ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

スサノオ・大国主建国論7 イヤナミ・イヤナギの神生み

2023-01-25 16:51:17 | スサノオ・大国主建国論

 古事記はイヤナギ(伊邪那岐)・イヤナミ(伊邪那美)の国生みに続いて、神生みについて述べている。繰り返しになるが、通説の「イザナギ・イザナミ」読みに対し、伊邪那美が松江市東出雲町揖屋の揖屋神社に祀られている以上、「イヤナミ・イザナギ」読みにすべきである。「邪馬台国」を「やまたいこく」と読んでいる方は、「邪」を「や」と読んでいただきたい。

 

⑴ イヤナミ(伊邪那岐)・イヤナギ(伊邪那美)の神生み

 古事記に書かれた神々は次の表のとおりである。

 

 これを読むと、あまりにも多い御子の数、イヤナミの排泄物やカグツチ(火之迦具土)の血・死体、イヤナギの持ち物や黄泉の汚垢から生まれた神々など、実に不合理・不自然な神話といわざるをえない。

 

⑵ 「不合理神話無視」か 「合理的解釈追究」か?

 「聖書・キリスト」を後世の創作としたドイツのヘーゲル左派流の薄っぺらな「近代合理主義的解釈」の影響を受けた「記紀神話天皇家創作説」は、このような記紀神話の不合理・不自然な記述から、記紀神話は8世紀の創作として歴史的価値を認めていない。このような彼らの方法論によれば、逆に不自然・不合理記述のない歴史小説を真実の歴史とみなすことになりかねないのである。「嘘をつくなら上手に、バレないなように書く」ことなど想像もしていないのである。

 これに対して、私の記紀分析の方法論は「矛盾だらけの不合理・不自然な神話をできるだけ合理的に解釈する」というものである。

 一例をあげると、母の介助のために田舎に帰り、暇にまかせて揖保川町史を読んだとき、私の母方の祖先である「西脇太郎右衛門」は西本願寺合戦に参加し、その96年後など何度も名前がでてくるのでびっくりしたことがあった。ここから「町史は信用できない」「西脇太郎右衛門はいなかった」などと結論づけることはできないのである。母に聞くと、代々、長男は太郎右衛門、次男は次郎右衛門を襲名していたというからである。

 イヤナミが17人の御子を生んだというのは、石土毘古・石巣比賣、速秋津日子・速秋津比賣などが夫婦神であったとして14人になり、数からいっても、男女比からいっても明らかに不自然である。しかしながら、母系制社会においてイヤナミが襲名し、何代ものイヤナミの子孫たちが自らの祖先がイヤナミと名乗っていたとすると、イヤナミの子は多くなる。

 このように「襲名」という歴史的習慣を入れて考えるとイヤナミの17人の御子は後世の創作などとは言えなくなる。これに「嘘をつくならバレないようにする」という経験則を加えると、「イヤナミ17人御子後世創作説」は一意的には成立しないことは明らかである。

 

 

⑶ 「神」と「命」の使い分け

 イヤナミ・イヤナギの神生み神話において、イヤナギ筑紫日向(ちくしのひな)橘小門阿波岐原(あわきばる)で滌(みそぎ)をした時に黄泉の汚垢で汚れた水から生まれた、底筒之男(そこつつのお)命・中筒之男命・上筒之男命・月読命(つくよみのみこと)・建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)の5人は「」(太字表示)と書き、他の神々や月読・須佐之男の姉とされる天照大御神は「神」として書き分けている。

 まず基本的な点として、八百万神信仰ではすべての死者の霊(ひ)は神としてその子孫や人々に祀られるのに対し、「命」は「みこと=御子人」であり、先代王の霊継(ひつぎ)を受けた御子を指していることを押さえておかなければならない。そして、太安万侶はイヤナミ命・イヤナギ命(伊邪那岐命・伊邪那美命)と筒之男3兄弟と月読・スサノオだけをその「御子人(みこと)」として書いているのである。

このような書き分けを厳密に解釈すると、イヤナミが生んだ17神などは、前の世代(襲名の先代イヤナミの子であろう)で亡くなっているので神と書かれ、イヤナミ・イヤナギ・月読・スサノオとは同世代ではない可能性がある。

一方、月読・スサノオと同時に生まれた姉とされる「天照」は「御子=巫女」ではなく「大御神」としているが、これは天皇家の始祖神として「天照(あまてる)」を最高位の「大御神」として祭り上げるための太安万侶の創作と考えられる(その基本的な考えは天武天皇による指示の可能性が高い)。

 

⑷ 「天」族は「天神族」か「海人族」か?

