想旅行記、統一展望台』

2013年11月17日 17時16分59秒 | 旅行

 

旅の目的は統一展望台を訪れることで、イムジン河を挟んだ北朝鮮を見てみたかった

からだ。私たち戦後直に生まれた者が過ごした子供の頃、朝鮮民族との関係は余りい

いものではなかった。その大半は大人から聞かされる噂話や勝手な憶測で朝鮮人を卑

下したり差別することは当たり前のようになっていた。子供の間で朝鮮人だからという理

由で直接的ないじめや差別のようなことは少なかったが、それは私が朝鮮人ではない方

に居たからのことで、逆ならば大きな痛みを感じていたかもしれない。小学校5~6年の

頃、友人の一人が北朝鮮に帰った。彼の家族構成がどうだったのか、帰国を決心させて

ものはまさか『極楽の国』を信じての事ではなかったことを今は願うばかりだ。

 

北と南に限らず韓国と北朝鮮は未だ休戦中にあり、終戦には至っていないから随所に警

備兵がいたり、鉄条網による侵入防止など、明洞で平和を満喫している風景とは別の緊

張した場面を見ることが出来る。統一展望台では数キロ先に見える北朝鮮の様子を写した

ビデオでレクチャーを受けた後に、屋外の展望台からイムジン河越しの北朝鮮を見る。以

前は大音量の音楽や韓国を愚弄するような放送を流していたが、近年は納まっているから、

とても静かだそうだ。幾つかの建屋があり以前は農民の働く姿も見られたが、今は人影を見

ることはなく、夜になっても灯りさえ点かず無人状態だと説明があった。北側は農民でも豊か

だと言うようなことを表現したかったのか、農業機械なども動かしていたのだが燃料不足にな

ったのか、最近はそうしたものを見ることもなくなった。韓国側の山には緑の木々があるのに

対し、北朝鮮側の山には1本の木さえ見ることは出来ない。冬場の薪に使ってしまったから

だ。それにしても、丸裸の山々が連なっている景色は殺風景で、人の生活感は何も感じられ

ない。これが韓国と北朝鮮の差だとはっきりと見て取れる。北の挑発は日常茶飯事であった

しいが、最近は際立った動きは少ないものの、警備は万全の体制が敷かれている。

 

