高御位山を東から見る
筆者おわび:仕事とボランティア活動に追われて、この1か月あまり、手を付けることができず、ご迷惑をおかけしました。次々と新しい発見があり、これから徐々に態勢をたてなおして、連載を再開したいと思いますので、引き続き、ご愛読のほど、よろしく。
「邪馬台国畿内説という第1の仮説をたてると、今度はヤマトトトヒモモソ姫=卑弥呼とする第2の仮説がどうしても必要になるんだな。そうすると、今度は、狗奴国が邪馬台国を征服したという第3の仮説が必要となり、さらに、狗奴国の王、卑弥弓呼が崇神天皇であるという第4の仮説が必要となってくる。第1の仮説は魏志倭人伝に方角の誤りがあるとい仮説があって初めて成り立つ仮説であり、第2~4の仮説は魏志倭人伝には書かれていないし、記紀の記述とも異なっている。どうやって、これら全部の仮説を証明するのかな?」
長老は手厳しい。高木は黙る以外になかった。
「そうなんだよな。魏志倭人伝にも記紀にも、ヤマトトトヒモモソ姫=卑弥呼を示す記載は一切ないし、狗奴国が邪馬台国を征服したとか、卑弥弓呼が崇神天皇であるとかいうような記載はない。邪馬台国畿内説という仮説を説明するために、別の仮説を持ち出したんでは、証明にはならんな」
カントクが追い打ちをかけてきた。
「ちょっと、話が飛び飛びになったので、論点を整理しましょうよ。
そもそもの出発点は、阿讃播連合はスサノオ~大国主のもとで成立したのか、畿内にあった邪馬台国の豪族の連合なのか、ということですよね。これが論点1です。
第2の論点は、大和の二上山に同じような凝灰岩があるのに、なぜ仲哀天皇や仁徳天皇の石棺に、印南の竜山石や、讃岐の羽若石を使ったのか、ということですね。
第3の論点は、卑弥呼や天皇家が祖先霊を祀った神那霊山(かんなびやま)はどこなのか、三輪山なのかどうか、ですね。
第4の論点は、卑弥呼や天皇家は、いったい誰を鬼=祖先霊として祀ったのか、ですね。
第5の論点は、祟りを受けて大物主やアマテラスの御霊を宮中から出した崇神天皇は、大物主やアマテラスの子孫なのかどうか、ですね。
第6の論点は、崇神天皇は、邪馬台国を打倒した狗奴国の王・卑弥弓呼なのか、ですね。
そして、まとめとして、邪馬台国畿内説で第1から6の論点が、整合して説明できるのか、ということになりますね」
シンポジウムの司会で鍛えたマルちゃんは、論点整理が上手だ。
「やっぱり、その議論は後にとっておいた方がいいな」
議論が複雑になってきたので、長老の提案は、今度はスンナリと受け入れられた。高木としては、整理して反論する時間が稼げたのでありがたかった。
そうこうしているうちに、車はだいぶ北に進んだ。
「窓から交差点の案内や看板、電柱に書かれた地名を注意して見ていただくと、このあたりには、神が詰めた場所という神爪や大国、神吉(かんき)、神木、横大路などの地名が見られます」
さらに北上すると、高御位山は見事な神那霊山形に整ってきた。
「南から見ても富士山型の山だったけど、ここに来るとさらに『播磨富士』の名前に恥じないきれいな形になるなあ」
カントクが言うように、完全な富士山型の山が2つ重なっている。頂上に神が降り立つ巨岩、磐座を頂く姿は、古代人が信仰した典型的な神那霊山の形である。
この神那霊山については、一般的には神奈備山とも神南備山、神名火山などの漢字が当てられているが、祖先霊が降臨する場所であることから、「備」=「火」=「霊(ひ)」で、「神の那(国)の霊(ひ)の降る山」という日向勤説をこのメンバーでは使っている。
「讃岐もそうだけど、このような神々が降臨する神那霊山がある場所こそ、古代の出雲族が好きな場所なんだなあ」
カントクはしきりと強調している。
「そういわれると、たつの市や姫路にもこのような山が多いわよね」
ヒメも同調した。
高御位山の麓に着き、集落に入り、登山口を探して細い道を昇ると駐車場があり、数台の車が停まっており、休んでいる登山者グループがいた。
「高御位神社への道はここからですか?」
高木は念のために確かめた。
「そうです。これから頂上に登られるのですか?」
最年長と思われる白髪の男性から質問された。
「残念ながら、今回は急いでいるので頂上まで登る余裕はないんですよ」
礼儀を重んじる、最年長のカントクが丁寧に答えた。
「それは残念ですね。日本の中心になるはずであった場所に、是非、登っていただきたかったですな」
「え! ここが日本の中心というような言い伝えがあるんですか?」
思わぬ展開になって、高木はびっくりしてしまった。
資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
姉妹編:「邪馬台国探偵団」(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