 壱岐・対馬の海人族の「」(表1で赤字アンダーライン)が付くのは之吹上男神ら7人で、海神の大綿津見神、船神の鳥之石楠船神(鳥船)、綿津見神兄弟、筒之男3兄弟、スサノオを含めて海人(天)族で海洋交易に従事したと考えられる。

 また、水分(みくまり)神・國之水分神久比奢母智(くひざもち)神・國之久比奢母智神狹土(さづち)神・國之狹土神狹霧(さぎり)神・國之狹霧神闇戸(くらど)神・國之闇戸神のように夫婦神で「天(海人)」が付くのは壱岐・対馬の天(海人)族で、「国」が付くのは出雲の母系制社会の王女であり、妻問婚で入り婿となり名前を合わせたと考えられる。イヤナギ・イヤナミについても、元々は「天之イヤナギ」「国之イヤナミ」であった可能性が高く、父系制の天皇家に合わせて書き換えた可能性が高い。

 縄文時代から続く採集・栽培・漁労の妻問夫招婚の母系制社会から、船と交易を支配して富を蓄えた男系社会が誕生したことが読み取れる。

 

⑸ 「迦具土」のイヤナミ殺しとイヤナギの「迦具土」殺しが示す歴史

 イヤナミは火之夜藝速男(ひのやぎはやお)神(火之炫毘古(ひのかがびこ)神、火之(ひの)迦具土(かぐつち)神)を生んだ時に美蕃登(みほと:女性器)を焼かれて病み、その多具理(たぐり)(反吐)・屎(くそ)・尿から金山(かなやま)毘古・金山毘賣、波邇夜須(はにやす)毘古・波邇夜須毘賣、彌都波能賣(みづはのめ)、和久産巣日(わくむすひ)の6神が生まれたとされている。

         

 そして、イヤナギは母を殺したとしてカグツチを十拳剣(とつかつるぎ)で切り、その血から12神、死体から14神が生まれたとしている。

 不合理・不自然な神話的表現となっているが、「火之」が付くカグツチは火の神であり、6神はその名前から見て、それぞれ鉱山の神、粘土の神、水波の神、沸く蒸す霊の神(娘の豐宇氣毘賣(とようけびめ)は豊かな食べ物の姫)であり、縄文時代からの採集・栽培・漁撈に加えて、新たに火を使った新たな鉄・土器・食品づくりに従事した部族が生まれたと考えられる。

 このような死体からの再生神話は、切った種イモを大地に植えると再び生えて来ることから、大地に帰った死体から人が再び黄泉帰ると信じていた地母神信仰があったことが伺われる。

        

 そして、カグツチと襲名イヤナミの姉弟が争い、イヤナミを殺したカグツチをイヤナギが切った、という歴史があり、それを神話的に表現したと私は考えている。母系制社会の母イヤナミとその娘の襲名イヤナミと父系制社会の弟カグツチの後継者を巡る争いが起り、イヤナギがカグツチを切ったという歴史を神話的に表現したと考えられる。これは、後のアマテルとスサノオ、邪馬壹国の卑弥呼死後の女王派(壹与派)と男王派(弟王派)の争いと同じである可能性が高い。

 なお、カグツチの死体から生まれた8神の名前の正鹿山上津見(まさかやまつみ)神、淤縢山津見(おどやまつみ)神など、共通する「山上津見神、山津見神」については神名火山(神那霊山)信仰を示している可能性が考えられるが、まだ解明できていない。

 

