食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回想旅行記、ヴェネチアⅠ』

2013年11月05日 17時31分14秒 | 旅行

水の都ヴェネチアは水上に作られた街、厳密にいえば本土とは陸続きになっていな

いから島の街だ。到着したのはヴェネチアへの入口になる橋の袂で、ここから荷物を

ゴロゴロと運びながら橋を渡る。

ヴェネチアは自動車の走行は禁止されており、交通は自転車か乗合ボートだけだか

ら、自動車に憧れる若者のヴェネチア離れは顕著になり悩みの種だとか。私たちは自

動車と切り離せない生活をしており、日常的な場所では自動車と共生しているから、

人が往来している場所を歩いていながら、自動車事故に遭う心配は必要ない、この場

でも後ろを見たりして注意する。ヴェネチアは限られた土地しかないから本土のように、

大型のリゾートホテルや高層ビルなどはなく、昔からの伝統文化と共に時を刻んでいる。

ホテル着から有名なサンマルコ広場に行くため、船着き場から船に乗ると15分ほどの間

に、いくつかの歴史的な建造物の説明があったが、この地も年号と地名などが次々と

て来るからとても覚えきれない。サンマルコ広場はサン・マルコ寺院、ドゥカーレ宮殿、

コッレール博物館、新政庁、時計塔などで囲まれた広場で、おしゃれなレストラン、バー

ルなどもあり観光客で溢れ返っている。近年、特に冬場は高潮により異常潮位となり広

場が水没してしまう被害が続発していて、高潮時には広場が洪水で歩けなくなるから、

橋桁用の椅子と足場材を準備してある。

また、場所によっては建屋の一階は浸水するので2階以上しか使えないアパートなども

ある。観光客のコースはヴェネチアガラス工房見学で例に漏れず私たちも連れていかれ

た。以前から興味を持っていたので記念になりそうな派手な色の花瓶を購入する。ホテ

ルに戻るまでの短い自由時間に小さな喫茶店風の店に入り、コーヒーを飲みながら広場

を散策する人波を眺めていた。店は狭いながら満席で判別はつかない他国言語で混じ

り合っていた。この頃、イタリアサッカーのペルージャで活躍していた中田英寿が絶頂期

で、日本人を見ると子供たちが『ナカタ・ナカタ』と声を揃えて叫んでいた。ここサンマルコ

広場でも昼間にいたベローナでもそうだったし、土産屋ではユニフォームのレプリカの中

央にナカタのものが置かれていたから知名度の高さが分かる。


『収穫物は冬』

2013年11月05日 17時30分10秒 | 日記

ここのところ急に寒くなり一足飛びに冬を思わせるようになってきた。つい先日まで長袖

シャツ1枚でよかったのに、今日はその上にもう1枚羽織らないと寒さを感じるくらいにな

った。紅葉の季節はこれから始まるのだから紛れもなく秋である。山小屋の周りを見ても

リンドウや蔓竜胆、野菊などの花が主役だから、ここでも秋には間違いない。ところが、私

のイメージの中では初冬若しくは冬であるはずのナメコ茸が傘を開いていた。畑に行け

ばミカンが黄色にオレンジ色交じりの熟れ具合、食べてみれば甘みもあり美味しい。

近所の柿の木には未だ熟柿にならない実がたわわになっている。どう見ても秋真っ盛り。

夏の暑さが強烈な印象で残っていたら急速な様変わり、今度は夏の余波を受けて急速

な冬への移り変わりになるのだろうか。

秋から冬への移り変わりの田舎の風物詩、カメムシの出現。洗濯物に潜り込んだり、家の

中に入り込んだりして異臭を放つ、ならず者だ。昔からカメムシが多い、またナナカマドの

実が多い年の冬は雪が多い言われている。統計的に合致しているのかは定かではない

が、冬を越す準備をより入念に戒めにされてきたのだろう。果たして結果は以下が相成り

ますやら・・・。


『回想旅行記、ベローナ』

2013年11月04日 17時26分29秒 | 旅行

ミラノからヴェネチアに移動する中間点にベローナがあり、ここに立ち寄り昼食とシェー

クスピア著、ロミオとジュリエットの舞台となった館の観光をする。市内に入ると古代ロー

マ時代の円形競技場跡が目に入ってくる。写真でしか見たことのない円形競技場跡は

風化したり崩れたりして原型は留めていない。食事場所近くにバスを止め少し移動する

と広場があり野菜や果物などの市が開いていた。食事までの自由時間を利用して、市

場で売られているものを見て回ると、果物は分かるが野菜のいくつかは初めて見るもの

で、食べ方など想像もつかない形をしているものもあった。

市だから量り売りばかりで、日本ならスーパーでパックを買うことが大半だから昔懐かし

い風景に映った。周辺は古くからの街並みらしく石畳が敷かれて、家々には彫刻や家

紋のようなものが飾りつけられている。歴史と現代の人が交わる不思議な空間に思えた。

レストランの食事はホワイトソースのパスタで私はこの手のものは苦手、日本でなら絶対

に注文しないと思っていたが、食べてみると思いのほか美味しく完食してしまった。

いよいよ世紀の恋、ロミオとジュリエットがベランダ越しに愛を確認した館に出かけた。観

光名所だけあって各国の観光客が列を作り館に向かって歩を進める。途中、城壁だった

ような所を通るから、徐々に歴史の時を戻しているような感じになる。家に着くと小さな表

札があるだけで、事前にロミオの家だと知っていないと誰にも気づかれない、そんな家だ

った。

見どころはベランダとその下にあるロミオの銅像。ロミオの銅像には言い伝えがあり、ロミ

オの乳を触ると恋が成就するらしく、世界中から来た観光客が触るから、そこだけがピカ

ピカに光っていた。私たちも遅ればせながら? こうした事以外はロマンチストにしか興味

を持てない場所ではないかと思う。

ここから大よそ100km離れたヴェネチアまでの旅だが、高速道路を走りながら気付いたの

は日本では未だ普及していないETCが導入されていることだった。

イタリアはスポーツカーやファッションは世界トップクラスだが豊かさという点では、そうし

たものと比例せず先進国の中では下の方だから以外だった。道中は居眠りを繰り返しな

がら、なだらかな丘陵のような所を走る快適な旅で、明るい内にヴェネチア着。

 