イムジン河を渡って韓国への侵入を防ぐため何キロも鉄条網を張り、数100m間隔で警備小

があり兵隊が任務に就いている。イムジン河水清く、とフォークソングにあるイメージと現実

では緊迫感に大きな差があり、来てみて知る典型的なケースだと思った。ここから帰り、街に

戻ってくるとある施設の前では20才そこそこの若い兵士が銃を持ち警備をしていた。日本で

は、この年代の若者が束縛されることなく自由気ままに暮らしている、韓国でも兵役について

いない若者たちも同様だが彼らには義務があるから必ず経験しなければならない。こうした事

実を知り日本の平和の有り難さを知って欲しいものだと思う。

        統一展望台からイムジン河越しに見る北朝鮮


『Enya』

2013年11月17日 17時15分41秒 | 日記

以前、ラジコンヘリに凝っていた頃、ヘリのエンジンメーカーにENYAという会社があり、

根拠はないが私の印象では上級者とかマニアックな人が使っていたように思っていた。

これとは別に歌手のEnyaはこの名前とダブっていて、名前だけはよく知っていたが曲を

聞いたことも、興味を持ったこともなかったから、代表曲は勿論のことどんな曲筋かも分

からなかった。過日、出席した姪の結婚披露宴の入場曲として流れた曲がとても印象

的で誰が歌いどんな曲名か知りたかったから、調べて貰い分かったのはEnyaの曲とい

うことだけだった。

歌手が分かれば調べる道筋はある。ここで張り切って爺はyoutubeで調べたところ、沢山

のアルバムがアップされており必ず出会えるはずと探しまくった。余りにも多くの曲があり

その中から求める曲を探し出すのは難しいが、ちょい聞きしながらと、思いトライしてみた。

結果は明らか。ならばと、Craving exploreで曲をダウンロードしMP3プレーヤーにコピー、

畑仕事をしながら聞いて行けば、いつかは探し出せるはずと、ながら族作戦を実行。とい

うのも、アップされているEnyaのアルバム全曲をひっくるめて1曲としているため、本来の

1曲ずつの曲名さえ管理も表示もされない。

だから求める曲が見つかっても曲名を知ることは出来ない。

聞いていった結果、沢山ある中からアルバムと曲を探し出すことができた。ところが先述の

ようにこの曲だけを取り出すことはできない構造になっている。思案の結果、アルバム全体

は1曲として扱わられているから、曲の切り貼りフリーソフトsound engineを使って、求める曲

の部分だけ切り取ってしまえばいいことになる。ダウンロードする時、ファイル形式MP3また

はwaveを選択することが出来るので私はMP3にしていた。ところがsound engineはwaveを扱

うのでMP3からwaveにフリーソフトHelium audio converterで変換しsound engineで処理する

と、求めていた曲を抜き取ることができた。こんなことですっかりEnyaに魅せられてしまい、今

ではEnya漬けの日々を過ごしている。これらの中から好みの曲を集めて自分専用のお気に

入りCD作成も可能になる。


『回想旅行記、韓国旅行』

2013年11月16日 17時47分28秒 | 旅行

韓国へは観光で3回、トランジットの関係で1日観光を1回、純粋なトランジットで2回とイ

ンチョン空港は何度も利用している。米子空港にアシアナ航空が乗り入れ定期便就航

まではよかったが、搭乗率の低下で定期就航の見直しを検討された。地元の空港から

海外旅行に行けるなんて夢のような話だから、存続してくれることを願い、応援団たるア

シアナ・ファン・クラブに入会した。

米子空港からインチョン空港まで時間にして90分、東京に行くのと同じ、しかし韓国へは2

泊3日して最低で3万円くらいのツアーがあるのに対し、東京へは1か月前予約でも3万円

では往復できない。割安感は抜群だから海外で同一国に3回も行けた。ここではこれらの

旅行で見たもの、感じたもの、味わったものをピックアップの形で紹介する。

米子空港へは松江から自家用車でゆっくりと運転して1時間ほどで到着する。いくら近くて

もツアーだから2時間前に集合は、いつも言う時間の無駄には変わりない。ローカル空港だ

からツアーでも混雑はなく直ぐに受付終了だから、デスクで手続きをした後は出発まで約2

