高砂神社の境内社
「播磨国風土記には高砂神社はでてくるの?」
ヒメは相変わらずカンがいい。
「不思議なことに、出てきません」
高木もそれだけは確認していた。
「他の風土記ではどうなの?」
「播磨国風土記より16~18年以上後に完成した出雲国風土記では、390の神社があったことを伝え、各郡ごとに神社名を載せています」
出雲の神主の娘だけあって、ヒナちゃんは詳しい。
「播磨で古い神社というと、どこになるのかしら?」
「伊和大神、大国主を祀る播磨国一宮の伊和神社、大国主の御子の天照国照天彦火明命を祀る播磨国一宮の粒坐天照(いいぼにますあまてらす)神社、神戸の海(あま)神社などです」
高木はスマートフォンのメモを繰って答えた。
「なぜ、播磨国風土記では神社を載せていないのかしら?」
「風土記編纂の官命では、郡・郷の名前、物産、土地の肥沃さ、地名の由来、旧聞などを記すようにとなっているので、神社がでてこなかったのかも知れません」
高木は念のために調べておいたメモの説明を行った。
「先に見てきた牛頭天王総本宮の広峯神社や、播磨国総社の射楯兵主神社など、スサノオやスサノオの子の射楯(イタテ)大神、五十猛(イタケル)を祀る神社も古いわよね」
ヒメは納得がいくまで聞いてくる。
「播磨国風土記の因達(いだて)里では、『伊太代(いだて)神ここにいます』と書かれ、別のところには因達神山という記載も見られます。また、『山の峯にいます神は、伊和大神の子、伊勢都比古命・伊勢都比売命という』というような表現がいたるところに出てきます。神社建築ができる以前の祖先霊信仰について伝えています」
高木はヒナちゃんの仮説力と調査力に脱帽するほかなかった。
「ということは、播磨国風土記は、神社ができる以前の、神々が神那霊山の山頂に祀られていた時代のことは載せているけど、神社に祀られるようになった時代のことは載せていない、ということなのかな?」
ヒメの推理力もまた鋭い。
「風土記編纂命令に従って、神々の時代の『旧聞』は載せたものの、編纂時に、スサノオ・大国主の子孫が祀る神社は載せなかった、ということかも知れません」
考え抜いているヒナちゃんの答えはよどみがない。
「磐座(いわくら)信仰や神籬(ひもろぎ、霊が漏る木)信仰の時代は伝えてたけど、神社信仰の時代は記さなかった、ということなのね」
ヒメは納得したようだ。
「なるほど、見えてきたよ。播磨の大国主の子孫の国造の大石王などは、天皇家に遠慮して、自分たちがこの国の建国者のスサノオ・大国主一族の子孫であり、今もその祖先霊を神社で祀っている、ということを隠さざるをえなかった、ということだな」
カントクもヒナちゃんの説が腹に収まったようだ。
「播磨国風土記は、巻頭の総記と、東端の摂津国と接する明石郡、西端の備前国と接する赤穂郡が欠落しています。摂津国というのは、元は津国で、その一宮は海(あま)神社ですから、津島を拠点とする天(あま)族のスサノオと関わりの深い国です。また、吉備国の御津にある備前之国一宮の石上布津御霊神社には、スサノオがヤマタノオロチを切った十拳(とつか)剣が奉納されており、スサノオと関わりがあります。となると、摂津国と備前国に接した明石郡と赤穂郡には、両国との深い繋がりを示すことが書かれていた可能性があり、その部分が破棄されて伝わった可能性が大きいと思います」
今回の播磨調査は、スサノオ探偵団というよりも大国主探偵団の色が濃くなってきていたが、ヒナちゃんはちゃんとスサノオをベースに考えていた。
※ 本ブログ中の文章や図、筆者撮影の写真は、ご自由にお使い下さい(ただし、出典を記載して下さい)。リンクもご自由に。
※ 今はブログ更新で精一杯です。頂いたご意見・ご批判は、いずれ検討させていただき、ご返事を差し上げたいと思います。
資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
霊の国:スサノオ・大国主命の研究
(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
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「播磨国風土記には高砂神社はでてくるの?」