『デジタル・ビデオ』

2013年11月04日 17時25分11秒 | 日記

旅行に出かけた時、一昨日のような結婚式などでビデオを撮ることがある。趣味として

凝っているのではないから撮りはするが、その後の整理や編集は粗末なものだ。

一昔前はアナログにしろ、デジタルであろうが撮ったものは編集することなく、収納して

観たい時に取り出す、これで十分だった。ところがSDカードや内蔵HDに録画するよう

になってから、その容量を越えそうになると別の媒体に移さなければならなくなった。

1シーンが1ファイルの感覚でPCを使って処理する。DVD/BDに移す際には自宅のD

VD/BDプレーヤーが適応しているファイル形式を気にしなければならない事もあり、ダ

ビングだけですべてが片付く昔のような方法が恋しくなる。

また折角、ハイビジョン並の画像で録画しても編集ソフトによっては画質が落ちるものも

あり便利なのか、不便なのかと、この道に疎い爺さんは悩む。また、他の人にコピーし

てあげる、と簡単に言ってしまっても4.7GB以上のデータになれば、BDプレーヤーが

あるのか、PCにBDはあるのか、果たしてどんな形式のファイル形態にすればとか・・・

要らんことなのか、要ることなのか頭の中でくるくる舞子。

PCやDVD/BDプレーヤーのことが分かる人ならいいが、ちょっと年配の人だと、折角

っても『映らない』なんてことになりそうだ。


『回想旅行記、コモ湖観光』

2013年11月03日 17時31分07秒 | 旅行

一晩泊まり、翌日はスイス国境に近いコモ湖観光に出かける。バスがコモ湖に近くなる

と鉄条網の張られた国境が見える。私たち日本人は島国だから陸にある国境は映画や

テレビの世界でしかお目にかかれない。このように国境を鉄条網で区分けするにしても

延々と張られているのか、一部なのか知らないが、費用は折半なのだろうか。

下種は大したことを考えないものだ。

コモ湖は歴代の王や有名人たちの保養地として使われてきた。ヨーロッパは都会地でも

田舎でも古くからの建物や広場などがそのまま残されており、そうした所に現代が入り込

んだ特有の雰囲気を持っている。ここでも歴史上から言えば由緒あるところでありながら、

おしゃれなブティックやカフェが並んでおり庶民の観光客にも楽しめるし、パンフレットな

どで宣伝するセレブ達が楽しむプライベートな豪華な庭園などと幅広いリゾート気分が

味わえる場所だ。湖上クルーズやゴンドラ観光もあるらしいが、私たちは湖周辺の公園

やショッピングで観光気分を味わったが、有名な湖と言われなければ、ミラノから時間を

かけてワザワザ出かけて来る程のことはないと思った。

ミラノへの帰りはラッシュアワーとぶつかり、渋滞しながらのドライブとなった。少し暗くな

ってからホテルに到着し、レストランまでの道中は徒歩でドゥオーモを横目に見ながらの

ものだった。夜に見えるドゥオーモは所々に灯りがつけられており、昼間よりも幻想的で、

しかも上から覆いかぶさってくるような威圧感があった。コモ湖に出かける時、ドゥオーモ

に立ち寄り聖堂内の観光をさせて貰った。綺麗なステンドグラスが何故、多く飾られてい

るのか不思議に思ったことはなかった。説明によるとステンドガラスは順々に見ると一つ

の物語になっており、それを見ればキリスト教の良さがわかるように描かれている。当時

は識字率が低かったから字では布教が難しく絵で説いたとの理由だ。

それにして、こんな大きな聖堂をよく作ったものだと感心ばかりしていた。一番困るのは

写真に撮り切れないしビデオでも部分々の絵にしかならないから面白くはない。

遠くに離れて全景を撮ろうとすると人が小さくなり過ぎて、観光記念の写真にはならない

から、ここで撮る写真はただのアリバイ作りのようなものだった。

今宵のメニューはミラノ名物、ミラノ風カツレツ。仔牛の肉をカツにしたもので結構、大き