時間は何もすることなく待つのみになる。食事が要る時間なら空港のレストランで食べるこ

とになるが、いつも似たようなものを食べるよりしと、車に乗って近くのうどん屋に出かける。

それでも時間は十分にある。出国手続きも混雑は少なく田舎は実にいいものだ。

離陸し水平飛行になると飴やお茶のサービスがあり、のんびりと窓の外を見ても海ばかり、

そうこうしていると下降体制に入り眼下には引き潮になった干潟のような海が見える。インチ

ョン空港は海を埋め立てた場所に造られているから、民家など騒音に対する心配がないか

ら24時間離発着可能なハブ空港として利用されている。広大な空港は着陸してからターミナ

ルに移動するのに地上を20分近く走行する。到着ゲートから入管まで大きな建屋の中を歩

いていくが、米子空港からの客が向かうのは必ず入管だろうから、その流れについていけば

いいから簡単だ。

日本の国際空港は成田だが大昔、アメリカから帰国し国内乗り継ぎで利用しただけだから、

今の姿がどのようになっているのか分からない。だからインチョンと比較のしようはないが、施

設などの利便性はとてもいい。入国手続きも円滑に済み荷物を受け取り出口に行くと、いつ

ものように小さなプラカードを持った現地ガイドが出迎えてくれ、宿泊先の明洞まで約1時間の

付き添いをしてくれる。日本からの飛行機便がつながっていると次ぎの便が到着するまで待た

されることもある。インチョンを離れ整備された道路をひた走り、生活の模様を観察するに、日

本のような個別住宅は殆ど見られず、あちらこちらに高層マンション群があるから、集合住宅

が基本のようだ。

初めての時、宿泊地はソウルを南北に分ける漢江の南側にあった。明洞や世界遺産がある北

側のような華やかさは少なく新たに開発されつつある地区のように見えた。


『安倍政権からもうすぐ1年』

2013年11月16日 17時32分37秒 | 日記

昨年11月15日の党首討論で野田首相は安倍自民党総裁に、衆議院議員定数の是正、

社会保障制度の改革を条件に衆院議員の解散を約束した。尤も、彼らには公の席であ

ろうが、何処であろうが約束を守る概念などないから、守る振りの上手さが勝つか、騙さ

れ上手が勝つのかの世界、ばれないように演じた方が勝ちとなる。

解散の約束はしたが時期をめぐり巷雀が騒いだ。時期を一番気にしていたのは政権の

空白を作っている場合ではないと案じる民かと思えば、そんなことより自分の身分保障し

か考えていない役立たずの議員どもだった。約束した張本人たちがその時期をそれぞ

れが勝手に決めていたらしいから一悶着、民は年末年始を控え忙しいのに無駄なことに

付き合わされた。あれから一年、給料は上がっていない、円安で生活必需品は値上がり

続き、追い打ちをかけるように来年4月から消費税増税が待ち構えている。こうなると景気

後退は更に歩幅を広げるかと思いきや、アベノミクスなる言葉のマジックは景気の気をうま

く刺激し、株価も大きく回復してきた。国民の大半の蓄財が株式ならば恩恵を受ける人も

多く、その手腕を賛辞するだろうが、今のところ恩恵は一部の人に留まっている。それでも

気は民にも浸透してきたのか、ただの馬鹿なのか知らないが、財布の紐を緩めるムードに

なっているらしい。

緩める紐のある財布ならバブル崩壊後20年も締めたままにしないで、もっと早くから緩めて

おれば、こんなに長くデフレだのスパイラルに落ちただのと論争しないで済んだのではない

か。ひょっとするとデフレは国民自身が作り込んだものではないのか?とこれまた馬鹿らし

ことを考えてしまいたくなる。

昨年の今頃は民主党政権だった。国民からペケをつけられ下野した。その前を思い出して

ごらん、自民党政権だった。国民は自民党にダメ出しをした。自民党はダメだから民主党を

選択、それもダメだった。何も改善されていないけど民主党よりはましではないかと自民党は

復活した。自民党の政策自体、目を見張るようなものは何もない。それでも気を引き出し明る

い気分、ムード作りに成功した裏には、酷かった民主党政権があったから自民党は輝いて見

えたのかもしれない。

私も日本国の民の一人、いつも貶してばかりいるが政治が安定して、結果として安定した国

であることを願っている。


『回想旅行記、イタリア最後の日』

