231222 雛元昌弘
フェイスブックの邪馬台国探究会で、「『卑弥呼王都=高天原』は甘木(天城)高台―地名・人名分析からの邪馬台国論」を連載してきましたが、「20 『邪馬台国畿内説』は成立するか?」をアップしました。
内容は美和における「スサノオ・大国主建国論」でもありますので、参考にしていただければと思います。
<構成> 20 「邪馬台国畿内説」は成立するか?
⑴ 畿内説は「里程引き算足し算条件」を満たさない
⑵ 畿内説には「東を南とした90度方位誤記」の証明がない
⑶ 「水行十日」の起点は「不彌国」ではなく「末盧国」の呼子港である
⑷ 魏使は「ガキの使いやあらへんで!」
⑸ 「水行―陸行―水行」の途中下船・乗り継ぎはありえない
⑹ 漢・魏皇帝由来の「皇帝3物証」は畿内からは何も発見されていない
⑺ 鉄器時代は北九州・出雲が中心である
⑻ 卑弥呼をアマテル(天照)とする畿内説の「自爆」「敵塩」
⑼ 箸墓は大物主・モモソヒメ夫婦の墓であり、卑弥呼・アマテルの墓ではない
⑽ 間城(まき)・纏向(間城向)は大国主の拠点であった
① 纏向の大型建物は「日御子=アマテラス」の太陽信仰神殿か、大国主一族の穴師山崇拝の拝殿か?
② 奈良盆地の開拓・建国者はスサノオ・大国主一族
③ 大国主・大物主連合の成立
④ 「間城」「纏向(間城向)」は大国主一族の拠点
⑤ 銅鐸・銅槍(通説は銅剣)・銅矛祭祀から八百万神の神名火山(神那霊山)信仰へ
⑥ 「仮面」と「桃の種」は大国主由来の宗教を示す
⑦ 穴師山は穴師=鉱山師の大国主一族の拠点
⑧ 播磨の養久山古墳群の「円墳・方墳・前方後円墳」から前方後円墳は生まれた
⑨ 「邪馬台国畿内説」「卑弥呼・アマテル・モモソヒメ三位一体説」は新皇国史観(天皇中心・大和中心史観)の空想
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