⑹ イヤナミの埋葬とイヤナギの黄泉の国訪問

 古事記はイヤナミ神を「出雲国と伯伎国との堺の比婆山に葬った」とし、イヤナギが黄泉の国にイヤナギを訪ねた時の出入口の「黄泉比良坂(よもつひらさか)」は「出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)」としている。

 この記述は、魂魄(こんぱく)分離の宗教思想により、イヤナミの霊(ひ=魂:玉し霊)は神名火山(神那霊山)である斐伊川・日野川の源流域の比婆山(霊場山)に祀られ、死体が葬られた伊賦夜坂(いふやさか)はイヤナミを祀る揖屋神社のある揖屋に葬られたことを示している。

  

 イヤナギは黄泉のイヤナミから「私を視ないで」と言われたにもかかわらず腐敗した死体を見てしまい、イヤナミは「私に恥を見せた」と黄泉醜女(よもつしこめ)さらには八雷神に千五百の黄泉軍を副えて追わせたが、イヤナギは黄泉比良坂の坂本の桃子3箇を取って待ち撃つと、ことごとく逃げ帰ったとしている。最後にイヤナミは自ら追ってきて、黄泉比良坂を塞いだ千引石をはさんでイヤナミは「汝の国の人草、一日に千頭絞殺しょう」と言い、イヤナギは「吾は一日立に千五百の産屋を立てよう」と言い、ここに一日必ず千人が死に、一日必ず千五百人が生まれるようになり、イヤナミは黄泉大神、道敷大神と呼ばれ、黄泉坂の石は道反大神、黄泉戸大神と呼ばれるようになったとしている。

 この黄泉の国訪問神話は、琉球や奄美諸島で明治時代まで行われていた死者を風葬する殯(もがり)がこの時代に行われており、遺体の腐敗の早い熱帯地方から伝わった海人族の同一文化圏であったことを示している。

 比婆山を安来市伯太町横屋の比婆山久米神社に充てる説が見られるが、山間地であり海洋交易民の海人族イヤナギが拠点としたとは考えにくく、縄文人からの信仰対象の神名火山(神那霊山)も見られない。一方、現在の広島県庄原市の比婆山は島根県・広島県・鳥取県の県境地域にあるきれいな円錐形の山であり、江の川・斐伊川・日野川の源流域であり、縄文時代からの神山天神信仰の神名火山(神那霊山)の3つの条件(重要な川の源流、円錐形火山、信仰対象)を満たしている。―ブログ「ヒナフキンの縄文ノート」の「99 女神調査報告3 女神山(蓼科山)と池ノ平御座岩遺跡」「101 女神調査報告5 穂高神社の神山信仰と神使」「118 『白山・白神・天白・おしら様』信仰考」参照 

 スサノオがアシナヅチ・テナヅチの娘を助けてヤマタノオロチを切った場所を古事記は「出雲国の肥の河上の鳥髪」としているが、日本書紀の一書は「安芸国の可愛(え)の川上」(江の川の川上)」としており、比婆山のある出雲・安芸・伯耆(鳥取)・吉備の山域一帯は1つの地域とみなされていたことを示している。

 

⑺ 神名火山(神那霊山)の神山天神信仰と「ひ、ぴー」信仰

 この肉体から霊(ひ=魂=玉し霊)が分離して神名火山(神那霊山)やピラミッド型神殿や神籬(霊洩木)、神塔から天に昇るという宗教思想はアフリカから世界に広がり、日本列島には縄文人から続いている。―ブログ「ヒナフキンの縄文ノート」の「56 ピラミッドと神名火山(神那霊山)信仰のルーツ」「57  4大文明と神山信仰」「61 世界の神山信仰」「104 日本最古の祭祀施設―阿久立棒・石列と中ツ原楼観拝殿」「105 世界最古の阿久尻遺跡の方形巨木柱列群」「158 ピラミッド人工神山説:吉野作治氏のピラミッド太陽塔説批判」参照

     

    