なものが出された。日本で食べるカツレツとそんなに差が分からず、普通に美味しくパス

タを出されてイタリアでの食事を感じさせる。昨晩のホテル、今日のレストランと出された

料理は、私たちの口に合い、この様子だとこれからも食事で悩まされることはなさそうだ

った。2日目になるとツアーの仲間と少しずつ打ち解け合うようになり、出されたものの好

き嫌いなど話し合うようになっていき、シェアすることにも抵抗が薄れてきた。レストランの

最初のオーダーは水を買うか食前酒を買うかの選択になる。

初めてのヨーロッパで知ったことはワインも水も値段が余り変わらないということで、日本

は如何にワインが高価で水は如何に疎んじられているか。日本人にとって、水は高価な

ものと考えるよりもワインは暴利を貪っているのではないかとの疑念にかられてしまう。

食事を終えて来た道を帰りながらドゥオーモを見上げる。

夜も更けてきてブルブルっと首すくめる。


『祝言』

2013年11月03日 17時29分48秒 | 日記

今年は妻の兄弟の子供たち、私からみれば義理の甥や姪の祝言が春と秋、共に大阪

で執り行われた。姪は大安の昨日、大阪帝国ホテルで本当に落ち着いた結婚式でとて

も良かった。結婚式の形態は出席者の年齢層や顔ぶれにより大きく異なるから、出席者

の楽しみ方も違ってくる。

ごく親しい人ばかりの披露宴だとカラオケ大会のようになったり、何かの飲み会のような

ものまで様々だ。昨日は新郎側の趣味もありハープ、ピアノ、バイオリン、フルートの生演

奏が流れる中の披露宴だから格調高い食事会のような雰囲気だった。姪は関西生まれ

の関西育ちだが赤ちゃんの時から毎年、夏になると我が家に遊びに来ていたから、い

つまでも子供のような感覚でいたが、自分の歳を勘定してみれば分かりそうなものなの

に、結婚すると聞いて嬉しいやらびっくりするやら・・・。

結婚式は大安の目出度い日に行われる。全てのことに大吉だから失敗しないとされてい

る。過去の結婚式の大方は大安吉日に執り行われているはずなのに、×1,2などと上手

くいかないケースが多いようだ。お互いが好き同士で一緒になるのだから、気まずい時

ほどお互いの気持ちを理解し合うことが下手になっているのだろうか。因みに私たち夫

婦は今日が45回目の結婚記念日。姪たちは勿論のこと、これから結婚する人たちの幸

せを願っている。


『回想旅行記、ミラノ着』

2013年11月01日 17時27分44秒 | 旅行

ミラノはイタリア北部でローマに次いで大きな都市のひとつだ。私には全く縁のないミ

ラノコレクションが有名でファッションに興味のある人なら大喜びしそうな場所だ。

時は12月の半ばだからクリスマスを控えて大いに盛り上がっているだろうと思いきや、

日本の馬鹿げた飾りとは裏腹に、すごく控えめな飾りが施されている。更に街中で日

本の繁華街のようなどぎついネオンサインや灯りは何もなく、全体的に暗い感じがす

る。ホテルにチェックインして食事までの短い間に、近くのスーパーに出かけて添乗

員の指示、ミネラルウォーターを購入する。ヨーロッパの水道は硬水ばかりで飲料水

は購入しなければならないとのこと、庶民の生活用品を扱うスーパーに行けば、その

様子は一目瞭然だ。ミネラルウオーターは大きなペットボトル5㍑はあろうか、そんな

ものを筆頭に水コーナーにてんこ盛りで売られている。日本で飲料水を買うなんて風

習はなかったから、それを見てビックリ仰天。またリラは桁が違うから換金してもらうと

大金持ちになったような気分になるが、店屋の値段も比例しているからインフレ世界

に飛び込んできたようなものだ。だから中々慣れずお金を払う時、10万リラ札を出して

も気づかないで注意されて初めて分かったこともある。


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