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筆者おわび:仕事とボランティア活動に追われて、この1か月あまり、手を付けることができず、ご迷惑をおかけしました。次々と新しい発見があり、これから徐々に態勢をたてなおして、連載を再開したいと思いますので、引き続き、ご愛読のほど、よろしく。
「邪馬台国畿内説という第1の仮説をたてると、今度はヤマトトトヒモモソ姫=卑弥呼とする第2の仮説がどうしても必要になるんだな。そうすると、今度は、狗奴国が邪馬台国を征服したという第3の仮説が必要となり、さらに、狗奴国の王、卑弥弓呼が崇神天皇であるという第4の仮説が必要となってくる。第1の仮説は魏志倭人伝に方角の誤りがあるとい仮説があって初めて成り立つ仮説であり、第2~4の仮説は魏志倭人伝には書かれていないし、記紀の記述とも異なっている。どうやって、これら全部の仮説を証明するのかな?」
長老は手厳しい。高木は黙る以外になかった。
「そうなんだよな。魏志倭人伝にも記紀にも、ヤマトトトヒモモソ姫=卑弥呼を示す記載は一切ないし、狗奴国が邪馬台国を征服したとか、卑弥弓呼が崇神天皇であるとかいうような記載はない。邪馬台国畿内説という仮説を説明するために、別の仮説を持ち出したんでは、証明にはならんな」
カントクが追い打ちをかけてきた。
「ちょっと、話が飛び飛びになったので、論点を整理しましょうよ。
そもそもの出発点は、阿讃播連合はスサノオ~大国主のもとで成立したのか、畿内にあった邪馬台国の豪族の連合なのか、ということですよね。これが論点1です。
第2の論点は、大和の二上山に同じような凝灰岩があるのに、なぜ仲哀天皇や仁徳天皇の石棺に、印南の竜山石や、讃岐の羽若石を使ったのか、ということですね。
第3の論点は、卑弥呼や天皇家が祖先霊を祀った神那霊山(かんなびやま)はどこなのか、三輪山なのかどうか、ですね。
第4の論点は、卑弥呼や天皇家は、いったい誰を鬼=祖先霊として祀ったのか、ですね。
第5の論点は、祟りを受けて大物主やアマテラスの御霊を宮中から出した崇神天皇は、大物主やアマテラスの子孫なのかどうか、ですね。
第6の論点は、崇神天皇は、邪馬台国を打倒した狗奴国の王・卑弥弓呼なのか、ですね。
そして、まとめとして、邪馬台国畿内説で第1から6の論点が、整合して説明できるのか、ということになりますね」
シンポジウムの司会で鍛えたマルちゃんは、論点整理が上手だ。
「やっぱり、その議論は後にとっておいた方がいいな」
議論が複雑になってきたので、長老の提案は、今度はスンナリと受け入れられた。高木としては、整理して反論する時間が稼げたのでありがたかった。
そうこうしているうちに、車はだいぶ北に進んだ。
「窓から交差点の案内や看板、電柱に書かれた地名を注意して見ていただくと、このあたりには、神が詰めた場所という神爪や大国、神吉(かんき)、神木、横大路などの地名が見られます」
さらに北上すると、高御位山は見事な神那霊山形に整ってきた。
「南から見ても富士山型の山だったけど、ここに来るとさらに『播磨富士』の名前に恥じないきれいな形になるなあ」
カントクが言うように、完全な富士山型の山が2つ重なっている。頂上に神が降り立つ巨岩、磐座を頂く姿は、古代人が信仰した典型的な神那霊山の形である。
この神那霊山については、一般的には神奈備山とも神南備山、神名火山などの漢字が当てられているが、祖先霊が降臨する場所であることから、「備」=「火」=「霊(ひ)」で、「神の那(国)の霊(ひ)の降る山」という日向勤説をこのメンバーでは使っている。
「讃岐もそうだけど、このような神々が降臨する神那霊山がある場所こそ、古代の出雲族が好きな場所なんだなあ」
カントクはしきりと強調している。
「そういわれると、たつの市や姫路にもこのような山が多いわよね」
ヒメも同調した。
高御位山の麓に着き、集落に入り、登山口を探して細い道を昇ると駐車場があり、数台の車が停まっており、休んでいる登山者グループがいた。
「高御位神社への道はここからですか?」
高木は念のために確かめた。
「そうです。これから頂上に登られるのですか?」
最年長と思われる白髪の男性から質問された。
「残念ながら、今回は急いでいるので頂上まで登る余裕はないんですよ」
礼儀を重んじる、最年長のカントクが丁寧に答えた。
「それは残念ですね。日本の中心になるはずであった場所に、是非、登っていただきたかったですな」
「え! ここが日本の中心というような言い伝えがあるんですか?」
思わぬ展開になって、高木はびっくりしてしまった。
資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
姉妹編:「邪馬台国探偵団」(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
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