 出雲では女性が妊娠すると「霊が留まらしゃった」ということは出雲の同級生・馬庭稔君から教わったが、霊が留まる人・彦・姫は「霊人(ひと)・霊子(ひこ)・霊女(ひめ)」である。さらに、霊が留まる女性器を琉球・奄美では古くは「ピー、ヒ―」、天草では「ヒナ」と言い、倭名類聚抄ではクリトリスを「雛尖(ひなさき)」としている。霊(ひ)信仰は女性器信仰に結びつき、男子正装の烏帽子(えばし=カラス帽子)の前には「雛尖」を付けているのである。―ブログ「ヒナフキンの縄文ノート」の「15 自然崇拝、アニミズム、マナイズム、霊(ひ)信仰」「34 霊(ひ)継ぎ宗教(金精・山神・地母神・神使文化)」「73 烏帽子(えぼし)と雛尖(ひなさき)」参照

 この祖先霊の「ひ(琉球弁ではぴー)」信仰は、南インドのドラヴィダ族やチベット・ビルマ・タイ・雲南・台湾などにみられ、匈奴(ヒュンナ・ヒョンナ)・鮮卑も国名からみて霊(ひ)信仰であった可能性が高い。―ブログ「ヒナフキンの縄文ノート」の「38 『霊(ひ)』とタミル語peeとタイのピー信仰」「74 縄文宗教論:自然信仰と霊(ひ)信仰」「128 チベットの『ピャー』信仰」「132 ピュー人(ミャンマー)とピー・ヒ信仰」「149 『委奴国』をどう読むか?」参照

      

 「2 私の古代史遍歴」で述べたように、始祖神の「高皇産霊(たかみむすひ)・神皇産霊(かみむすひ)」の産霊(むすひ)夫婦名について、太安万侶は「高御産巣日(たかみむすひ)神、神御産巣日(かみむすひ)神」として太陽神であるかのように書き換えていることに注意する必要がある。同じように霊婆山(霊場山)が比婆山に、霊川が斐伊川に、霊の川が肥の川・日野川に、霊神山が火神山(大山)に、霊留山が蒜山に、沙霊女山が佐比売山(726年に朝廷の命令で三瓶山に名称変更)、鳥神が鳥神に置き換えられた可能性が高いと考える。

 私は「スサノオ=朱砂王・朱沙王=赤目製鉄王」とみており、製鉄遺跡の多い三瓶山周辺の佐毘(比)売山)神社が製鉄に関わる金山姫・埴山姫を祀っていることからみて、佐比売山の「佐(さ)」は「砂=沙(微粒子の砂)=砂鉄」を指すと考えている。―ブログ「ヒナフキンの縄文ノート53 赤目砂鉄と高師小僧とスサ」参照

 スサノオ・大国主建国を論じるにあたっては、アフリカからの人類史を大前提とし、縄文人の生活・宗教・文化に遡って分析する必要がある。また、天皇家によってスサノオ・大国主建国史が隠されるとともに、太安万侶は真実の歴史を巧妙に書き残す工夫を行っていることを見逃してはならない。

 熱帯アフリカで生まれた魂魄分離(魂と死体の分離)宗教と死者の霊(ひ)(魂)が天に昇り降りてくるという天神宗教、さらに活火山や高木から死者の霊(ひ)(魂)が天に昇るという神山・神木信仰、平地部での神山を模した人工ピラミッドや神木(神籬=霊洩木)・神塔信仰、天と地を結ぶ龍神・雷神・水神・神使信仰などの全体構造は次図のとおりである。―ブログ「ヒナフキンの縄文ノート158 ピラミッド人工神山説:吉野作治氏のピラミッド太陽塔説批判」参照

          

 

⑻ アマテル・月読(つくよみ)・スサノオの役割分担

 イヤナミの死後、イヤナギは出雲から「筑紫日向(ちくしのひな)橘小門(たちばなのおど)阿波岐原(あわきばる)」で禊(みそぎ)をして、黄泉の汚垢(おこう:汚れた垢)を洗い落して26の神・命(みこと)を生んだとし、最後に生まれたアマテル・月読・スサノオについて「三貴子を得た」と喜び、天照大御神には「汝は高天原を知らせ」と言い、月読命(つくよみのみこと)には「汝は夜の食国を知らせ」述べ、須佐之男命には「汝は海原を知らせ」と命じたとしたとしている。