2013年11月15日 17時19分27秒 | 旅行

最終日は自由行動になっておりオプショナル・ツアーでナポリまで南下する人と、市内に

残る人に分かれ夕方に集合して、帰国の途に就く。ナポリの治安は非常に悪く下車して

も直ぐにバスに戻るような観光になると添乗員の説明があり、余りお勧めできないとのこと

だった。行ってみたかったが観光もそこそこなのに片道6~7時間かけて行くこともないと諦

め、市内をうろつくことにした。

ツアーのガイドは現地ガイドが付くので、添乗員はフリーになるからローマの街を案内して

もいい、と申し出があり願ったり叶ったりで参加することにした。時間はたっぷりあるというこ

とで朝はゆっくりとした出発。ヨーロッパスタイルの朝食は質素。パン、コーヒーまたは紅茶

にハムまたはソーセージのようなものがつくだけで、アメリカのようなゴージャスなものはお

目にかかれなかった。このツアーで一緒だった年配の老夫婦、頻繁に海外旅行を楽しん

いるが、朝食だけは和食と決めていると、部屋で即席おにぎり、梅干しまたは味噌汁を

食べていた。

朝食を頂き帰国の準備をしてローマ市内ぶらり旅へと出かけた。繁華街にはブランド店が

ずらりと並ぶが、全く縁のない店なので素通りしたいが、そこはグループ行動だから仕方な

しのお付き合いも。こうしたブランド店の中には入口にドアマンがおり、入ろうとすると『何を

お求めですか』と問う『見るだけ』とか『見て決める』と答えると『お決めになってからご来店く

ださい』と断られる処がある。セレブご用達の特別な店だ。

スペイン広場には若いカップル、年配のカップルと色々な人たちが階段に腰かけ通る人を

眺めたり、お喋りにふけったり、長閑な雰囲気の中で時を過ごす。市内を徒歩で観光する、

やはり行ける所は限られてしまうから、店に入ったり喫茶店でお茶を飲んだりして時間を過

ごすことにしかならない。夕方に土産物屋が集まっている処で解散となり、再集合後に空港

に向かう。パカパカさんたちと連れ立ってお土産物屋をハシゴして土産を買い漁り、イタリア

最後の晩餐はBAR、バールと言われる簡易食事店にした。簡単な料理が手早く出てくるの

で現地の人は小腹が空いたらバールで済ませる。BARは日本ではバーだからお酒を飲む

処になるから、言葉だけだとちょっと抵抗を感じてしまう。夕方から沢山時間があると思って

いたら、あっという間に時間が過ぎ、最後は集合場所まで小走りになり、やっとの思いで間

に合った。帰りはローマ空港から帰国になったが、幸いなことに隣の席は空きだったので横

になれ、それだけでも大分楽な帰国の飛行だった。

12月16日にローマを後にしたのだが、日本ではもうすぐクリスマスと街中は勿論のこと、どこ

でもクリスマス・イルミネーションやツリーでギンギラ銀なのに、本場イタリアは誠に静かで質

素な・・・否、これが本場の本当のクリスマスの在り方のようだ。


『PCのバックアップ』

2013年11月15日 17時16分36秒 | 日記

今までのバックアップ方法はフォルダーやファイル単位でDVD/BD、SDメモリーなどに

取っていた。ごくごく稀に外付けHDDにもコピーしたりしていたが一貫性を持たないから、

始まりHDの性能向上(5400RPM--à7200RPM)で入れ替え済みのHDDには換装時のOS

のクローンを作っていた。もし、PCが異常になればHDDを入れ替えてやればデータ部を

除けば取り敢えず立ち上げることが出来るから、それでボチボチ回復させればいいとして

いた。

ところが最近はフリーソフトを使うことが多くOS部分の変更も多いから、データーほどでは

ないが、古いシステムのバックアップを回復させるのは手間のかかること。それよりフリーソ

フトの名前を憶えていないから、探す処から始めなければならず面倒なことこの上なし。

そこでフリーソフトEaseUS Todo Backup を使ってPC全体のバックアップを取ることにした。

今頃のPCのHDDは大体2つのパーティションに分けられていて、データはOSではない方

に保存している。パーティションのクローンよりボリュームクローンだと時間はかかるが簡単

なので、この方法で予備システム+データバックアップを作ることにした。

データが多くなればそれほどクローン作製に時間はかかるが、完了後パワーオフの指定も