ヒメは相変わらずカンがいい。
「不思議なことに、出てきません」
高木もそれだけは確認していた。
「他の風土記ではどうなの?」
「播磨国風土記より16~18年以上後に完成した出雲国風土記では、390の神社があったことを伝え、各郡ごとに神社名を載せています」
出雲の神主の娘だけあって、ヒナちゃんは詳しい。
「播磨で古い神社というと、どこになるのかしら?」
「伊和大神、大国主を祀る播磨国一宮の伊和神社、大国主の御子の天照国照天彦火明命を祀る播磨国一宮の粒坐天照(いいぼにますあまてらす)神社、神戸の海(あま)神社などです」
高木はスマートフォンのメモを繰って答えた。
「なぜ、播磨国風土記では神社を載せていないのかしら?」
「風土記編纂の官命では、郡・郷の名前、物産、土地の肥沃さ、地名の由来、旧聞などを記すようにとなっているので、神社がでてこなかったのかも知れません」
高木は念のために調べておいたメモの説明を行った。
「先に見てきた牛頭天王総本宮の広峯神社や、播磨国総社の射楯兵主神社など、スサノオやスサノオの子の射楯(イタテ)大神、五十猛(イタケル)を祀る神社も古いわよね」
ヒメは納得がいくまで聞いてくる。
「播磨国風土記の因達(いだて)里では、『伊太代(いだて)神ここにいます』と書かれ、別のところには因達神山という記載も見られます。また、『山の峯にいます神は、伊和大神の子、伊勢都比古命・伊勢都比売命という』というような表現がいたるところに出てきます。神社建築ができる以前の祖先霊信仰について伝えています」
高木はヒナちゃんの仮説力と調査力に脱帽するほかなかった。
「ということは、播磨国風土記は、神社ができる以前の、神々が神那霊山の山頂に祀られていた時代のことは載せているけど、神社に祀られるようになった時代のことは載せていない、ということなのかな?」
ヒメの推理力もまた鋭い。
「風土記編纂命令に従って、神々の時代の『旧聞』は載せたものの、編纂時に、スサノオ・大国主の子孫が祀る神社は載せなかった、ということかも知れません」
考え抜いているヒナちゃんの答えはよどみがない。
「磐座(いわくら)信仰や神籬(ひもろぎ、霊が漏る木)信仰の時代は伝えてたけど、神社信仰の時代は記さなかった、ということなのね」
ヒメは納得したようだ。
「なるほど、見えてきたよ。播磨の大国主の子孫の国造の大石王などは、天皇家に遠慮して、自分たちがこの国の建国者のスサノオ・大国主一族の子孫であり、今もその祖先霊を神社で祀っている、ということを隠さざるをえなかった、ということだな」
カントクもヒナちゃんの説が腹に収まったようだ。
「播磨国風土記は、巻頭の総記と、東端の摂津国と接する明石郡、西端の備前国と接する赤穂郡が欠落しています。摂津国というのは、元は津国で、その一宮は海(あま)神社ですから、津島を拠点とする天(あま)族のスサノオと関わりの深い国です。また、吉備国の御津にある備前之国一宮の石上布津御霊神社には、スサノオがヤマタノオロチを切った十拳(とつか)剣が奉納されており、スサノオと関わりがあります。となると、摂津国と備前国に接した明石郡と赤穂郡には、両国との深い繋がりを示すことが書かれていた可能性があり、その部分が破棄されて伝わった可能性が大きいと思います」
今回の播磨調査は、スサノオ探偵団というよりも大国主探偵団の色が濃くなってきていたが、ヒナちゃんはちゃんとスサノオをベースに考えていた。
※ 本ブログ中の文章や図、筆者撮影の写真は、ご自由にお使い下さい(ただし、出典を記載して下さい)。リンクもご自由に。
※ 今はブログ更新で精一杯です。頂いたご意見・ご批判は、いずれ検討させていただき、ご返事を差し上げたいと思います。
資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
霊の国:スサノオ・大国主命の研究
(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
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