 黄泉の国の汚垢から神々を生んだという黄泉帰り宗教としているが、実際には筑紫において各女王国の王女に妻問を行って御子をもうたのである。

 イヤナギは海人族の交易の支配をスサノオに託したのであり、「1 はじめに」で述べたように『三国史記』新羅本紀は4代目新羅国王の倭人の脱解(たれ)が紀元59年に倭国王と国交(筆者説:米鉄交易)を結んだとしているが、日本書紀がスサノオが御子のイタケル(五十猛=委猛)を連れて新羅に渡ったとしていることと符合し、新羅国王と国交を結んだ「委奴(ひな)国王」はスサノオ以外には考えられないのである。

 この海人族の委奴国の天王・スサノオの地位は、52代嵯峨天皇が「素戔嗚尊(すさのおのみこと)は即ち皇国の本主なり」として「正一位(しょういちい)」の神階と「日本総社」の称号を尾張の津島神社に贈り、さらに66代一条天皇が「天王社」の号を同じく津島神社に贈っていることにより、天皇家公認の史実として裏付けられるのである。

   

⑼ スサノオは大兄(長兄)

 古事記はアマテル・月読(つくよみ)・スサノオの順に生まれたとしているが、「3 記紀伝承・神話の真偽判断の方法」で書いたように、スサノオは「僕は妣(はは)の国・根の堅洲国に行きたい」と「八拳須(やつかひげ)、心(むね)の前にいたるまで啼(な)きいさち」「青山は如く枯山に泣き枯らし、河海は悉く泣き乾し」たというのであり、スサノオは出雲でイヤナミから生まれた長兄としているのである。太安万侶はスサノオを「泣き虫」と貶めながら、巧妙に真実の歴史を書き残しているのである。

 イヤナギはイヤナミの死後、スサノオを連れて筑紫日向(ちくしのひな)(旧甘木市の蜷城(ひなしろ))に行き、筑紫の各地の女王・王女と妻問いして26神をもうけ、スサノオは長兄として海人族の志賀島を拠点とする綿津見3兄弟や博多を拠点とする筒之男3兄弟、さらには宗像族の宗像3女神などの海人族を率い、新羅との米鉄交易や後漢との朝貢貿易を進めたのである。

 皇国史観は出雲大社正面に祀られた「高皇産霊(たかみむすひ)・神皇産霊(かみむすひ)」の産霊(むすひ)夫婦を始祖神とするのではなく、天照大御神(あまてるおおみかみ)を天皇家の始祖神とするためにスサノオの姉としているが、古事記をきちんと読めばスサノオの異母妹なのである。

 なお、イヤナギの囊(ふくろ)から時量師(ときはかし)神が、右目を洗った時に月読命(つくよみのみこと)が生まれたとしているが、この時量師と月読は月の動きを観察して暦をつくる役割を担っていたと考えられ、イヤナギの「夜の食国(おすくに)を知らせ」という指示は夜に月を観察して暦をつくり稲などの栽培時期を決定する「食国を支配する」役割を月読が担っていたことを伝えている。

 

⑽ 81神の存在証明

 イヤナミ・イヤナギの神生みに登場する81神などの実在性については、壱岐の月読神社(月読を祀る元宮)のようにその神が子孫や部族によって神社に祀られているかどうか、地名由来人名に符合する地名が残っているかどうか、職業由来名が符合するかどうか、さらには祖先・先人の襲名が後世に見られるかどうか、伝承が残っているかどうかなどから裏付けることが可能である。 

           

 今回は81神の全体について個々に検討は行っていないが、以後の分析で関連する神名については分析することとする。興味のある若い方は、是非とも系統的・全体的な考察の挑戦してみていただきたい。

 

□参考□

<本>

 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)

 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)

<雑誌掲載文>

 2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)

 2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)

 2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)

 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)

 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)

 2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)

 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)

 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)

<ブログ>

 ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina

 ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/

 帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/

 邪馬台国探偵団      http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/

 霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/


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