あるのでPCを使わない時、動作させたまま出かけることもできるから便利だ。こうした事を数

か月に1回程度、実施すればデータバックアップで大きく失敗することはなくなる。ずぼらな

使い手に簡潔な解決方法を与えてくれた。


『回想旅行記、ローマ市内観光Ⅱ』

2013年11月14日 17時04分53秒 | 旅行

昼食はローマ市内にあるレストランが予定されていた。バスの駐車場から徒歩で向かう

がどうみても繁華街ではなく雰囲気は工事現場に近い。10人ほどの列の先頭が地下に

下りていき、私たちも付いていくとそこはレストランになっていた。壁は石垣のようになっ

ている以外、普通のレストランと変わりなくテーブルと椅子が並べられている。

つまり、この店は遺跡を改装したものだった。原型を残したままという条件付きだろうか、

遺跡の活用方法としてはかなりユニークだ。

これは遺跡の上に都市が出来たローマならではのアイデアか苦肉の策なのか、いずれ

にしても日本なら個人に許可されないのではないかと思った。イタリアで古いと言えば何

百年以上のものでないと、その部類に入れて貰えないと言っていた。しかし遺跡となると

紀元前なんてこともあり得るが、レストランは何時ごろのものか説明はなかった。

この日のパスタは私たち夫婦にとって初めてのラザニア、幅が2cm、長さ10cmくらいのパ

スタ。日本の「蕎麦がき」の変り種のようなパスタだ。材料の小麦粉の味が残るため薄いソ

ースだと粉っぽいものになってしまいそうだった。この日まで、毎食パスタが出てきたがパ

スタの種類、ソースは異なるため飽きることはなかった。尤も、私たちは家ではパスタよりラ

ーメンかうどんの方が圧倒的に多く、しかもパスタソースは市販の限られたものばかりだか

ら、今回の旅行でパスタ開眼といったところだ。お土産に色々なパスタを購入したことは言

うまでもない。バスで移動中に「ローマの休日」で有名な真実の口を車窓越しに見ながら、

向かう先コロッセオはローマを代表する遺跡の一つだ。私たちは外から見るだけの観光だ

ったが入口から内部を見ることができた。すると中から大きな声でしゃべりながら数人の団

体が出てきた。どうも中国系で周囲のことにはお構いなし、場の雰囲気で自分たちが浮い

ていることにすら気がついていない。以後の他の海外でも同様のことを何度も経験をしたか

ら、中国系の人は大きな声で話をするとインプリントされてしまっている。コロッセオは風化

によりかなり傷んでおり修理を続けているそうだ。ただの娯楽のためにこんな大きなものを作

らせた時の権力者の力を見せつけられる反面、庶民の苦労は大変だったろうと気の毒に思

えた。私たちは観光気分で、コロッセオをバックに記念写真を撮る身分、何かの間違いで私

がコロッセオを作る側にいたのかもしれない。


『病院』

2013年11月14日 17時03分43秒 | 日記

今日、インフルエンザの予防注射を受けに出かけた。何度も来ている場所、先週も検診

で来たばかりだし、来週も検査で出かける予定だから特別な思いが浮かんでくることはな

いのに、何故か待ち合わせている時、受付や人が行きかう

様を見ていて改めてその多さに驚いた。

何かを患ったり調子が悪いから病院に来ている訳だから、程度に差こそあり如何に多くの

人が病院を必要としているか、という事になる。私事に当てはめれば先週、定期健診で来

て今日、来週はCT検査と今月だけで3回も来ているが、これは特別に多いことで、通常だ

と定期健診で年4回来ている。

松江市の人口は約20万人、だから1年に1回しか受信しない場合でも毎日560人が病院を

訪れる計算になる。祝祭日を除けばもう少し多くなるが、これを市内の病院全てで賄うとし

たら1病院当たり患者数はそんなに多くないのかもしれない。患者の多少はどういう基準で

見のが正しいか分からないが、これを負担する医療費の面からみると、国保にしても健保

にしても毎年、保険料を値上げがあるほどひっ迫している事からすれば、やはり多いとみる

のが正しいだろう。

さてインフルエンザの予防注射は予約制だったから、長らく待つこともなく受けることができ

た。年寄りが多いのかと思っていたら、子供や若い人の方が多かった。今シーズンのインフ

ルエンザは何型が流行るのか?

願わくば、予防接種した型でいって欲しい。


『ローマ市内観光Ⅰ』

2013年11月13日 17時15分17秒 | 旅行

ローマには見どころはあり過ぎて個人で行くならジャンル別に分けて、行きたい場所を絞

らないと限られた時間では回れない。私たちはお任せ定食のつまみ食い観光だから、テ

ーマなしの有名な所巡り。最初に訪れたのはキリスト教といえばバチカン宮殿、ここはロー

マ市内にありながられっきとした国家であるが入出国管理をする所謂イミグレはない。警備

ていた場所はサンピエトロ寺院だったと思うが、国家と思わせる場面は衛兵がいること。

タリアにありながらイタリア人はいい加減だからと言う理由でスイス軍が担当、ともっともら

い説明があった。面積は0.44㎢しかなく東京ディズニーランドの0.52㎢よりも狭い国家。

バスを降りて徒歩でバチカン市国の領地に入ると、そこはサンピエトロ広場。ローマ法王の

一般謁見の際にはあのバルコニーの所から姿を現すとガイドの説明、そういえばTVでよく

観る光景の場所だ。大聖堂はカトリックの総本山だから荘厳な雰囲気が漂っていて、壮大

規模の建屋や彫刻なども歴史の重みを感じさせる。聖堂から美術館の鑑賞に移動する。

の時は補修作業が行われており、場所によっては足場が組まれている間を移動しなけれ

ならなかった。

美術のことはよく知らないから、この美術館に展示されている有名な絵にしても、説明を受け

の絵の説明を受けると入れ替わってしまい頭の中には残っていなかった。ミケランジェロ、

ダビンチなど有名な芸術家の作品が展示されていたことだけはよく覚えている。

バチカン市国を後にして、トレビの泉では背中越しにコインを噴水の池に投げ入れ、冬だとい

のに有名なジェラートを食べ歩く。観光名所だけに人が多く中央あたりの写真スポットは色々

肌の色をした人が写真を撮るため順番待ちみたいになっている。

池の中には投げ込まれたコインが無数にあり、回収はポンプで吸い上げると説明を受けた。こ

ような人混みで注意を要するのがジプシーなる存在だ。子供から17~8才くらいの集団で置

き引き、すりを働く犯罪集団だ。一人が前の方で注意を引いている間に後ろから鞄の中身を抜

き取る、しつこくつきまとい隙を見せたら餌食にされる。

私たちのグループの一人が鞄に手を突っ込まれているのを別のメンバーが見付けて追い払い

を逃れることができた。何度も注意され、気をつけているつもりでも相手が子供と気を抜くと災

難に遭う。鞄は前で抱きかかえるようにする、車道側に鞄を持つことは厳禁、走って来る車から

られてしまうから。こうしたジプシーは姿格好から直ぐに分かるが、余りにも手口が大胆過ぎて、

供と言えど恐ろしくなってくる。兎に角、人の集まる所には沢山のジプシーが屯して獲物を物

色していた。

近年はイタリアが不景気になったから国境を持たないジプシーたちが景気のいいフランスの方

移動しているとパリに行った時、ガイドの説明があった


『ワサビの種まき』

2013年11月13日 17時13分58秒 | 日記

初夏前、ワサビの種が熟れて採種しようと様子を伺っていたら、ちょっとした隙に熟れ

過ぎて多くが弾け飛んでしまった。それでもお猪口に一杯くらいの種を確保し冷蔵庫

で保管していた。例年はキッチンペーパーに包んでラップしていたが、今頃の時期に

なると知らない間に発芽してしまい、育苗する段取りにならず大半が失敗に終わってし

まっている。今年は種をラップしてビンにいれて冷蔵庫で保管していたら、種はきれい

な緑色で保存されていた。その種をセル・トレーに蒔いてハウスで発芽を待つことにし

た。春先には落ちていた前年の種が発芽し小さな苗になる。これをそのままにして置く

と育つことはなく大半が絶えてしまう。小さな苗だから植え替えるのは面倒だがポットに

移植して日陰で夏を過ごすと、一人前の苗として育っていく。その後、夏のさ中に葉っ

ぱは枯れて茎だけ残り今頃から新しい芽が出てくる。尤も大きな株になっているものは

貧弱な葉をつけたまま夏を越す。だが、こうした苗も夏の環境にきちんと管理しても多く

が枯れてしまう。最初から清水の中で育てていればこんなことにはならないだろうが、畑

と言うワサビにとっては厳しい環境だから避けられない。春先、300くらいの小さな苗を移

植したが今、残っているのは70くらいしかないから、種蒔きしたワサビが順調に育ってく

れるのを祈るのみ。夏の間、ワサビの葉はないので長野県のワサビ農園から通販で取り

寄せて、醤油漬けを作る。その際、小さないながらワサビの根も付いているので刺身や

ソーメンを食べる時に使うこともできる。全てを食べ切れないのでポットに埋めておくと新

しい芽が出て苗作りをすることも出来る。

ワサビには西洋わさび(ホースラディシュ)、山ワサビなどあるが、やはり旧来からある山葵が一

番美味しいと思う。


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2013年11月12日 19時00分37秒 | その他

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9.02 『雑想考、乞食の今昔』   10.02 『雑想考、マスコミの馬鹿さ加減』
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9.03 『雑想考、音楽プロデューサー気取り』   10.03 『雑想考、賃上げはあるか?』
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9.06 『雑想考、税金垂れ流しか汚染水対策』   10.06 『雑想考、通販の美味しいもの』
  『瓜坊(猪)の解体』     『猪のお出まし』
9.07 『今更、Win8のメトロスキップ』   10.07 『そばの花』
  『雨降りの中、草刈り』     『夏日』
9.08 『オリンピックと被災地』   10.08 『雑想考、領土問題』
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9.13 『白い彼岸花』     『雑想考、防災放送の役目』
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